様々なチャンネルで大宇宙のエネルギーがこの世界へ現れている。
少し前に興味深いセッションがあった。
※ご本人了承のもと記事にしています。
いらした方は、長らく日本の伝統芸能に携わっていた。
和やかに挨拶も済み、ご相談内容に入る。
それは突然やってきたような感覚があった。
その方が追求されている芸能の祖ともいわれるエネルギー。
なにをどう話したのか、さっぱり覚えていない。
どのような言葉をつかったかは忘れてしまっているのだが、大体を要約すると、次のことのようだったと思う。
伝統芸能の多くが、大宇宙のエネルギーをこの世界へと伝えるために作られものよう。
ひとに分かりやすく、癒しながら、楽しく、感動させ、思考・感情・魂を揺さぶる。
無意識を感化する。
しかし、多くの教義と同じように、年月を減れば経るほど、神髄・真髄からかけ離れてしまった。
どんな芸能も芸術も、そもそも神の代返者としての意味があったはず。
芸能者や芸術者は、いわば、神とひとをつなぐ役割。
神へ捧げ、神よりの託宣をうける。
神からのメッセージをよりわかりやすく人々に伝えるため、あらゆる芸能や芸術がこの世界へ登場したのだろう。
それぞれの祖は、いわば、大宇宙からの指令をうけた高次のマスターたちがひととなり、この世界へやってきていたように思う。
だが、芸術は学術的となり、その世界でひとに認められること、ひとから評価されること、売れること、儲かること、楽しいのがいい、ウケるのがいい。それが当たり前の世界になりつつあるのかもしれない。
思考や感情を刺激するが、ぞれぞれの始祖のエネルギーは後世の作品や演者から感じ、見つけるのが難しい。
魂が感じられない
始祖の想いは見当たらず
神のメッセージは聞きとれず
大宇宙のエネルギーは感じられない。
神性が見当たらない。
そんな作品が多くなっていったのかもしれない。
芸能とは?
芸術とは?
神をみて
ひとをみる
神を聴き
ひとを聴き
そして、
神とひとをつなぐ道筋・・・
ひとをみる、ひとを聴く。
始祖の想いを知るには、ここがポイントのような気がする。
神とひとをつなぐには、どっちの世界も深くしることが必要。
どんなひとのうちにも神はいる。その神を描いてこそ、演じてこそ、神をつなぐことになる。
知識のなかの神や始祖ではなく、
ひとのうちの神を知ることが大宇宙からの問いかけのように思えた。
それには、多くのひとが閉ざしてしまった五感を開いてこそ、神もひとも感じることができる。
セッションの話に戻すなら、どうやらマスターたちが、芸能や芸術のチャンネルを復旧し、縁のある魂を介して、この世界に大宇宙のエネルギーを顕現させようとしているようだと感じた。
大宇宙のエネルギーが動いている。