天と地が近づく。
魂の目醒めが急がれている。
神にある魂たちよ。
目醒めのときがやってきた。
その準備を整えよ。
魂の目的を、魂の約束を思い出し、そして、委ねるのだ。
先の時代、真理を掴むには、時代の名僧などの宗教家たちのように何年にも渡る過酷な修行が必要だった。
しかし、時が移り、この世界のエネルギーが変化した。
次元上昇にともない、天と地が近くなった。
そして、真理は生活の中にあり、誰しもがふとした瞬間に気づけるようになった。
修行は以前の時代のこと。選ばれたものたちだけが掴むものではなくなった。
生活の中の真理は、大宇宙の真理へとつながる。
以前の生で、神や仏に祈り続け、自分を叱咤激励して辛い修行に身を置いた魂たちがある。
それは、自分のエゴを手放すところで終わった! ゲームオーバー! 命が尽きた。
だが、今回の転生では、以前の修行で得た叡智を実行に移すためにやってきた。
神を身近に感じ、自分を媒介させ、神エネルギーをこの世界へ浸透させる。
前の時代、神仏への「信心」は誰にもあった。その「信」は、「真」であり、「神」となり、大宇宙へとつながるエネルギーへと変化した。
神仏への祈りは当たり前だった。しかし、時を経てそのこころは失われつつある。
神社は初詣や縁結びなどのご利益を願うために訪れるところであり、先祖は自分の都合がついたならお参りに行くところとなった。
大宇宙へと入り口である神界離れは、個々の魂と大宇宙とのつながりの希薄さへとつながった。
時代が変わり、神仏は待つことを止め、人々の中に出向き、入り込むことにした。
しかし、神仏は肉体をもたない。見えざるエネルギーだ。
また、より高次のエネルギーのために、それを感じとれる魂の方が少ないのが現代社会だ。
それで、神にある魂たちが肉体をもった人間として転生することになった。
周波数が高く、神界のエネルギーとシンクロしやすく、媒介するための魂。
人間を介して、神エネルギーはこの世界へ行き来することになった。
さて、私は生まれてこのかた、長い時間、人間修行に忙しんだ。
だから、神は遠かった。
自分から切り離し、遠い存在、手の届かない存在、祈り、願う、崇高なる存在だと思っていた。
偶像だと思っていたし、本当にいるわけがないとも思っていた。
目醒めてみると、神は常に共にあった。いつでもどこでも神がそばにいることに気づいた。
呼べば来る!じゃないけど、意識を合わせると、すぐそこにいた。
ある時、祈りと瞑想で「神一族」という声が聞こえた。
キョロキョロ・・誰が? まさか、私が?
不安になった。エゴか? 邪霊に弄ばれているのか? 低級霊に憑かれているのか?
キョロキョロ。あたりを見回して不穏なエネルギーが来ていないか確かめ、繰り返し自分自身を疑っては、浄化した。
恐れ多い!それに、そんなこと他人に言ったら恥ずかしい!
そんな想いを隠したままの5ヶ月ほど。
今度も瞑想と祈りの中で、「末の姫が目覚めた」というメッセージ。
これまた、驚き!
末の姫って、私じゃないでしょ? キョロキョロ? 姫って歳じゃないしね〜。自虐的にひとりで笑う。キョロキョロ。やっぱり、弄ばれているのか? 狐の霊にでも操られているのか? キョロキョロ。
周囲と自分を何度も見返す。
そんな日々が続く。
それでも、自分を信じろとガイドや八百万からのメッセージ。
そんな笑えるメッセージをもらっても、縁ある八百万は常にそばにいる。
ある日、瞑想から睡眠に入った瞬間に何十年ぶりかの幽体離脱をした。
幽体はすぐに肉体へかえって来た。が、幽体と肉体がくっつく瞬間にある映像を見せられ、メッセージが耳に届く。
「これが、お前の故郷の星だ」
水、土、赤い物質・・・。
なるほど、それが私の故郷か! 驚くような、懐かしいような気持ちで体を起こす。
昨年後半は、アセンションに次ぐアセンション。その合間に口にだすのも怖いような経験をさせられた。
しかしそれも段々と慣れていき、怖いとも思わなくなった。
それもまた魂の約束なのだろう。
そして、昨年11月の三輪山、高野山、天橋立、比叡山の麓の神社やお寺を訪れて、今度は違う現象に気づいた。
八百万の神々はそばにいる。これはずっと変わらない。
そして、ある時々で私の中に八百万がいて、私がそれを代弁していることに気づいた。
必要がある時に八百万は私の中にそのエネルギーを通し、語らせる、書かせる、いさせられる。
瞬間、瞬間、私と八百万が一体となっていることがある。それに気づいた。
いつだったか、誰かが書いた記事を読んだことがあった。
「神が一緒にいる、次は、神が降りてくる。そして、自分が神だと思う」
それを見た時は、面白い話だな〜と思う反面、傲慢な気もしていた。
しかし、こうやって自分が経験してみると、ホントウにそうなんだ! そんなことってあるんだ!と、納得した。
でも、やっぱり、神様ごとはなかなかいいにくい。
宗教的だし、傲慢のような気もするし、こっぱずかしいし、変だし。
それでも、この記事を書かせられている。
神旅の時と一緒だな。
頭では、「変なひとって思われるから、書くのは止めておけって!」
感情では、「傲慢なひと、変なひと、狂ってる、嘘だ〜って思もわれたり、怖い人って思われるかもしれないから、止めた方がいいよ〜。傷つくよ〜」
魂は、「書け!」
書きたくないけど、言葉はどんどん降りてきて、機械的に、事務的に手がキーボードを叩いている。
これも、魂の役割と段階なのだろうか。魂の課題なのだろうか。
恐れを手放し、委ねる。
究極だな。
昔のひとのように過酷な修行をしなければ、真理の「し」の字にも近づけない、理解できないと思っていた。もちろん、それは死ぬまで、死んでもなお、大宇宙へ統合され、ワンネスとなるまで続くだろう。
それが魂の道だから。
しかし、この世界の変革のとき、必要ならば大宇宙は司令をだす、神界、霊界を使って、現界にある魂をコントロールする。必要ならば、その肉体、思考、感情もすべて借り受ける。
結局のところ、それを望み、そうコントロールされるため、導管となるためにこの世界へやってきた魂だから、筋書き通りということ。
天と地が近づき、この世界のエネルギーが変わってきている。
ネガティブエネルギーと聖なるエネルギーの見えざる攻防戦が始まる。
恐怖の時代に作られた常識が理論が通用しなくなる。
新たなる時代に即した、聖なるコードを紐解き、分かりやすく人々のエネルギーを書き換える必要がある。頭で理解させるのはなく、見えざるエネルギーによって人々の意識に働きかけ、そのコードを書き換える必要がある。
ところで、魂によってつながる先は様々。
人間は誰しも五感が開かれれば、ガイドを通して霊界にある自分の魂とつながることができる。
しかし、この世界の魂は、借りた肉体が不健康だったり、こころが病んでいたり、感情が混乱していたり、思考がガチガチに固まっていて、自分を守るためだけに生きていることも多いので、五感が閉じられている。
五感を開き、ホントウの自分とのつながりを感じ、そして魂を解放する。
天と地が近づく・・・
目醒めの魂たちよ、解放せよ。