われはミズなり
ヒと
フウと
ともに
チにあり
キにいで、ゆらすものなり
陽がさす
鈴がなる
風が吹く
音を発す
やがて、現れる
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内側から湧きあがるものがある。
富士山へ行きたい!
富士山へ行きたい!
行きた〜い!
そんなわけで、再び、富士山へ。
この日訪れたのは、魔王天神社。
ま、まおう・・・。
ネットでさらりとみた名前に、一瞬「えっ!? ここ?」と思ったものの、次なるミッションは、どうやらここのようだ。
「ご祭神は・・!?」
経津主神
千葉県香取市にある香取神宮や奈良県の春日神宮のご祭神でもある。
聞き馴染みのある神名にちょっとホッとしたのは、ひと的意識。
経津主神とは?
香取神宮の祭神であることから、香取神、香取大明神、香取さま等とも呼ばれる。
『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段(神産みの段)の第六の一書では、伊弉諾尊(イザナギ)が火の神・軻遇突智(カグツチ)を斬ったとき、十握剣の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(イオツイワムラ)となり、これが経津主神の祖であるとしている。
経津主神の正体や神話の中で果たした役割については諸説がある。神名の「フツ」は刀剣で物が断ち切られる様を表し、刀剣の威力を神格化した神とする説のほか、「フツ」は「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」フツであるとする説や。神武東征で武甕槌神が神武天皇に与えた布都御魂(ふつのみたま)の剣を神格化したとする説、物部氏の祭神であり、同族他氏の系図にも「フツ」が頻出することから物部氏の祖神である天目一箇神の別名とする説などがある。(ウィキペディアより)
経津主神とは剣の神・軍神のようだ。
魔王がいて、軍神がいて、強そっ!
そのようなところに何ゆえ?と思いつつ、六芒星をもち出発!
富士山を左手に見ながら、数日前にも通った道。
主要道路から入ってすぐのところに、魔王天神社はある。
周辺はひっそりとしている。
鳥居に近づき、撮影をしようとした。
強い光が入ってくる。
おお〜っ!
名前からして魔王がいるのかと少々不安ではあったが、違うらしい。
なにをせずとも、光が鳥居に向かって放射している。
富士山からのエネルギーライン。
ならば、少し加勢して、 さらなる光を!
鳥居をくぐった先には、長い階段。
険しい道のりを歩く神旅慣れしていると、これくらいの階段は堪えないが、
ひとの世の渦中、エネルギー体が汚れていると、肉体的にもキツい運動になるかもしてない。
到着!
午前中の早い時間ということもあってか、拝殿周辺も静まりかえっている。
参拝。
しばしの八百万との対話。
サードアイが動く。
なにかをみせてくれそうなのだが、分からんかった。
さて、神社の名前にもなっている魔王とは、このお山の名前のようだ。
そして、お山そのものがご神体となっている。
魔王天神社
魔王天神社は、神仏混淆の神社で、この魔王天という仏教の世界観を表す天部の文字をつけた神社の名称になっている。また、ここは古い神社形態を残しており、本殿を持たず、裏の魔王の山がご神体となっている。有名なところでは奈良県にある三輪山がこの形態であり大神神社(おおみわじんじゃ)の神奈備(かんなび 神体山)として崇敬されている。山そのものが御神体のため、大神神社は本殿を持たない。……中世の記録では三輪山には第六天魔王童子がお仕えするとされている。<三輪社平等寺資料>。この三輪山も山体を神とする自然崇拝を根本とする古代信仰の延長上にあるものとされており、神殿を持っていないことが特徴である。なお、富士山信仰に係わる神社では富士宮市の山宮浅間神社があるが、この神社は富士山をご神体としている。
村の人は「魔王天」イコール「第六天」から「大六天」「ダイロクテン」の派生からオダイローサマと親しみを込めて呼び、剣の神は風を、切り分けることが出来ると考え、台風シーズンには作物を風の害から守ってくれる風の神様として信仰が厚かった。境内には、当時、罹患すると高熱を出し死に至るとされた恐ろしい病 疱瘡(ほうそう 天然痘)神の小祠が祀られ、村人を流行病(はやりやまい)の恐怖から村を見下ろす高台から守護していた。 本殿が無く拝殿のみの神社形態であるが、拝殿の後ろには、おびただしい宝剣が御幣の代わりに祀られている。(鳴沢村HPより)
光が燦々
縦に 横に!
光が拝殿めがけて入っていく!
光の饗宴
光の儀式
光と遊んだあとは、境内を散策。
拝殿の後ろに回ってみると、ご神木らしきところにお社発見。
自然と身体が動き、六芒星をだす。
祈りの時間。
今度は拝殿の反対側の後ろに回る。
ここにも小さなお社があった。
さらにその奥に進んでみると、樹々たちに守られるように、別のお社がある。
表札がでている訳ではないので、なんの神さんやら?
とりあえず、ご挨拶。
ふと後ろを振り返ると、樹々の間から富士山が見える!
なんてベストなポジションにある神さんだろう!
光があたり 富士山からの氣をうけ、風が舞っている。
さらに山の奥の方へと進む。
朽ち果ててはいるものの、存在感のある樹。
語りかけられたようだった。
樹々の間に光の曼荼羅。
来た道を戻り、反対側から拝殿を撮影。
あれ!? れれ?
iPhoneの撮影画面に、2本の緑色の線。
これは、画像に写りたくない八百万たちだね〜。
この地に棲まう龍神たち。
光
富士山からの氣の流れ
それを風神がかき回すさまをみている、龍脈が現れないことが不思議だった。
ということで、もう一度、光の儀式!
すぐには反応しない。
鈴を鳴らす
ある音を発する
鈴を鳴らす
ある音を発する
間もなく、うっすらと龍脈が現れ始めた。
光の道
レイライン
富士山からのエネルギーライン!
そして、魔王の山と大きな八百万、小さな八百万、精霊たちと別れ、階段をくだった。
下界へ。
神社からの階段を下った目の前に、花崗岩らしき岩と樹々たちがある。
強いエネルギーを発している。
吸い寄せられるように近づいてみる。
太陽とつないでみる。
光が遊ぶ
すぐに龍脈が反応する。
力強いエネルギーライン!
RayがLineすれば、白龍神がウゴウゴ遊ぶ。
神社 神様というと、拝殿や本殿・お社の前でお賽銭を入れて、ご挨拶をする場所というのがひとの世界の習わしだ。
霊的にいうなら、エネルギーポイント!
その地の因縁によって、どのようなエネルギーのポイントになるかはさまざまだろう。
天のエネルギーが強いところもあれば、
地のエネルギーが強いところ、
その双方があったり、
あらゆる異世界のエネルギーがシンクロしている地もある。
その地にあるエネルギーの性質によって神が配され、名前がつけられた。
それもはるか昔のこと。
後の世では、ひと的世界の都合によって配され、変えられ、移された。
大宇宙から幾重にも分配されたエネルギーポイントとなっているのは八百万のほかに、ひとである。
惑星の栄枯盛衰はそれらのスピリットの進化にかかっている。
面白いことではないだろうか。
多くの人びとは、神といえば崇め奉るもの、拝み倒すもの、こころの拠り所とするもの、祈りや願いを聞き届けてくれるものと思っていただろう。
しかし、大きく広い視野、霊的観点でみてみるなら、スピリットとなった神とひとは同じ役割を担っている。
さらに、ひとはその先にエネルギーを形にする創造・錬金を果たす。なぜなら思考という能力が与えられているからだ。
だが、八百万とは終始深い関係でつなり、影響をしあっている。
ひとの肉体は惑星の物質で構成され、想念形態はそれに影響を受けている。
双方は常にシンクロしている。
ひとが調和すれば、惑も調和する
惑星が調和すれば、ひとも調和する
不調和なら、双方が不調和となっていく。
宇宙神子
父なる大宇宙の聖なるエネルギーを引きおろす
母なる地球の目醒め かたち作る
光の
光線が
Ray Lineがつながる
光の道が
氣の道が
つながっていく
聖なる道筋がつくられる
やがて
大マスターが
その道に降りたつだろう
いまは
キリスト種を内包する母たちの目醒めのとき
それは
聖母マリアのエネルギーが流れいることを意味する。
女性性
うちなるドラゴン
目醒めさせよ
準備を整えよ
作業を開始せよ
穢れを祓い
かたちを作る
光を流せ
光の道が現れる
宇宙神子
地にある波動の低いものの影響から抜けいでよ
魂を解放し
やがて、そのものを天意に統合せよ。