宇宙神子
ひとと霊(スピリット)を彷徨う
変容
変容
ひと的意識から霊的意識へ昇華する
変容
変容
魂の解放
変容
変容
霊(スピリット)がひとを支配する
ひととして生き、霊(スピリット)として活きる
ひとの世界と霊的世界をいったり来たり
ひととしてのグラウディング
霊(スピリット)としてのグラウディング
闇のエネルギーに支配されないよう
邪なるエネルギーに憑かれないよう
あらゆる世界を
あらゆる次元を 時間を
自由に行き来する
霊的意識でみえてくるのは、
岩と土・・・
砂漠のなかだろうか・・・?
一本のみち。
周りにはなにもない。 誰もいない。
みちの先には、そう高くない岩と土でできた山。
シナイ山
あたまのなかで言葉が響く。
その言葉も、その映像も、何度もみて聞いている。
いつもの瞑想で、電車のなかのうたた寝で、サードアイが見せてくるのは、岩と土の山肌だ。
シナイ山
モーセが神から十戒を授かった場所とされる。
この生では行ったことがない。
しかし、魂のみち、一本のみちをみていると、いつもその映像はやってくる。
そして、この頃では、スサノオに想いを馳せていると、不思議なことに最後にはシナイ山にたどり着いていく。
こうやってスピリットは、あらゆるチャンネルからさまざまなメッセージを送ってくる。
ここにきてとみに思うのは、
霊的修行兼魂の目的、大宇宙の命題をするためにこの惑星へやってきた宇宙神子は、聖なるエネルギーと偽エネルギーをしっかりと見極める必要がある。
それもまたレッスンなのだが。
目覚め始めた頃というのは、エネルギーの真偽を見極めることが難しい。
「スピリチュアル」という言葉に、惑わされる。
真も偽もすべて一緒くたに受けとってしまう。
真と偽ともいえるだろうし、波動の高低の情報ともいえる。
スピリチュアル界隈でいわれていることを鵜呑みにしていると、ある時、あれ? なんか変じゃね?
いわれていることと、うちなる真性・神性に照らしあわせたとき、少々ズレていることに気づく。
あれれ? あれれ? あれれれれ?
少々のズレが、それが大きくなっていく。
界隈でいわれていることと、自分が聞こえていること、みえていることの相違にしばし混乱する。
自分が間違っているのだろうか?
不安になる。 おののく。
ダークエナジーにコントロールされているのか? はたまた波動の低いものに憑依されているのだろうか?
不安は、恐れに変わる。
他者と距離をとり、自分のエネルギーをしる。
自分をしる。
内省・内省・内省・・・
浄化・調整・調和・・・
それが功を奏して、アセンション・変容が繰り返される。
いや、聞こえていること、見せられていることは、わたしにとっては間違いはない。
そもそも高い次元からのメッセージは、言葉に変換することができない。
エネルギーがチャクラを介し、インストール・ダウンロードがされる。
そしてそれは、大宇宙が必要なとき、解凍され、この世界へダウンロードされる。
宇宙神子は、あくまでも媒体・媒介。
そのため、どんなエネルギーに敏感になる。
それは、真? それは、偽? いやいや、真? 違う違う、偽?
宇宙神子の大宇宙の命題は、グループスピリットで行われる。
ひととして転生していても、いなくても。
出会っていても、いなくても。
エネルギーのシンクロニシティ、テレパシーでつながる。
そんなわけで、宇宙神子が受信するエネルギーと、大衆が喜び、欲する情報は違う。
しかし、ひと的意識から霊的意識へと変遷するあいだは、揺れる。
ネガテイブエネルギーに影響をうけ、大衆が喜ぶ情報に引き寄せられる。
霊的に活きることへの不安、自信のなさがそうさせるのだ。
自分が受信していることと、巷の情報、友人がいっていることの違いに魂を売り渡す。
さらに、ひと的愛と霊的愛を混乱し、情緒的エネルギーに翻弄される。
なにがが違う。でも・・・
波動の低い情報に引き寄せられ、エネルギーを取り込み、その世界でクルクル回る。
クルクル回っているうちには、大宇宙からのエネルギーを受信することができない。
クルクル、クルクル、回る、回る〜。
低い波動のエネルギーを鵜呑みにし、消化できず、心身が蝕む。
うちなる声は、違うという。
本当に欲するものは、これではない。
こんな風に活きたいのではない。
大宇宙の命題を抱え、惑星へとやってきた宇宙神子。
本当に必要なのは、属するグループスピリット専用のメッセージ!
魂からの、守護霊からのメッセージ。
受信するのは、
大宇宙からのエネルギー
太陽系からのエネルギー
惑星スピリットからのエネルギー
マスターソウルからのエネルギー
それこそが、真!