惑星はアセンション、変容している。
光が強くなる。
この世界の影が濃くなる。
闇があぶりだされる。
ひとがうちに抱える闇もまた然り。
過去生からもちつづけた幽界にあるネガティブエネルギーが姿を現す。
ひとによって。
買い物からの帰り。
ひとや車の往来をさけ、河原の土手を歩いていた。
その日首都圏では、季節外れの雪。寒い1日だった。
自治体からの外出自粛要請がでていたせいもあったのだろう。
休日なら家族で賑わっているはずのその辺りも、閑散としていた。
だが、雪が降ったこともあり、子どもに遊ばせたいと2組ほどの父子がいた。
雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり、楽しそうだった。
思わず笑みがこぼれるその風景から視線をさきへ移すと、年配のひとりの女性がスマホで写真を撮っていた。
最初は雪遊びしている父子の家族なのか?と、思ったのだが、どうやらそうではないようだ。
堂々としているのか? コソコソしているのか? 判断がつきかねるような態度で写真を撮っている。
家族ではないと判断したあとは、微笑ましい見知らぬ父子の隠し撮り?と、思ってみたが、その女性が発するエネルギーがやはり違う。
黒く、禍々しいものを感じたのだ。
雪遊びをしている父子とは対照的なネガティブなエネルギー。
雪、川、草花、楽しげな親子・・・
それらは、その場に調和していた。
しかし、その女性が発するものは、その場には不調和だった。
不思議にも、不自然にも思えて、目が離せなかった。
わたしが歩く、少し先に、その女性が何度か振り返りながら写真を撮る。
ふと、不調和をおこしているそのエネルギーにネガティブな懐かしさを感じた。
これは・・・。
前方をガシガシと歩いていく女性から目が離せずにいると、彼女の胸元から白い用紙のようなものが落ちたのかみえた。
だが、不思議なことに少し遅れてその場に行ってみると、なにも落ちていない。
その女性とわたしの間はさほど離れておらず、その間には誰もいなかった。
次の瞬間、いろんなことがビジョンとしてやってくる。
迫害。
なにに嫌な懐かしさを感じたかというと、それだった。
ひとは自分と違うものを恐れる、嫌う、憎む。場合によっては、自分の不幸は他者のせいにし、迫害することで、自分の気持ちを収めようとする。
どんな時代にも光と闇はある。
その形はいまの時代であってもあまり変わらない。
権力者にとって都合の悪いひと、もの、状況は排除される。
虐げられた人々は、こころに憎しみを募らせ、それは他者へと向かわせることもある。
ひとの世界の光と闇。
ひとのうちの光と闇。
さて、雪の日に話を戻す。
ネガティブなエネルギーを発している女性はなにをしていたのか?
おそらく、撮った写真はどこかへの証拠写真なのだろうと思った。
役所へとか、学校へとか。
その女性にとっての不要不急と、父子にとっての不要不急の定義が違う。
正義の種類が違う。
しかし、わたしが気になったのは、その女性のエネルギー。
繰り返しの転生でお馴染みになっているエネルギー。
ひとのうちの憎しみや、悲しみ、妬ましさなどに巣食うダークエナジーを感じたからだ。
そのかたの胸元からハラりと落ちた白いもの。
残り少ない白いエネルギーを手放してしまったのじゃないといいのだが。
これからの人生を怨念に導かれるように生き、堕ちた魂となり、転生もままならなくなる。
この世界、ある意味魂のふるい分けのような場所でもある。
ひとはネガティブエネルギーが多すぎると、思考のなかのイリュージョンのなかで生き続ける。
目は曇り、耳は聞こえず、ホントウが見えなくなっていく。
身体と魂は乖離し、そこにダークエナジーが入りこみ、コントロールする。
このところの世のなかの不安定さ。
本性が浮き彫りとなり、隠れてひとを操っていたダークエナジーも姿を現す。
さて、わたしはこのときだからこそ、内省の時間を多くしている。
年配の女性を介して、姿を現したダークエナジー。
それは、わたしの恐れとリンクするものでもあった。
意思を貫けば、多勢に無勢で叩かれることもある。
それはこの世界でも同じ。
見えざる力に頼り、操れば、古い時代なら火あぶりの刑。
どんな時代でも、ひとは自分の理解を超えるものは怖い。嫉妬の感情をもつこともある。
自分では当たり前の力、生まれながらの力であっても、他者には理解されにくい。
そして、迫害されることもあった。
ひとの憎悪が怖い。
迫害されることが怖い。
そのことでひとを憎み、自分のなかのネガティブなエネルギーに気づくことが怖かった。
魂の本質には、この惑星のために転生していると書き込まれているはずが、なぜ? 疎まれる?
現象と本質の最中で苦しむ。
その恐れは、今生でもひととなって現れた。
会社のなかで、逃げれない状況でそのシーンはやってきた。
逃げたくなかったというのが本音かもしれない。
この世界でおこること、学びと気づき、魂を成長させ、霊性を高めるためのレッスン。
過去生からの積み残し。
迫害による、恐れ、憎しみとの対面。
だが、以前は今ほど覚醒はしていなかったので、なにが起きているのかが分からなかった。
状況に溺れ、苦々しい感情に翻弄された。
そんなわけで、手放しがうまくいかず、経験と学びは繰り越し。続く。Continue。
雪の日。
過去生でも今生でもお馴染みのエネルギーを感じたことで、記憶が蘇る。
祈りと瞑想。そして内省。
様々な迫害シーンを思い出しながら、身体の感覚を感じ続ける。
胸のあたりに硬い塊を感じた。
両手でそれを取りだし、目の前に置いた。
それは、溶岩のようなゴツゴツした岩のようにみえる。
片手にのるほどの大きさ。そんなに大きくはない。
もちろんイメージのなかでだ。
わたしは、溶岩に語りかける。
過去生から続く「恐れ」のエネルギーが固まってできたもの。
スピリットからのメッセージ。
「魂が学びのために設定したエネルギー。ハートのチャクラをブロックしていた」
それを見つけ、手放すことも、魂の旅の目的のひとつ。
「恐れ」によって、自分を信じることができなかった。
「恐れ」によって、魂とつながり、その本質を生ききることができないでいた。
「恐れ」によって、大宇宙とのつながりを感じられないでいた。
ひとつ、ひとつと持ちつづけていたネガティブエネルギーを手放してみると、ハートのチャクラのエネルギーをせき止めていた「恐れ」という溶岩が現れた。
信じる。
それは、大宇宙へとつながる大きな道すじ。
ネガティブエネルギーに言葉をつけるなら多種多様だ。
恐れといっても、様々ある。
しかし、今回「恐れ」は、自分を信じられなくし、魂とのつながり、大宇宙とのつながりを希薄にするもの。
だから、ここでの対面と手放しはとても大きなことだった。
魂が転生を続ける意味。
魂の本質によって現象は様々。
ただ、どんな魂も経験と学び、気づきによって魂を成長させ、霊性を高める。
自分は地球を救うためにやってきた高潔な宇宙ソウルだから、特別!
そのサイクルは免除されている・・・はず!
ない、ない! それは、ない!
どんな魂であっても、大宇宙からするなら自分の分身であり、取りこぼしたくないもの。
可愛い子には旅をさせろ
獅子はわが子を千尋の谷に落とす
そもそも霊性の高い魂ならば、この世界での学びも濃くなる。
ふと、ディケンズ作「クリスマス・キャロル」の三人の幽霊を思いだした。
季節外れの雪の日にみた年配の女性とクリスマス・キャロルの主人公 スクルージ老人の姿が重なったのかもしれない。