かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀と滑った
後ろの正面だあれ? (童謡 かごめかごめより)
夢か現か
現か夢か
異次元
異世界
現界と霊界を行ったり来たり
魂の経験・学び
そして、マスターし続けている。
富士山からのエネルギー中継点でもある箱根の山に氣が向いた。
この度は、たまに行く箱根神社ではないようだ。
なんのキーワードで検索したか忘れたが、諏訪神社がでてきた。
この頃、猛々しい神さんとの縁が続くな〜・・などと思いながら、アクセス方法などを調べてみた。
そこで、諏訪神社と一緒に管理されているらしい、公時神社について知った。
金時山山麓に立つ神社で、金太郎のモデルになった平安時代後期の武士、源頼光[みなもとのよりみつ]に仕え四天王の1人に数えられた坂田公時(さかたのきんとき)が 祭神として祀られています。毎年子供の日には「公時祭まつり」が行われ、国選択無形民俗文化財に指定されている“湯立獅子舞”が披露されます。
(公時神社HPより)
祭神の建御名方命は、「古事記」にも登場する風雨・水を司る国土開拓の神であり、諏訪大社(長野県)の主祭神として広く尊崇されています。特に戦国武将・武田信玄の厚い信仰に知られるように、武の神としてもたいへん崇められ、今では全国に一万有余の分社が存在しています。
当神社は、この祭神の御分霊を勧請した神社とされ、その創立は定かではありませんが「相州西部西筋仙石原村かがみ」の記載によれば、すでに江戸時代の寛文12年(1672年)には、当地での鎮座が認められ、明治6年には、村社と定められました。(公時神社HPより)
諏訪神社に到着してすぐに、池のなかにある小島に氣が向く!
シンクロしたのだろうか。
風が吹く
陽が射す
静寂
たまに鳥の声、風のそよぎ・・・
静寂・・
階段を上り、拝殿へ。
撮影してみると、屋根のあたりにもやんと白いかげ。
今日はスピリットがいるようだ!
光の儀式!
陽の光がじょうろで注がれたよう!
じょ〜 じょ〜
拝殿・本殿の後方山側に小さなお社。
樹に守られるように、ひっそりとある。
階段を上り、ご挨拶。
少々厳しいエネルギーを感じたので、あまり近づかづにご挨拶。
山の神。地主神だろう。
この地が高いエネルギーであることを意味する。
龍脈・レイラインが現れた!
金時山の麓にある、公時神社とも、金時神社ともいわれるのは、まさかりかついで金太郎〜♪でお馴染みの金太郎さんを祭神とする。
このときは、金太郎さんは昔話のなかの想像の人物だと思っていた。まさか坂田公時なる実際のひとがいるとは知らなかった。意識的には。
金太郎といえば、「まさかり」。
これは、相撲の土俵?
そして、熊!
ご時世なので、マスクね。笑
拝殿に向かって、陽の光が射しこむ!
燈籠めがけて光の儀式!
金時山のエネルギーが流れいる。
龍脈・レイラインは、光と水によって生命エネルギーへと変性する。
緑が綺麗!
光が綺麗!
朱色が綺麗!
参道近くにも、龍脈・レイライン!
金太郎さんが記憶を呼び起こし、さまざまにシンクロニシティがおきる。
自宅に戻り、金太郎さんの童謡をYouTubeで聞いていたのだが、そこに「桃太郎さん」があった。
懐かしさもあって流し聞きをしてみたが、結構、桃太郎もエグい! 鬼も辛い!
ボコボコにされて、宝ものをぶん取られ。
これもまた、善悪、極化、英雄主義のすり込みなのだろうか。
一方から見て、
そんなことを思いながら、今度はテレビ欄をみてみると、TBS系で「鬼」にまつわるふしぎ発見!
そこに氣が向いて、みていると、岡山の桃太郎伝説はもちろんのこと、京都の酒呑童子についてのエピソードがあった。
酒呑童子
酒呑童子・・・?
聞き覚えがある。
そうだった! ずいぶん昔に、宝塚歌劇団の演目で「「春麗の淡き光に」朱天童子異聞」が上映された。
この作品は、酒呑童子を題材にしていたような。
ところで、酒呑童子とは?
丹波国の大江山、または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。文献によっては、酒顛童子、酒天童子、朱点童子などとも記されている。彼が本拠とした大江山では洞窟の御殿に住み棲み、数多くの鬼共を部下にしていたという。(Wikipediaより)
越後国(現:新潟県)で百姓の子として生まれた酒呑童子は、胎内に16カ月おり、生まれながらに歯を生やし、邪法(じゃほう)を扱う悪魔とされます。その後、諸国を遍歴。一条天皇の時代に、京では次々と女性や若者が神隠しに遭うようになります。人をさらっては喰らう暴れ鬼が大江山に棲んでいると言われ、鬼を退治するよう命じられたのが時の武将、源頼光(みなもとよりみつ:通称らいこう)。その鬼こそが、酒呑童子だったのです。
4人の強者を従えた源頼光と藤原保昌は鬼の棲み家・大江山へと向かいます。その途中で出会った神々から、鬼だけが酔うとされる毒酒をもらい、道に迷った山伏を装って、鬼に一夜の宿を頼みます。最初は警戒していた鬼も、宴席で酒を酌み交わすうちに酔っ払い、寝てしまいます。その隙を狙い、首を討ち、見事、鬼退治を果たします。(日本文化の入り口マガジンより)
もしかすると酒呑童子も、見た目などで差別を受けなければ、鬼にはならなかったかもしれない。
そう思う酒呑童子ファンは多いようだ。
「げに恐ろしきは人間なり」「・・・人間の業なり」
ひとに巣喰う闇が濃く、深く、大きくなり、それを喰らうものたちを引き寄せ、さらに大きく・・・そして、鬼になっていった。
鬼に、魔物に、邪なるもの。そもそもは、ひとの抱える闇・波動の低いエネルギーがこの世界でシンクロして現れたものなり。
現代でいうなら、鬼はウイルスへと変性していったのか。
ところで、鬼成敗に参上した頼光四人衆や四天王をいわれたうちのひとりが坂田公時。金太郎さんだ。
無意識のうちに出会っていたようだ!
話は変わって、公時神社には烏骨鶏が飼われている。
とれも綺麗で、品があり、魅了された。
この出会いは、とてもこころに残った。
烏骨鶏
烏骨鶏
鳥
とり
トリ
次の日の朝。
報道番組では、イスラエルとパレスチナの衝突を伝えていた。
イスラエルの国旗。六芒星が描かれた国旗が目に入った。
そのときは、これといった感情も考えも湧き上がってこなかったが、その後、都内で行うセッションへと向かう電車の中、イスラエル国旗に描かれた六芒星が思い出された。
その途端。
かごめ かごめ
かごのなかのとりは
いついつ・・・
かごめ歌があたまの中で響く。
かごめ歌には、さまざまな説がある。
日本語と古代ヘブライ語の類似が、憶測をよぶ。
それらは真実かもしれないし、目眩しかもしれない。
いずれにしろ、この世界に真が紐解かれるのは、もう少し先のことになるのだろうか。
かごめかごめ 2つの意味!?
ひとつは、
何が守られているのか? 誰が守られているのか?
守護されて封印され、安置して閉ざされたものを取り出せ!
そして、火をつけろ、燃やせ、社を根絶せよ!
造られたお守りの岩のご利益はなく
焼かれた荒れ地は見捨てられた
ふたつめは、
何が守られているのか? 誰が守られているのか?
守護されて封印され、安置して閉ざされたものを取り出せ!
そして、火をつけろ、燃やせ、社を根絶せよ!
水際にお守りの岩を造り、無人の地に水を引いて支配せよ!
「晩に鶴と亀が滑った、後ろの正面、だーれ」をヘブライ語で読むと、2つの全く異なる解釈に辿り着くことがわかりました。「造られたお守りの岩も被害を受け、焼かれた荒地は見捨てられた」という、神の裁きによる結末と受け止めることができるだけでなく、「水際にお守りの岩を造り、無人の地に水を引いて支配せよ!」という、未来志向の意味にも理解できるのです。「かごめかごめ」の歌詞が、神の社が焼かれてしまうという単なる裁きに関わる呪いの言葉で終始するとは考えづらいことから、どちらかというと、後者の未来志向を優先して理解するべきでしょう。
(以上、日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究より)
これらの解説を読むと、みせられるヴィジョンを思い出す。
洞窟のなか・・・
シルエットだけだが、誰かがいる。
いつも同じような岩場なのだが、何度かは、3つの十字架の映像をみせられることがあった。
それも、江の島の龍宮で。そのときはまだ理解も深まっていなかったので、日本の神社で十字架か〜と、不思議なような、面白いような気持ちしかなかった。
かごめ歌については、ネットなどをみると、怖いとか呪いという表現をみる。
どんな情報に引き寄せられるか、それをどのように考え・感じるかは、ひとそれぞれだ。
わたし自身、パズルのピースは集まっているものの、それがシンクロしたり、答えが明確にやってきている訳ではない。
だが、魂は、海を超え、大陸を西へ西へと進んだ先に、強烈に惹かれている。
いまはまだ、そのエネルギーの中で時空と次元を行ったり来たりしていたい。
その日は、それにて就寝!
烏骨鶏
烏骨鶏
鳥
とり
トリ
しかし、ここ数日の出来事は、魂にとって強烈なことらしく、そのエネルギーはアストラル界へと持ち越された。
そこで再会したのは、昔、飼っていたオカメインコ。
名前は、ひろみ。
大きな、大きな鳥かごのなかにいる。
鳥かごというよりは、ライオンやトラなどの肉食動物を飼育できるような大きなオリのようだ。
そのオリのなかに、ひろみがいる。
わたしは離れたところから、その光景を眺めていた。
♪ 〜かごの中の鳥は
いついつ出やる〜 ♪
通りすがりの見ず知らずの白い服を着ている2人が、鳥かごを開け、オカメインコのひろみを出そうとしていた。
えっ!?
驚いたわたしから、声なき言葉。
「まだ出さないで! お父さんが具合悪いから」
時すでに遅し。
もう、出ちゃってますから!
ひろみは鳥かごのそと!
見知らぬ2人のうちの1人の手のうえにのっていた。
わたしは慌ててそこに駆け寄り、ひろみを呼ぶ。
生きていた頃と同じように、飛んでいるのか? 落っこちているのか? 分からない不器用な様でひろみはジタバタとわたしの方へやってきた。
ハタと気づくと、さっきの2人は消えていた。
アストラル界にいても、現界へと戻ってきても、それら一連の出来事については、嫌な氣はしなかった。
後からセルフワークをしれみれば、これらはわたしの無意識層の出来事。
オカメインコのひろみは、わたし自身。
これまでわたしは大きな大きな鳥かごのようなオリのなかにいた。
それは大きいオリだったので、自分の周囲に柵があることに気づかなった。居心地が悪い訳でもなかった。
食うに困らず、自由にのびのび! 案外わがままに!
だが、100%自由ではなかったのだろう。
オリとは、家族であることの社会的責任と言い換えることができるだろうか。
「お父さんが具合悪いから」というのは、入院している父を気にしてでた言葉、
家族であることの責任があるから、社会的な責任があるから、息苦しくないのであれば、まだオリのなかにいた方がいいかも!と思った。
だが、自分でも気づかなかったが、すでにそのオリからも出てしまっていたようだ。
グループスピリットによって引き出された。
魂はそれをヨシとする。
霊(スピリット)は、それを求める。
ところで、オリを開けて、素早く去っていったのは・・・
もしかして、鶴と亀?
鶴と亀の化身?
鶴は、諏訪大社の神使であり、亀は、松尾大社の神使とな。
かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀と滑った
後ろの正面だあれ? (童謡 かごめかごめより)