宇宙神子
父なる大宇宙への仲介者!
人びとは、
「愛」となる。
その気になるなら、
「愛」を
創りだすことができる。
「人類は言い訳をやめて、世の中を変え始めないとだめだ」と、国連で演説する恐竜をみた。
もちろん本物ではない。
BBC NEWS Japanによれば、
「絶滅を選ぶな」キャンペーンの一環として、気候変動問題への関心を高めることを目的に制作されたCGだ。
一説には、恐竜の絶滅は太陽でスーパーフレアが起きたことによるという。
太陽フレア
通信衛星やGPSなどに影響があるかもしれないと、ここ数日ネットニュースなどでも注意喚起がされていた。
惑星・衛星の動き、配置や軌道は、それぞれに影響しあう。
地球にあるすべての生命体に影響をおよぼす。
合わせて、小笠原諸島付近での海底火山から噴出した大量の軽石が、海流に流され沖縄や鹿児島の離島に流れ着いたニュースが繰り返しテレビなどでも放映されていた。
それと、以前みた旧約聖書 創世記にあるひとつの場面を思い出した。
時事ネットニュースによれば、3600年前神の怒りにふれ、天から降った硫黄と火によって滅んだとされる死界周辺にあったというソドムという街。
天が動き
地が動き
引き合う・反発しあい、現象をもたらす。
それを、霊(スピリット)的にみるなら、
星を動かすのは、父なる大宇宙。
すべては、大宇宙
なにひとつとしてそうではないものはない。
すべて、大宇宙の聖なるコード上にある。
万が一、そこからはずれることがあるならば、
もとに戻す力が強力に働く。
もし、この惑星上に、大宇宙の法則からはずれたエネルギーがあるなら、元に戻す力が強力に働くだろう。
父なる大宇宙は、星を動かした。
それは決して気まぐれではない。
大宇宙の法に即してのこと。
ソドムとゴムラが悪がはびこる街として滅ぼされようとしたとき、アブラハムは、その街に正しき者が10人いても滅ぼすのかと、主にとりなした。
主は、10人のために滅ぼさないだろうといわれた。
この世界には、さまざまな段階の霊(スピリット)のグループが、ひととなり、学びをしている。
そういった魂たちは、大宇宙の法から逸脱しがちだ。
そのまま、地獄にあるような魂となり、周囲を巻き込み、もろとも救われる機会を失くしてしまう。
人びとのエネルギーレベルが落ちると、シンクロしている異世界にある霊(スピリット)のレベルも落ちていく。
ひとも土地も、動物も、自然も、さまざまな現象をひきおこす。
徐々に収集がつかなくなり、やがて、その地は大きな浄化がもたらされる。
そうならぬよう!
惑星にやってきたサポーターたちは、人びとが不穏な状態にならぬよう、エネルギーレベルが落ちないように、霊性を保ち、高い波動を保つ。
そのとき、アブラハムが主へそうしたように、父なる大宇宙へとりなしをする。
これは、特定の教義・宗教ではない。
神頼みでも、誰かを罰するのでもない。
魂が霊(スピリット)のグループに参加するなら、真がみえてくる。
そのグループがなにか?
どのような意味や目的があって、この惑星にあるのか?
わたしを通し、グループはなにを表現するのか?
いま、ある、自分は、グループの表現である。
(ナショナル ジオグラフィック協会より)
ソドムとゴモラとは、旧約聖書の「創世記」に出てくる街の名前です。
神に対して多くの罪を犯したとされるこの二つの街は、キリスト教圏では退廃的な都市の代名詞としてよく使われます。
ソドムとゴモラは結局、神の怒りに触れて滅ぼされたことになっています。
ただ、ソドムに住んでいたロトと二人の娘だけは、事前に神からこの二つの街を滅ぼすことを告げられ、救われました。
ソドムとゴモラは、ロトが移住する以前から悪事がはびこる街として有名でした。
その悪事とはどんなものだったのか「創世記」には詳しく書かれていませんが、ソドムの街の男たちが、神の派遣した二人の天使を辱めようとしたことなどから、性的に放埒(ほうらつ)であったのではないかと考えられています。
神はソドムとゴモラを滅ぼそうとしますが、いったんはアブラハムのとりなしを受け、正しい人が一〇人いれば滅ぼさないと約束します。
そしてソドムへ二人の天使を派遣して調べさせますが、ロト一家以外に天使を歓迎する人がいなかったため、ソドムとゴモラは滅ぼされることが決まってしまいます。
(旧約聖書 創世記より)
主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。
それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、
目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。
彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、言った、
「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。
水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。
時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。
アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。
わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。
これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。
主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、
わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。
その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。
アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。
アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。
もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。
主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。
アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。
主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。
アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。
主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。
アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。
主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。
アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。
主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。
主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。
アブラハムは自分の所に帰った。