【祈り】アラハバキはシュメールにつながる!?      荒脛巾神社・福島県

2021.10.1  Chikako Natsui
/ / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / /

 

神の印と獣の印

聖別は惑星の変容の都度、行われている。

あいつがどーの、こーの決められるのは、父なる大宇宙のみ。

 

だが、それはひとだけに言えることではない。

大宇宙にあるすべてのスピリットにいえること。

 

地にある八百万や精霊も例外ではない。

上がれば、進化!

下がれば、やがて消え失せる運命をたどる・・・

 

それに影響をおよぼすのが、ひと!

 

聖なる氣を向ければ、聖霊となり、

邪なる氣を向ければ、邪霊と化す。

 

お友だちは選ばないとね!

 

と、人間だったらいえるが、

いやいや、人間世界でも、最初は気が合う友人でも、あれ? なんだかこの頃、一緒にいると落ち着かないなんてことは、よくある話。

この世界の大概の人間関係は、学びの過程のひとつ。

学び合いが終われば、縁もまた終わる。

 

人間と八百万の関係に話を戻すと、こちらはもっと単純明快な関係性。

人間関係のように、本音と建前を使い分けられないので、向けた氣がそのまま返される。

 

民話や伝承などにあるものの怪、妖怪の類いは、そもそもはひとの氣に端を発している。

 

ひととは、美しきものであり、厄介なものであり。

陽にあり、陰にあり。表があって、裏もある。

それを理解し、自分で使いこなせるようになるのが、これもまたひとつの修練。

うちに神と獣をあわせ持つ、人類の宿命!

 

うちなる神を尊ぶか?

はたまた、うちなる獣に喰い殺されるか!?

 

 

さて、今回は、謎の神・アラハバキ神を追っての旅!

 

夏休み帰省中のこと。

福島県会津若松市にあるアラハバキ神社へ赴いた。

 

例年の会津地方の夏は暑い。

しかし、今年のお盆の頃は肌寒く、この日は雨が降っていたせいもあり、一層そう感じた。

 

アラハバキ神社

インターネットで調べても、詳しい情報はみえてこない。

わたしが見落としたのかもしれないが、現地にも詳しい石碑などが見当たらない。

これは想像だが、土地神・鎮守としてアラハバキ神がお祀りされ、人びとから大事にされていたのであろう。

アラハバキ神は、さまざまに顔を変えていることが多いようなので、伝承や書き置きなどを参考にはするが、実際に訪れてみて、その地のエネルギー、八百万が鎮まる場所や依り代となるご神木や岩、周辺にある自然などに耳を傾ける。

そうすると、歴史の狭間でひとの都合でどうのこうのあったとか、真とかりそめがぼんやりとみえてくる。

 

 

ところで驚いたのは、こちらのアラハバキ神社。それほど長くない参道に、三の鳥居まである。

鳥居の状態をみると、徐々に参道が延ばされていったのだろうか。

鳥居をくぐるたびに、ひと的世界から、神域へと境界が変化していくのだろうか。

鳥居の数や後から建立された石塔などをみると、人びとに大事にされているのだろうと想像した。

 

 

最初の鳥居の前には、古峯神社の石塔。

実家や自宅で祀っているのが、古峯神社のお札なので、少なからず縁を感じた。

 

 

 

 

 

二の鳥居!

一の鳥居より、年代が古く思える。

 

 

三の鳥居。

むかしむかしは、ここからが神域だったのだろう。

 

 

拝殿。

たくさんの鈴が下がっていた。

 

 

拝殿脇にあった樹!

ご神木とはされていないようだが、とても立派な風情!

 

 

横からみた、拝殿・本殿。

 

 

本殿の横には、下の写真にあるような小さなお社があった。

なにをお祀りしているのかは、分からない。

 

 

 

この日、境内のなかで一番大きな氣を発していたのは、したのお社。

これまた、なにをお祀りしているかは、不明。

 

 

 

樹々たちに守られるようにあるお社。

赤い屋根が目を引く。

 

 

 

それほど広くない境内だったので、お参り・撮影に時間はかからなかった。

 

これまで3つ、4つとアラハバキ神を参ってきたが、共通するエネルギーがあるものと、ないものと。

そのため、謎は謎のまま。

いえるのは、ほとんどのアラハバキ神は、あえてベールをかぶっているか、顔を背けているのかと思えるような感覚がある。

怒っているわけでも、恨んでいるようなエネルギーも感じない。

だからといって、ひと的世界に協力的なようにも感じられない。

 

アラハバキ神と調和するには、まだ時間が必要なようだ。

 

ところで、今回訪れた土地の名前が、「赤井」という地名。

他のかたが言われている情報などを読むと、

製鉄にまつわる土地ゆえに、赤茶けた水が流れ、それで赤井になったとか。

その水は涸れない水だったとか。

 

さらに、アラハバキ神を研究している菊地栄吾さんという方の「アラハバキ考」を拝見すると、シュメール文明からつながっていることも記されている。

それは、わたしのうちなる声とピッタリするものでもある。

 

失われた文明。

シュメールの砂漠の地から満点の星々を見上げるなら、その視線の先には、また違った世界が広がっている。