目の前の世界は自分の内面を映す鏡。
自分が幸せであれば、目の前の世界は平和そのものであるし、
自分の中に、恐れや不安、怒りなどの感情が渦巻いているのなら、
目の前の世界は戦争状態となる。
他者の幸せ、世界平和を願うならば、一番の近道は自分が幸せと感じられるようになることだ。
多くの人が、頭ではそれを理解していると思う。
だが、ホントウの自分とのつながりを切ってしまっているために、
自分よりも他者に自分を取り巻く環境に意識がいきがちだ。
別の言葉でいえば、肉体的な自分と霊的な自分のつながりが弱い。
そのために、高次から、魂からのメッセージを受け取りにくくなっている。
だから、自分自身が幸せになろうと低次(肉体)レベルで努力をする。
努力・・・か。
変だ。
幸せになるのに、努力が必要なのか?
高次と低次、霊性と肉体がしっかりつながっているのならば、宇宙からの応援は
送られてくる。
でも、人間は、幸せになるために、自分にとって必要のない努力を必死でして、
挙句に疲れ切ってしまっているようにもみえる。
猛吹雪の中を背中を丸めて必死に歩き続けている旅人のイメージがでてくる。
歩みを進めるのも大変だ。必死すぎて、目の前のことを正しく認識できず、
道を間違ってしまっている
人生を旅にたとえるとするならば、誰もこのような旅をしたいと思わない。
だから、悲惨な旅とならないように、頑張る、努力する。
でも、人生という旅は人それぞれ目的地が違う、手段も、感じ方も違う。
人生という工程表が違う。
もしかしたら、一生懸命スペイン語を習ってスペインに行くつもりが、
隣の人にくっ付いて行ってしまってフランスに着いちゃった。
スペイン語が・・・通じない。・・・だから、フランス語の習い直し。
・・・っていうか、そもそも自分はスペインに行って、サクラダファミリアの建築に参加する
はずだったのに、なんで、フランスに来て、ワイン作りをしてるんだ?
生まれる前の人生の工程表に、スペイン・サクラダファミリアって書かれていたのに、
間違っちゃったな・・で、年齢も年齢だし、なんとなく、
フランス語も話せるようになって来て、ワイン作りも覚えることもできたから、
ここにいようかな・・・。
また一から何かを始めたり、人間関係作るのも面倒だし・・・。
何より必死に努力して勉強したワイン作りを止めるのが勿体ない。
あの時間が勿体ない。
という感じだろうか。
例え話であっても、この人の魂にはスペインに行くことで何かしらの使命を果たす必要があった。
それがなされないということは、恐らく、今生なのか、来世なのかは分からないが、
その使命を果たすための転機が、また違った形で訪れる。
その時その人は思うかもしれない。
フランスで足踏みしている場合じゃなかったと。
人生の工程表は人それぞれ。旅は何がおこるか分からない。
ならば、私は、私の工程表に従って旅を続けよう。
ただ、猛吹雪の中を旅するのは嫌だな。寒いのは苦手だから。
そんな訳で、私の旅は、努力しなくてもいいようにしよう!と、決めた。
だから、努力、根性、頑張る・・・などの自力を手放す。
目の前の世界は自分が創りあげる世界。
では、私の中から「苦労」という言葉を消してみてはどうだろうか。
そうすることで、より自分の本質と繋がることができる。
ハートから聴こえてくる声に耳を傾ける。
大いなるもの・宇宙は、スピリットガイドを通じて私にどんなメッセージを送るのか。
八百万の神々のメッセージは?
メッセージを受け取ったなら、そこからは自分のペースで一生懸命その道を歩む。
自力を手放し、天に委ねたとき、何がおこるのか・・・。