雨がふる
地にあるものたちが活気づく
水が動けば
陽が輝く
2度目の香取神宮。
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この1ヶ月ほど、ここにある要石と奥宮に氣がむいていた。
また、先日、東京都 西部にある檜原村を訪れたとき、村内に多く点在する春日神社が氣になる。
香取神宮のご祭神は、経津主大神。
また、春日神社のご祭神の一柱に経津主大神がいる。
例のごとく、なにゆえ経津主大神?
その理由を意識では理解できていないが、まっ、なにかあるんでしょってことで、行ってみることにした。
要石といえば、香取神宮と息栖神社とともに東国三社の二等辺三角形を作る、鹿島神宮へは幾度も訪れている。
これまた例のごとくだが、神旅において訪れる先の情報を先に調べない。魂が導く先に、直観にしたがい赴く。
前回のときには、香取神宮に要石や奥宮があると知らなかった。
この日は朝から強い雨がふったり止んだりしていたのだが、神配慮といえばいいのか、違う次元を歩いていたといえばいいのか。
とにかく、香取神宮の境内にあるときは、雨が気にならなかった。
鳥居をくぐり、総門へ。
手水舎で浄め、楼門へと向かう。
楼門を抜けば、拝殿が見える。
黒塗りの拝殿に、経津主大神の強さ・大きさが表現されているように思える。
カッコイイ拝殿!
拝殿向かって右側に回ってみると、三本杉がある。
永い時を経て強い氣を発する樹。訪れる人びとに活力を与える。
白い氣が発せられている、
桜大刀自神社
ご祭神は、木花佐久夜毘売。
鹿島新宮
ご祭神は、建御雷神。
下の写真は、拝殿に向かって左手にあるご神木。
この樹もまた、強い氣を発しては、気づくひとを呼び寄せる。
ご神水。
説明によると、香取神宮のご神水はすべて天然とのこと。
さて、楼門をでて、右手に向かう。
要石・奥宮の案内がある。
歩いて5、6分ほどだろうか。
鬱蒼とした樹々に守られ、鎮まる要石。
静かな場所にある。
要石
古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました─これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。
香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。
当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。
貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。(香取神宮HPより)
これ?
これが地震を引き起こす大鯰を抑え込んでいる?
そう思えるほど、小さな石だ。
要石の後方には、押手稲荷神社。
ご祭神は、宇迦之御魂神。
要石のあたりをぶらぶら歩いていると、こっちこっちとまるで手招いているような樹のスピリットあり!
気づいてみれば、その樹のしたに小さなお社がある。
ふむむ・・・ここも八百万の依り代なのね〜と、iPhoneで撮影しようとすると、画面のなかに、サワサワと動く緑色のスピリットがある。
ちょうど、樹の真ん中よりしたのほうに映り込んでいる。
樹に依りつく精霊たちのようだが、この辺りを守護するのが役目のようだ。
要石から離れ、今度は奥宮へ。
香取の宮中、旧参道の中程に鎮座。経津主大神の荒御魂を祀ります。現在の社殿は、昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの。(香取神宮HPより)
荒御魂
神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。これに対し、和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮、豊受大神宮の多賀宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を執り行ってきた。この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。
(Wikipediaより)
経津主大神の荒御魂が鎮まるのは、強い氣が発せられる場所だった。
それは、この地にある樹々たちが依り代となり、神スピリットのエネルギーとシンクロしながら、この場所のエネルギーを創っているからだ。
白い氣が充満し、縦横無尽に渦を巻いているようにみえる。
そこかしこから、樹の氣がお社に向い発せられる。
この日は、曇り・雨が繰り返されていたはずが、光の儀式を始めると、樹々の間から陽が差し込んできた。
光 天にある氣が地にある氣を現す。
樹のスピリットがみせてくれた。
自分がどんなに力強い氣を発し、この世界の生命エネルギーを作り、循環しているかを。
面白いことに、大樹の足元から、別の種類の若木が伸びていた。
ひとの世界に置き換えるなら、とあるひとが養子をもらって育てているようなものだろうか。
自分の子でなくとも、隔てなく氣を与える。
また、この樹の氣の流れは、お社へと向かっている。
神スピリットの依り代であり、シンクロしながら大きなエネルギーを創りだす。
奥宮はとても小さな境内になっていた。
そこは内と外の境界が明確に区切られ、強い氣によって結界がはられているように思えた。
奥宮をあとにし、参道商店街方面から、今度は表参道から香取神宮へ。
まもなく5月のこの季節。
参道にある樹々の葉っぱは青々と、爽やかだ。
青紅葉が綺麗!
途中に香取神宮の森の看板。
ここからも要石方面へ行けるようだ。
要石の手前には護国神社がある。
表参道を歩いていくと、神池がある。
数種の大きな鯉が泳いでいる。
その日のお天気もあってか、この池がとても神秘的だった。
香取神宮の森
そう聞くと、なるほど、この地は大きな森のようだとも思った。
強い氣を放つご神木があっちこっちにある。
それらの樹は、大きな神スピリットの依り代ともなるので、存在感も一入だ。
あっちこっちから手招きされるので、なかなか忙しい。
樹もまた、ひとスピリットとあるところでは同じ役割を果たす。
天の氣を受けいれ
地の氣を受けいれ
生成し、循環する。
惑星の生命エネルギーを増大させ
活力体を活性するのには
樹々の存在は
とてつもなく重要だ。
無知によっての山を切り崩す
不用意な森林伐採は、惑星にあるものたちの生命エネルギーを枯渇させ、その先にある活力を奪うことになる。
樹のスピリットはみせる。
在ることの意味を。