宇宙神子
地球を歩く 魂の 地球旅!
闇のなかで遊び
光をみ〜っけ!
現と霊
表になったり 裏になったり
光になったり 闇になったり
現象の反対極にある真・霊に気づく
ひと的意識が喜ぶこと
霊的意識が喜ぶこと
表と裏。
一見、違うようにみえる。
ひと的意識でいうなら、物事がスムーズにいくのがいい。すべてが丸く収まっているようにみえる。
霊的意識ではありとあらゆる経験をし、その過程を大事にする。ひと的意識では敬遠したいことが、霊的意識ではwelcome!
ひと的意識が求めること
霊的意識が求めること
輪廻転生を繰り返しながら、近づき、統合していく
若い魂は、ひとと霊は乖離し、
魂が成熟していくと、霊がひとを支配する。
そして、やがて重なりあう。
ひととしての学びが進むほどに、
霊は活発になる
ひとは霊
霊はひと
ひととしての生きかたは、霊に反映される
霊の進化は、ひとへと反映される
このつながりを遮ぎるもの
幽界にあるネガティブエネルギー。
幽界の囚われびと
魂が幽界で迷子になり
人生は悩み多い
父の入院・手術 。
経験と学び、気づきをもたらす。
わたしが抱えるネガティブエネルギーがエゴとなって現れた。
感情・思考が絡みあう
純粋な感情と世間体が絡みあう
自分のエネルギーと他のエネルギーが絡みあう
はざまにある時は混乱と葛藤でこころの平衡を崩す。わたしの世界に不調和が広がる。
不調和に気づく。
ネガティブエネルギー。
エゴをみる。
父のことが心配だ。これは純粋な感情。
しかし、それがネガティブエネルギーを刺激し、思考を動かす。
意識がイリュージョンに迷いこみ、あれやこれやとおきてもいないことを考え始める。
父の入院・手術により、先に決めていたスケジュールが思うようにならないことへのいら立ち。
予定を変更しなければならない諸手続きが面倒と感じ、なによりお客さまに申し訳ない気持ちとスムーズに会えないことに対する・・・微妙な焦りのようなものを感じた。
したいことが、できない。
それが、不思議と「〜ねばならない」「〜するべき」を引き起こし、苦しくなる。
なんだろう、これは?
わたしのうちになにがおきている?
したの方から、さほど大きくないデニム色の四角い箱のようなものが浮かびあがる。
箱に意識をフォーカスしてみると、ことがスムーズにいっているときには捉えることができなかった感情をみた。
さらにその感情にフォーカスしてみる。
みえたのは、エゴを刺激する蓄積されたネガティブエネルギー。
「いま」に不調和を引き起こす「パラレルワールド」。
ネガティブエネルギーだと思考はいち早く反応した。
手放さなければならないと焦りばかりが先立ち、感情を感じきれない。
感じきれないものは、消えない。手放せない。
経験、気づき、学び、解放
それは魂へのつながり、省略することのできない霊的進化の道程。
中途半端なネガティブエネルギーの解放は、後から復活してくる。
それは幾度も、身をもって体験している。
ひとりになる時間。なんどもネガティブエネルギーのなかに身をおき、再体験する。
そして、解放。
それを繰り返す。
肉体・思考・感情が調和しくる。 気分が楽になる。 内側から楽しげなエネルギーが湧き上がってくる。
心身に力が満ちてくる。前に進みたくなってくる。
内側から外側へエネルギーが流れる。
外側で起きたこと現象が、内側を刺激する。
平静に受けとめ、調和のとれた状態は続く。
エゴはみえなくなり、同時にネガティブエネルギーが消えたことに気づく。
しばしの平静。そして調和のエネルギーが流れている。
そして、2つ目のケース。
こころが混乱し、エネルギーが不調和の状態は、他者とのエネルギーの混線を招く。
それは、誰もが、多くのひとが苦悩する心の状態やシチュエーションを引き起こす。
父の入院や手術が決まり、父の周辺の人びとは心配してくれる。
その気持ちが、娘のわたしへと向かってくる。
様々な声かけ、話に耳を傾けていた。
わたし自身が不安定なときは、うちなる場所から湧き上がる不穏なエネルギーに気づくこともなく、瞬間瞬間でチクリとあまり歓迎しない感情に取り巻かれていた。
罪悪感
そこから、〜ねばならない。などの義務感や世間体を気にする感情が湧いてくる。
事務的なこと、社会的なことなど仕事や作業に忙殺されていると、意識・エネルギーが物質のほうに向いているので、多少のネガティブエネルギーに気づかないことが多い。
それに気づかずに活動をしていると、心身が疲弊し、疲労を感じ、病気になっていく。
気づくことに意識を向けていると、微妙な変化、微細なエネルギーが分かる。
罪悪感。
「ひとり娘だから」
その言葉にくっ付いている他者のエネルギーがわたしのネガティブエネルギーを引きだす。
・・・逆なのだな。
そのひとは、話をさせられるのだ。
それによってうちに嫌な感情が湧き上がると、わたしは自分のネガティブエネルギーに気づきやすくなる。
行動を喚起しやすくなる。
ネガティブエネルギーを解放するため
霊(スピリット)が引き寄せられる
エネルギーがシンクロする
行動を引きおこす
嫌なことをされたり、言われたりすると、言ったひと、やったひとが嫌いになったり憎くなったりする。
そのひととできるだけ会わないようにしたり、同じようなシチュエーションにならないよう気をくばる。
自分の世界は自分で創造している
すべては自分が端を発する。
わたしが抱えるネガティブエネルギーがひとを介し、罪悪感を表現した。
罪悪感のなかにしばし漂う。
罪悪感に紐付けされているこれまで経験した場面を再体験する。
忘れていた、あるいは思い出したくない感情に身を委ねる。
そうやって徐々に抱えていたネガティブエネルギーを解放していく。
闇が光へと統合されていく瞬間を味わう。
さらに、3つ目のケース。
看護のこと、介護のことを話合う場面があった。
ふと、そこで思ったことがあった。
尊厳
その言葉がわたしのうちで大きくなっていく。
自分がどう生きたいか、どうしたいのか? 自分で決めることが尊厳なのだと。
誰もが、心身の機能が著しく不全の状態ではない、認知に問題がないなら、生き方は自分で決めることができる。
家族でも、その道のプロであっても、誰かの人生を決めることはできないし、ましてや命に期限をつけることもできない。
すべて魂の契約で成り立っている。
だがこの世界、魂が囚われていると、尊厳を意識することができない。
自分を明け渡したり、魂を売り渡したり、誰かの思惑やひとの顔色をうかがって生きているというケースも少なくないだろう。
父のことに話を戻そう。
これからいっとき親の看護や介護についての話題はこの世界で多くなっていくだろう。
家族の苦悩もそれに比例する。
だが、ひとは誰も自分の人生を生きている。誰かの人生を代わりに生きることはできない。
父が決めたことに対し、わたし自身を失くさない程度にサポートはできるが、自分を明け渡してまで尽くすことはしない。
この意見に対して、多くのひとがその通りと納得するだろう。
しかし、実際に弱っている高齢者を前にすれば、また多くのひとが気持ちが揺らぐだろうとも思う。
ここからがポイントだ。
ひとは自分軸がしっかりしていないと、簡単に自他の境界を失くしてしまう。
その結果、目の前の弱っているひとと自分を重ね合わせたり、これまでの経験を思い出したり、または自分が弱っているひとに成り代わってしまうかもしれない。
自分だったら
可哀想、大変だ、気の毒に、痛そう・・。
心配と同情が入り乱れ、知らぬまに、他者のエネルギーを引き寄せて、取り入れしまう。
親兄弟でも、夫婦でも、子どもでも、恋人でも、
その苦しさ、辛さ、悲しさ、苦しみを代わることはできない。
共感と同情は違う。
サポートはできても、代わることはできない。
みているのが苦しく、辛くても、自分を見失わない。
しかし、自他の境界を失くしていると、他者のエネルギーを大きく取り入れた人びとから同情のエネルギーをさしむけられると、ますます自分を追い込むことになる。
自分がなんとかしなければ
他者の恐れから始まった心配や同情のエネルギーから喚起された感情が自分をがんじがらめにし、
〜ねばならない。
と、なりがち。
家族が介護や看護疲れで、病気になったり、自死したりという話をたまに耳にする。
そういうとき、助けを求めて!というが、ひとによっては難しい。
なぜなら、他のエネルギーとシンクロしながら、真綿で自分をじわじわと追い込んでいる状態だからだ。
恐れのエネルギーがシンクロし、大きくなった場にあると、自分自身のうちなる恐れが刺激され、イリュージョンへと迷い込む。
そして、過度な恐れ、不安、心配というイリュージョンのエネルギーが、氣の弱くなったひと、魂と乖離しているひと、守護霊から離れてしまったひとの魂をさらに幽界へと追い込む。
いつだって、どんな時も、
常に、自分をみ続ける!
どんなに自分の外の世界が混乱していても、
人生に強風が吹き荒れても、嵐に見舞われても、
わたしは、いま、どのように感じているのだろうか?
わたしは
ワタシハ
私は
I am
アイ
あい
愛
♡