どこの神社へ行っても、
気ぜわしい
なぜなら、いろんなスピリットが、
まるで一斉にしゃべりだすような、そんな感覚がある。
実際には、いろんなエネルギーを受け。
それが頭のなかで声なき声、
言葉なき言葉となっているのだが。
あたまのなかが、わちゃわちゃせわしない。
言葉にならない言葉。
たとえその時、気づかない、理解できなくても、
あとから、現象となったり、
ふとした時に、なんでもないシーンで、
急に理解する。
さて、このサイトをスタートさせて間もなく、
神旅と称した、
魂のトレーニングは始まった。
受けるがままに、日本全国、あらゆる地方へと赴いた。
それは、あらゆる界にサポートを受けながらの旅だった。
そして、ようやく第1章というのか、
起承転結の「起」というのか、
それを終えるところまで来たように思うこの頃。
神の社があるところ、
それは荒ぶる神を鎮める場所。
ひとを幸せにするとか、
ひとの願いを聞き届けてくれる!ではなく、
そもそもは、地にあった荒ぶる神を
祀り・鎮める場所だったのだろう。
そしてそこは、地にある生命エネルギーが
吹き上がる、またはそれが集まるような、
強い磁力を発するような場所でもあった。
ときに揺れ
ときに濁流となって流れ
ときに火をはく
ひとはそれを荒ぶる神と
呼んだのかもしれない。
それを鎮めるため、
その地に祭祀することとなった。
天のエネルギーが地にあるものを
めがけておりてくる。
天の神をひきおろす。
その役目をする祭祀者が必要だった。
しかし、天地のエネルギーだけでは、
鎮めの効力は持続しない。
そのため、多くのひとが拝すことで、
それが大きなエネルギーとなり、注力されるようにした。
効力を補うようになったのではないだろうか。
結界と似たような考え方だろうか。
ひとが巡るほどに、結界は固く結ばれていく。
ひとが参るほどに、エネルギーがそこに蓄えられる。
ひとには惑星にエネルギーを媒介し、循環する役目がある。
神社仏閣に参るたびに、ひとつの魂的お役目、霊的奉仕がなされる。
だが、地にある者。
低位の神界や精霊界にあるスピリットは、
大宇宙からするなら、ひとと同じように進化途上にある。
不完全なのだ。
感情そのものはもっていないが、
ひとが放つ感情エネルギー、想念エネルギーに反応する。
先ほど、神の社あるところは、
ひとを幸せにするところでも、
ひとの願いを聞き届けてくれる場所でもないといったが、
正確には、ひとの有するエネルギーで、
その後の現象は変わる。
正なる想いは、それが引き寄せられ、
邪なる想いは、それが引き寄せられる。
邪なる想いであっても、自分の思い描いた現象がなるなら、
ひとは正を引き寄せたと思い、幸せと思うかもしれない。
一見
一瞬
一時
一生
一世
それはいずれ、清算のときがくることだろう。
いつになるかは分からないが。
さて、ここからが、本題。
神旅を続けていると、
そこに複数の神とよばれるスピリットのエネルギーを感じる。
天津神
国津神
それだけではないエネルギーを感じていた。
これはなんだ?
なんなのだろう・・・?
この不穏、重い、暗い、怒っているような、虐げられているような、
ひねくれてる? そっぽ向いているような、無表情のような、
そんな言葉で表現されるエネルギーを感じることがある。
いつしか、神が在します場所・・・なんだけど・・・さ、
二重にも三重にも種類の違うエネルギーを感じるようになった。
または、いまは、こっちの神らしいけど、
そもそもは、あっちのぶっ壊れてるお社にいる神が、
この辺りの地主神ではないのだろうか?
なんか・・・
怒ってそうだから・・・
近寄るのやめておこ〜。
でも、この道通るから、遠巻きに挨拶しとこ〜。
ここ1年ほどは、そんなことが度々あった。
2年ほど前に書いた記事を思いだした。
瞑想から、ビジョンが見えた。
黒い龍・・・
地龍。
その年の秋。京都の伏見稲荷大社を訪れた。
そこに地龍がいるというのだ。
きつねばかりでは!?と、思いつつ、地龍を探した。
いた! 日本列島を表す龍神が!
大八島社!
さらには、大社の後ろにある稲荷山には大きな龍神がいるようだ。
ずいぶん前に登ったことがあったが、目醒める前で、全く気づかない。
そもそもご祭神のお稲荷さん 宇迦之御魂神も一説には龍神とか。
地にある神で龍神系列から外れている神スピリットだ!と、言い切れる方が少ないように思える。
話を戻す。
つなげ
つなげ
と、魂からのメッセージ。
最初のころは、なにをつなぐのか分からなかったし、
わかった後も、正直半信半疑だった。
ひと的意識と霊的意識の狭間の葛藤。
たしかに、光はおろせる。
が、それでいいのだろうか?
こんなんで?
不安になりながらも行なってきた光の儀式。
ここにきて、その意味が大きくなる。
はじめに神は天と地とを創造された。旧約聖書 創世記より
1日目 神は天と地をつくられた(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができられた。
2日目 神は空(天)をつくられた。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせられた。
〜 (ウィキペディアより)
天と地
光と闇
昼と夜
それでひとつ。
天には空があり
地には海がある
空(陽)と海(水)はそれでひとつ。
陽と水は ともにある
どちらか一方だけでは、
どちらか一方が強くても弱くても、
この世界は調和されない。
そして、あるとき、
いや、たびたび、
惑星では、
陽が隠れ
地は揺れ
水が暴れ
人びとは混乱した。
それは由々しき事態と、
ときの権力者が動き、
地にあるものは封印された。
地にあるものが暴れている
地にあるものを押さえつけ、閉じ込め、
天下国家のため、永遠に出さぬよう、
封印せしめよ。
地にあるものをだしてはいけない。
しかし、人びとは、
悪しきこと、恐れ多いことがおきるたびに、
それは、地にあるものが怒っていなさる、祟りだ!
と、叫び、
人びとの恐れと都合が
地にあるものが暴れ、祟らぬように、
その場所に、
新たなる神を迎えることにした。
そして、時は流れた。
そもそも地にあったものは、
隠され、消され、
閉じ込められ、
そして、
そんなことも、
いまは昔。
なにかにとって都合のいいように、
少しずつ、少しずつ、
話を変えられていったのだろう。
どんなに封じ込めようとしたところで、
地にあるもののエネルギーは、
その場所で、強気ものを放っている。
自分たちの存在を知らしめようとするかのように、
つなぐ魂を引き寄せる。
そして読み解けば、
魂の課題はそこにあり!
陽と水は一対でことをなす。
陽が照り、輝き
水が流れる
風が吹く
罪・穢れを祓い、浄められる
天と地がつながり
光の道 レイライン
水の道 龍脈
が現れ
つながっていくなら、
惑星が生命エネルギーで満たされ、
波動が変わる。
調和がなされる。
そして、
一刻と、大マスター出現へと
近づく。
いずれ、
Cosmic Academy Japanは、
エーテル界とアストラル界にまたがり
白い魔術師たち・錬金術師たちを養成するための機関になるだろう。
魔術のかたちはさまざまだ。
大前提は、
大宇宙の真を現象となすこと、
聖なる愛のエネルギーを具現化するのだ。
霊的側面に意識を向ける。
現象を操作するのではない。
それには、ひと的課題を終え、
意識が霊的奉仕へと向きつつあること。
いかに純粋なエネルギーへの変容が求められる。