ひとのうちには光と闇がある。
同じように、家族、地域、学校、会社、サークル活動・・・様々な社会活動でも、光と闇は存在する。
国家も、世界も、惑星も、宇宙にも。
そしてまた、国土にもそれは存在する。
モノに太陽の光が当たれば、当然、影はできる。
影が濃ければ濃いほどに、それは太陽の光が強いことを意味する。
昨年の夏だったろうか。
四神についてのメッセージがあった。
四神というと、すぐに思いつくのは、京都、風水、安倍晴明だった。
昨年10月京都へ赴き、なにやら、地を守る地龍の動きが感じられた。
とくに大きな気づきもないまま、そうこうしているうちに年もあけ2020年1月にまた京都を訪れた。
そのとき開催した宇宙ソウル交流会ででた言葉。
霊界が京都 現界が東京。
今日はふと、それが蘇った。
二極化。表裏一体。霊界と現界は連動している。
霊主肉従 ならば、霊が京都 肉が東京。
東京は経済の中心であり、お金を産みだす役割。
一方京都は、国の霊性を守る役割。
しかし、ここ何年かの観光客の増加によって、霊性を維持することがままならなくなっていたのかもしれない。ひとが生活し、生きていくうえで、経済の活性はとても大事なことだから、やむおえないことだろうとも思う。
ここ最近というよりも、長い年月をかけて、徐々にエネルギーの流れが変わってしまっていたのかもしれない。地球のアセンション・変容によっての地軸や磁場の変化なども大きく関わっただろう。
そして、結界が弱まった。
磁場が変われば、当然ひとへも影響する。とくに、魂とつながることなくフワフワと生きていれば、ネガティブエネルギーの影響をうけ、現象となって現れる。
ただ、京都の場合には、周囲に聖山が多く、大宇宙との接続ポイントとなり、そこからエネルギー供給を受けているため、壊れたエネルギー基盤が修復しやすいように思う。
西のエネルギーの乱れは、当然、東へと大きく影響する。
首都東京、 人口が多いから当たり前といえばそうなのだろうが。
関東の中心は、東京。
東京は東京で、江戸時代に南光坊天海なるひとが結界をほどこしている。
だが、江戸と東京は違う。
そして、東京の場合には、エネルギーポイントとなる山が遠い!
スカイツリーひとつ建てても、埋めたり、建てたり、これだけ地形を変えるとエネルギーラインを大きく変えていれば、土地の波動は極端にさがり、当たり前のようにひとの心身にも影響をおよぼす。
なにもこれは日本だけではなく、世界各地でおこっている現象なのだろう。
大宇宙からのエネルギーを受信するためのポイントとなる八百万も頑張っている。
しかし、本来受信する場所から移動されてしまって、あれれ? あれれれ?ということになる。
例えば、始まりは◯◯神様を祀る石があった。石は神の依り代だ。
なぜ、そこに依り代となる石を置いたかというと、そこが微妙ながら大宇宙とのエネルギーが通じる時点だったからだ。
だが、後の世で、そこに住宅を建てることになった。また東京大空襲で、石もあったもんじゃないということだったかもしれない。
石が移動された。
確かに、ひと的意識ならば、石が神さまなわけだから、丁重にお祭りすればそれでヨシ!という考えだったろうが、石が「その場所」にあることが重要だったわけだ。
役割によって、大宇宙からの精妙なるエネルギーを受信する。
受信したエネルギーをこの世界へと配信する。
配信されたエネルギーでひと的世界をつなぐ。・・・など、それぞれ頑張っていた。
大宇宙からのエネルギーポイントとなる受け皿として地の神が配置され、さらにそれを守る魂たちによって、集落的なものができあがった。
・・・が、しかし、難しい局面というより、次の展開の時期がきたのだろう。
大宇宙のエネルギーと合わせるために、地球は変容している。
この移行期、この世界が混乱し、人びとのこころが疲弊するときに地球にやってきた宇宙ソウル。
魂の本質によっては、地の神々と精霊たちと協業して行なうミッションがある。
地の神が受けとったエネルギーをこの世界に運び、つなぎ、広めるのが役目。
この混乱した時期に出会わされた神使いが何人かいる。
その方々には、明確なメッセージがあった。
霊から現へ
大から小へ
神エネルギーを運ぶご奉仕をせよという。
なにも難しいことではない。
どこかの団体に所属して、神仏を拝み倒すとか、そういうことではない。
献金しろとか、お守り買うとか、そんなことでもない。
例えば近所の神社に行って、もうひとつ隣街の神社に行ってみる。
そういうことだ。
神エネルギーと神エネルギーの交流。
ひとつ目の神社で神使のエネルギー体に書き込まれた情報を、次の神社でそれを交流させる。
また、効果的なのは、霊性の高い神社にお参りしたり、エネルギーポイントとなる聖山へ赴いたその後、近くの神社へ行き、エネルギー交流させることだ。
えっ!? そんなこと? しかも自分が? と、疑いたくなるようなシンプルなことだ。
霊主肉従。
それが魂の本質に書き込まれているのなら、霊的な事柄を後回しにすると、実は、現界における自分の日常もうまくいかない。
とくに、宇宙ソウルはそれが顕著に現れる。
霊的活動をないがしろにし、欲に惑わされていると、軌道修正を余儀なくされる事象、現象となるのだ。
ひと的意識にとらわれ生きていると、そんなことバカバカしい!と思うかもしれないが、最初はそう思って始めた行動で、魂が成長していく。
なんといっても、魂がひととなりこの世界へやってきたのは、様々な経験を通して、霊性を高めることにある。
さて、そうはいっても、この世界がなにやら騒がしく、外出自粛などもでている地域もある。
いま、無理にでも神社に行かねば!霊的活動をせねば!神様助けなきゃ!ってことでもないだろう。
とくにその活動に恐れを感じるのならば、できることからでいいように思う。
世の中的に自粛!なのに、怖さを抱えつつ動いても、いつの時代の隠れキリシタンのようになってしまい、その恐れは周囲からの迫害という形で現れるからだ。
もしかすると、魂を成長させるため、迫害までも筋書きに書き込んできている魂もあるかもしれないが。
過去生で、わたし自身がそうだったから、それは分かる。
それぞれの魂によって成長段階があるから、内なる声にしたがって活動すればいい!