過去生でお馴染み 奉仕の心 cosmic connectのブログ vol.59

2018.1.31  Chikako Natsui
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ヒーリングを受けると、
まれに「好転反応」がある。
身体が怠くなったり、風邪のような症状に
なったり、熱がでたり、頭が痛くなったり、
咳がでたりすることがある。

1月半ば、そんな状態が何日か続いた。

したいことは山ほどあったが、どうにも気分が
乗らない。身体が動かない。だるい。だるい。

そんな時に限って打ち合わせなどの予定が
延期になったり、中止になったりする。

これも必然。

そんなわけで、瞑想・瞑想・瞑想・・・。

確かに今年に入って走っている感じは
少ししていた。

でも、心身ともに調子いいぞ!と、
思っていたので、結構アクティブだった。

が、しかし、さらなる私の次元上昇のため、
1つのハードルが置かれた。

「何もしない自分を受け入れ、認め、愛すること」

「頑張らなければならない」という思い込みを
手放す。

「自分の内面と」つながる、つながる、つながる・・・。

ただそこに座り、自分の内面とつながっている。

「何かしなければいけない」
「何もしない自分は価値がない」
「一生懸命やらなければならない」
「日中は仕事をするもの」
「頑張らなければならない」
「失敗はしたくない」
「できない自分と思いたくない」

う〜ん・・あと、何あるかな?・・・





自分のためではない働き方をしていたことを
一昨年の夏くらいに気づいた。
手をボロボロにしながら、全身の痒みを我慢しながら、
誰かのために、何かのために頑張っていた。

気づきを得て、自分が変わり始め、一気にそれは
加速した。

「何かのために頑張る」
「何かのために身を粉にして働く」

それは過去生からのお馴染みの感情と行動。

「奉仕」

神に仕えていた多くの時代を魂は
覚えている。

毎度のことなので、案外やっちゃうし、
何かのために奉仕することが嫌いでもない。

だが、自分の身を粉にしてやる必要はない。

さすがに今世でそのカルマは清算しよう。

高校3年の時の担任の先生に「ちゃらんぽらん」と
言われたことがあった。

それは一理ある。笑

自分でも思うところがあったせいか、
言葉に囚われてしまった。

でも、三次元の社会生活をおくるには、
その言葉は効力があった。
良い面と悪い面の両面で。
良い面は、枠が苦手な私を社会に収まらせ、
それによって色々と経験することができた。
反面、窮屈さを感じ、本質じゃない自分を演じ
続けた。物事の全体像やホントウの意味が
分からないと、自分にとって不都合な面だけを
クローズアップしがちだ。

「自由だね」

と、いわれることが多い私だったが、
こう言葉にだしてみると、「ちゃらんぽらん」
という言葉に結構囚われていたんだなと気づく。

「何もしていない私には価値がない」

そんな思い込みを手放し、自分自身を天に委ねる。

スピリットガイドは常に導き手を守り、愛してくれている。

「私はこのままでいい」
「私はこのままで完璧だ」
「私は完全だ」
「私は愛されている」
「私は愛と光を受け取るにあたいする」

「できていない自分」を認め、受け入れられたとき、
また少し私の次元が変わった。