究極。
ひとが地球でやることは、大宇宙からのエネルギーを媒介すること!
いたって、シンプル。
菩提樹の下で悟りを開いた仏陀の境地だろうか。
この惑星に転生した魂は、無意識にもそこを目指しているともいえる。
しかし、そこには魂段階がある。
生身の人間意識が優勢の場合、なかなかシンプルイズベスト!には、なりにくい。
感情・思考がバランバランで、あれもこれもを選んでは失敗、成功を繰り返す。
私利私欲に溺れ、自分自身を見失う。
それもまた、魂の学び。
とっちらかった状態が、徐々に整理されていく。
これは感情、これは思考。これは過去生!?
このエネルギーはわたし、これは違う。
「いま」の「わたし」は、こんな状態。
ここでよくあるのが、感情と思考がごちゃ混ぜになってしまっている状態。
情緒不全気味、感じたくないひとは思考を頼りにしているため、ネガティブエネルギーの手放しが苦手だ。
解放したいエネルギーを見つけだすには、自分の感情を探る必要がある。その行為に苦手意識があるようだ。
しかし、それをやらずして、次のステップへは進めないので、感情を見ないようにしていても、どこかの人生で強制的にその時はやってくる。
下位のチャクラに代表される人間的課題が終わると、今度は上位チャクラの課題が始まる。
霊的な愛、無償の愛を経験し、魂を表現しながら自己実現へと向かう。その頃には魂とのつながりも感じ始める。
ひと的意識で考えると混乱しやすいのが「愛」。
情緒的愛、例えば男女の情愛に代表される人間関係が絡む粘り気のある重たいエネルギーと、霊的な愛・無償の愛は違う。プラスにもマイナスにも、欲にも損にもぶれることのないエネルギーだ。
愛という言葉で混乱しやすいのだが、エネルギーの質量が違うのだ。
チャクラの課題が終わるとごとに魂は成長し、霊的進化がされていく。
ひと意識から霊的意識、宇宙意識、キリスト意識へと拡大していく!
ものごとの現象ではなく、霊的な意味を理解するようになる。
人間意識が優勢のときは、自分の内も外もとっちらかったままだったが、どんどんと手放しが進み。
自分に必要なのは?
人生に必要なのは?
魂に必要なのは?
そもそも自分から欲しがるものではなく、その時々ですべてあったことに気づく!
そして、究極。
ひとが地球でやることは、大宇宙からのエネルギーを媒介すること!
いずれはそうなっていく。
だが、人類はまだ進化の途上だ。
地球や影響しあう異界へエネルギーを媒介するには、まだ成長しきれていない。
それをサポートするための宇宙神子なのだ。