午前1時 丑時。
ここ2〜3週間ほど、1時を10分過ぎたあたりに目が覚める。
なにかエネルギーに反応しているともいえるし、アストラル界である部屋から別の部屋へと移り変わる狭間のようにも思える。
そこからすぐ寝つくときと、窓からぼんやり外を眺めたり、月の光を浴びながら瞑想したり・・・大体午前2時ごろには、改めてアストラル界へと戻っていく。
その日も、同じころ目が覚めた。
寝室に隣あう居間へ目を向けると、そこには、まるで水族館の大きな水槽のなかを泳いでいるのかと思うほど、魚たちが泳いでいる。
泳いでいる? そこに水がないわけだから、飛んでいる?
異次元の扉が開く時間。
意識の狭間にあって、そのような映像をみた。
別の世界では、魚が空を舞うことも、水のない部屋のなかで魚が泳ぐことも、そんなこともあるよね〜と思う。
しかし、その日は、なにかが引っ掛かり、自分のなかでなにかが動き、またすぐに寝つくことができなかった。
窓を開け、昨日と今日の切り替わりのエネルギーを感じながら、ぼんやりとも瞑想ともどっちつかずの時間を過ごす。
天空にあるもの、地へ引き下ろされているもの、意識の向こう側に、あれこれ見ているようだが、流れていく。
この時間に目が覚めるようになる少し前からは、ハートのチャクラが異様な活発をみせていた。
ときには苦しくなるくらいの活発さ。
高い次元のマスターからなにかを受信している。
それが収まるのと前後して、丑時のメッセージ。
異星のエネルギーを受けとり、安心したのか、まもなく寝ついた。
それでも、アストラル界での活動は続いていたのか、いつもぐずぐずと7時くらいまでは布団のなかにいるのだが、夜中からのなんとも形容し難いエネルギーのただ中にいるのが続いているようで、6時前に目が覚めた。
起きてすぐ気になったのは、やはり、部屋のなかを我が物顔で泳ぐ魚たち。
浮かぶ言葉が2つ。
プレート
昔は海
プレートとは、地震などが起きたときによく聞く言葉だ。
関東周辺には、太平洋プレート・ユーラシアプレート・フィリピン海プレートと3つのプレートがせめぎ合っている。
それは以前から知っていた。
なんだろう? このプレートが動いているというのだろうか?
自分の振動数なのだろうか、地球の振動なのだろうか。小刻みな揺れを身体で感じることがある。
だが、このとき目に入ってきたのは、「関東フラグメント」という言葉だった。
関東フラグメント
太平洋プレートの断片が関東地方の地下に存在しているとの仮説に基づくプレート構造である。
関東付近は、ユーラシアプレート(若しくはアムールプレート)の下に、西北西に向かうフィリピン海プレートが沈み込み、さらに北西に向かう太平洋プレートが沈み込んでいると考えられている。仮説によれば、関東フラグメントはおよそ200〜300万年前に太平洋プレート上の海嶺がプレートの下に沈みこもうとした際に、抵抗が増大して太平洋プレートが破断して生じたプレートの断片とされる。関東直下の栃木県南部から神奈川県北部までの地域の深さ30〜100km付近に、厚さ25km、100km四方にわたって存在しているとされる。現在は太平洋プレートがこの断片の下にさらに沈みこもうとしており、関東直下は4層のプレート構造を成していることになる。
プレート境界が多いため、このような地域の直下では地震が頻発すると説明されている。さらに、このプレート断片は陸化した地域の直下にあるが下部にプレート境界が存在するため、比較的規模の大きいプレート間地震(海溝型地震)が直下型地震として発生することになる。仮説では、1855年の安政江戸地震もこのタイプの地震だったと推定している。今後懸念される首都直下地震が、このようなタイプの地震として発生する可能性が指摘されている。(Wikipediaより)
関東フラグメントは、現段階では仮説とされているが、まったく考えられない話ではない。
また、関東フラグメントが影響して起こったであろうとされる地震の震源地を見てみると、ふと、あることが浮かぶ。
氷川神社
氷川神社は、武蔵国に一の宮があるように、多くが関東に集中している。
ご祭神は、スサノオファミリー。
氷川とは、島根県を流れる斐伊川に由来する説がある。
スサノオで有名なのは、八岐大蛇伝説。
古代たびたび氾濫していた斐伊川は、この八岐大蛇の正体なのではないかといわれている。
話を関東に戻してみれば、
鹿島神宮や香取神宮にある要石がおさているのは、大地震を引き起こすといわれる大鯰。
大鯰とは、関東周辺にある3つプレートを表現しているのか。
そして、いまの時代、比較的内陸に鎮まる氷川神社は、関東平野の地下にあるといわれる関東フラグメントを鎮める。
四方拝といって、元旦の宮中祭祀で天皇陛下が遥拝する神社のひとつであることに納得する。
さらに、もうひとつのメッセージ。
「昔は海」
縄文時代、わたしがいま住んでいるところは、海だったという話につながる。
近くを大きな川が流れていて、昔は暴れ川だったと聞いたことがあったが、古地図を見てもそれらしいことは読み取れなかった。
しかし、「海」といわれてみると、貝塚という交差点があることを思い出し、改めて調べてみれば、土地の古老たちから聞いた話や縄文時代はこうだったという地図をみてみると、それが証明されていた。
で、・・・?
そう思いつつも、今朝の映像と集めた情報をシンクロさせてみる。
ブループリント!
「そのように」大宇宙が創造したのなら、「そのように」なる。
「水の氣」には、水が引き寄せられる。
幸いなのは、海へとつながる川があること。
山のエネルギーは川を降り、集落を包みこみ、エネルギーをシンクロさせながら、海へと流れこむ。
海のエネルギーは川を遡り、集落を包みこみ、エネルギーをシンクロさせながら、山へ。
ひとは、その地を現すスピリットに引き寄せられる。
その地のブループリントに引き寄せられる。
住んでいる場所が住宅街という場合でも、そもそも、その地は?を知ってみると、自分自身を、魂のグループを知ることになり、つながるかもしれない。
また、都会でありがちなのは、川や用水路を塞いでしまい、水の氣を封じ込めてしまうこと。
さらに、それを鎮めるためにある神社の氣が穢れるのなら、祓いが生じるかもしれない。
そもそもが「水の氣」の場所なら、水があることが必然! 当たり前。水大好き!
海から? 山から? 川? 天から、水が溢れかえる。
その地に住まうひとにとっては、迷惑このうえないことだが、大宇宙からするなら、そもそもに戻しただけのことなのだろう。
ところで、わたしの住む周辺に多いのは杉山神社。
その多くは、ご祭神が、五十猛神と日本武尊。謎の多い神社らしいのだが、鶴見川水系の川の近辺に鎮座し、拡大したとみられる。
五十猛神は、スサノオの子どもで、樹木の神とされる。
杉山に祀られていたという説や樹木の神である五十猛命と杉林に因むという説、船舶材として使用されていた杉の木に因むという説など諸説ある。また当社の由緒についても不明な点が多いが、出雲民族の末裔(五十猛命)が紀州熊野より海人族を引き連れて伊豆半島や三浦半島に辿り着き、後者を経由して鶴見川水系に住み着いた一族の頭領が杉山神社を創建したという説がある。(Wikipediaより)
うえの説にもなるほど!と思い、さらに樹の神さんを祀ることで、地に水の氣を残したのだろう。
樹は水をつくり、守る役割がある。
そもそも海だったところを、田んぼにして、集落にしての時代変遷。水の氣はどんな形にしろ残す必要はあった。
また、これとは別に、弁財天である市杵島姫神をルーツとする杉山神社もあるようだ。
我が家の居間を悠々と泳ぐ? 飛んでる? 魚たちを思い出しながら浮かぶ言葉は、上述の解説にもあった海人族。
豊玉姫を思いだす。
富士山の麓の樹海にある竜宮洞窟 剗海神社 がある。
ご祭神は、豊玉姫命・木花開耶姫命。
言い伝え:
士講八海巡りの青木龍神としての霊場であり、社殿の側の水を借りて祈願すると必ず降雨ある霊験があるとされています。富士山貞観の大噴火以前は西湖から精進湖までつながっている、剗海という大海がありました。(富士の国山梨観光ネットより)
このところ、富士山にまつわるスピリットが忙しい。
氣は氣を呼ぶ。
それは自然界だけではなく、ひとも引き寄せられる。
ひとと地にある氣、その地にある八百万と縁がある。
生まれた場所、引き寄せられた場所。
意識に上がっていてもいなくても、何気なく訪れた場所であってもだ。
氣と氣のシンクロニシティ。
ひとと八百万。お互いに必要があって集合している。
地球の大スピリットはなにをいっているのか?
自然界のスピリットはなにをいっているのか?
抑え込むのでなく
逃げるだけでなく
恐れるだけでなく
界と界を超えた スピリットのパートナーシップ!
地球は変性している
新しい地球へと
太陽系は変容している
新しい太陽系へと
ワンネスへと向かっている。