祈り。
それは、霊的であり、実務的。
エネルギーとエネルギーをつなぎ、浄化し、調和し、大きくすること。
大宇宙と
惑星と
高次の神界と
地の神のエネルギーをつなぐ。
それは、ひとのエネルギーフィールドを介して行われる。
そのため、ほとんどのひとは無意識のうちにそれを行なっている。
今年の春先くらいからだったと思う。
「夏目友人帳」というアニメが気になっていた。
きっかけは、 この頃お気に入りで聞いている歌手のuruさんの曲のひとつに、「劇場版 夏目友人帳 ~うつせみに結ぶ~」の主題歌動画をYouTubeで見たことだった。
映像の綺麗さ、懐かしさから、なんとなくハマっていった。
内容的に大いに共感したこともあったのだが。
心優しき友人たちとの、大切な日々──
美しく儚き、人と妖の物語。
<あらすじ>
小さい頃から妖怪を見ることができた少年・夏目貴志は、祖母レイコの遺産「友人帳」を受け継ぎ、自称用心棒のニャンコ先生と共に、そこに名を縛られた妖怪たちに名を返す日々を送る。
妖と、そこに関わる人との触れ合いを通して、自分の進むべき道を模索し始めた夏目は、想いを共有できる友人たちにも助けられながら、大切な日々を守るすべを見つけていこうとする。(「夏目友人帳」HP作品概要より)
わたしが知らなかっただけで、かなり以前から放送されていたようだ。
気になるな〜と思いながら、無料の範囲で1話、2話と見たりしていた。
そこからインスピレーション!
4月から5月の自粛期間中、電話セッションを行なっていた。
思ったより遠方のかたよりお電話をいただくことが多く、九州にお住まいのかたからのお電話が一番多かった印象だ。
そのときは、なかなかお会いできる距離だし〜と、単純に考えていた。
だがそれは、無意識のうちのメッセージだったのかもしれないと、今は、思う。
お電話をくださったかたがたも、意識にはあがっていずとも、自然界からのメッセージを受けとっていたのではないだろうか。
地の神やそこを守護する大きな八百万からのメッセージに反応していたのではないだろうか。
無意識のうちに。
実はそのうちのおひとりからも、おそらく「夏目友人帳」のことをおっしゃっていたのだろうと思うのだが、そんな話もでていた。
その頃わたしは、九州でアニメの舞台といえば、「蛍火の杜」の熊本県にある上色見熊野座神社しか思い浮かばなかったが、数日前に気になって調べてみれば、「夏目友人帳」の舞台は、大きな災害に見舞われた球磨地方だった。
だからといって、ひとがどうこうできるものでもないだろうが・・・。
いや、ほんとうにできないのだろうか?
その答えが、「夏目友人帳」の第二話「露神の祠」にあった。
「露神の祠」
小さな祠を住処としている露神。昔、その祠を訪れ、祈りを捧げるひとが大勢いたときには、露神の体は大きかった。
しかし、いまとなっては、間もなく死を迎えるであろう老女が露神の祠にやってくるだけになった。
そして、その老女が亡くなると露神もまた消えて無くなった。・・・というお話。
ひとの祈りによって、自然界のスピリットが大きくなったり小さくなったりする。
それは、人びとのうちにある神聖ともシンクロする。
地の神が小さくなったり、邪なるものになったりするなら、その神が護る土地も不安定な状態になる。
当然それは、そこに住まう人びとへも影響するのだ。
誤解のないように申し上げたい。
球磨地方にお住まいの方がたが祈っていないというわけではない。
自然界のアンバランスなエネルギーの狭間に入り、大変なご苦労をされたことと思う。
こころよりお見舞い申し上げます。
その自然界のアンバランスさは、天界ではよくよく承知していたろう。
だからこそ、アニメーションというチャンネルを通し、その地に人びとの意識とエネルギーを集中させ、調和をはかろうとしていたのだろう。
だが、それ以上の不調和・不協和音を回避することができなかった。
エネルギーが大きい土地なれば、それ以上に祈りのエネルギーがあってこそ、その土地は調和、安定する。
確かに、アニメ、物語、作り話、ファンタジーといってしまえばそうだろう。
異次元・異界のことは、あるひとにとってはフィクションでも、あるひとにとってはノンフィクション。
また、表現の仕方も様々だ。
魂の本質によって、属する世界が違う。
どこの次元を生き、どんな役割で、目的で、それによっても見えかた、感じかた、聴こえるものは違う。
見えざる世界を絵が音楽などの芸術で伝えることもあれば、言葉や数字、化学や科学などあらゆる分野で表現されることもある。
魂の本質によって、インプットとアウトプットが違う。
地球の調和から変容をサポートするための宇宙神子は、これを教訓にしたい。
祈り。
それは、大宇宙と魂をつなぐ最強にして、最も太いチャンネルだから。
写真は、滋賀県・瀬田川