前記事からの続き。
【祈り】天からの道 天への道 扉のある場所 すべては大宇宙のストーリー 閼伽井嶽薬師 常福寺・福島県
閼伽井嶽薬師にて龍燈杉を撮影しているとき、見知らぬ方から写真の本をいただいた。
内容は、福島県いわき市の昔ばなしとも、伝承とも、そのような話が書かれていた。
また、なかには手作りのしおりと挨拶文。
ご本人からも「読んだらポイっと捨ててください」というようなお話があったが、こちらにもそのように記されていた。
どこのどなたか存じはせぬが、一期一会のご縁に感謝!
これもまた、大宇宙のストーリー。
引き寄せ
シンクロニシティ
本の内容を拝見すると、わたしがまったく知らないことが数々書かれていた。
そのうちのひとつがこころに留まる。
「湯の岳の霊泉」
実家のある場所から南に行くと、そこには地元で湯の岳とよばれる山がある。
湯本温泉 常磐ハワイアンセンター改め、スパリゾートハワイアンズのある辺りというと理解される方もいるかもしてない。
湯の岳。
昔は三箱山(さはこやま)という名前だったと初めて知った。
そういえば、「さはこの湯」という看板をみたが、その「さはこ」だったか。
「さはこの湯」の情報を調べてみると、これまたびっくり!
そんなに古くからあるお湯だったとは!
さはこの湯公衆浴場
江戸末期の建築様式を再現した外観の立ち寄り風呂。門の上に火の見櫓もある。「幸福の湯」は檜風呂、「宝の湯」は岩風呂で、男女1日交代だ。いわき湯本温泉は「三函(箱)の御湯」として奈良時代から知られ、その名は歌にも詠まれているほど。道後、有馬と並ぶ日本三大古湯のひとつ。(じゃらんネットより)
湯の岳
温泉
温泉神社(ゆのじんじゃ)
パズルのピースとピース・・・
つながり始めた。
さはこの湯
温泉神社
父が入院している病院は湯の岳の麓にある。
実家から赴くときに、看板が目に入ることもあり、少しだけ気に留めていた。
とくに温泉神社は道路脇すぐのところにあるので、チラッと視線を向けたこともあったのだ。
だが、そのときはひと的意識であり、父の病状や入院のことに気が向いており、霊的なメッセージを受けとる状態にはなかったのだろう。
また住んでいる場所によって、こころの故郷というのか、魂がつながっている山や川が違う。
わたしの場合には水石山 閼伽井嶽といった山が一案身近なこともあり、あまり湯の岳には意識が向いていなかった。
湯本にある山
しかし、この度は湯本にある山とシンクロしている。
湯の岳 行ってみよう!
湯ノ岳は山岳信仰の対象でもあります。この列島の山岳信仰は自然崇拝のアニミズムから発展してきました。アニミズムとはすべてのものの中に霊が宿っているという考え方で、水や鉄などの無機物も含みます。そこへ、水源や森林資源への感謝、死者が還る場所としての畏怖など、様々な意識が折り重なっているのが山岳信仰と云えるでしょう。
鍋田三善(1778~1858年)が著した『磐城志』には、本山派(ほんざんは)の岩崎郡年行事(ねんぎょうじ)として大宝院の名が挙げられています。本山派というのは天台宗系修験道の一つで、年行事というのは修行を教え導く役職名です。湯ノ岳、天狗山、三大明神山はこの大宝院の担当エリアでした。江戸期を通じて湯ノ岳はいわゆる山伏の修行場だったのです。
本山派は熊野三山を拠点としますが、熊野三山協議会のWEBサイトによると、熊野神社の数は全国で3135、その約四分の一が東北にあり、福島県は235社で他県を大きく引き離し全国一位となっています。(2018年8月30日現在)あまり目立ちませんが、福島県エリアは大変な修験の国だったのかもしれません。
(海と日本PROJECT in ふくしまより)
山岳信仰 修験道。
なんとも心地よい響きで、馴染みにあるエネルギーに心身が包まれる。
魂が喜ぶ。
6月に高速バスで帰省する際、常磐道を福島に入るあたりになると、急に山のエネルギーが変化したことに気づいた。
険しく、霊氣に満ちていたことを思い出した。
あの頃から、何かが始まっていたのかもしれない。
八百万エネルギーとシンクロし始まっていたのだろう。
ところで、熊野神社が福島に多いという情報には驚いた。
調べれみると、400を超える数がある。
山岳信仰・修験道に通じるものがあるからだろうか。
山ばっかりだ!と、思っていたが、神ばっかりだ!ということなのだろう。
さて、湯の岳!
お山そのものがご神体とされており、前述のとおり山岳信仰の対象でもある。
調べてみると、多くはないがそのような情報をネットでみることができた。
湯の岳には十の木戸なるものがある。
三箱山法海寺の湯之岳観音尊お山掛け修行の際に、各木戸に於いてそれぞれ御幣を奉納し祈願法要するとのこと。
湯之岳観音尊お山掛け修行
別当 法海寺 湯之嶽十一面観世音菩薩は、大同元年(八〇六)僧徳一が東奥巡錫の折、湯ノ岳の麓を通り、層巒茂樹、渓谷の勝地霊峰なるを感じ、湯ノ岳の山頂に登る。
山頂から四方を回視すれば五雲靉靆として上矢を覆い、森林寥欝として誠に仏像堅固の霊地だと思召されて、南面八合目に位する所に観音堂を創建して、自作の十一面観音の尊像を安置し、国家安泰と五穀豊饒を祈った」という縁起による。
そもそも、各方面からの信仰を集める霊峰湯之嶽は、地域信仰としても大変盛んでありました。湯ノ岳は藤原川の源泉であり、その流域で生活を営む地区ごとに自然の恵みに報恩と感謝をささげ、ご本尊様にお供え物をし、祈願法要を修し法海寺より出発、〆帳場にて入水し身を清めお山掛け修行の始まりです。
お山掛けは今で言う登山のようなものだが、単なる体力作りや、観光の登山ではなく、あくまでも宗教的な内容に満ちた祈りの登山、即ち観音尊と大自然への恵に感謝する精神修養の行である。
第一の木戸 〆帳場
第二の木戸 不動滝
第三の木戸 賽の河原
第四の木戸 御前滝
第五の木戸 毘沙門滝
第六の木戸 姥様
第七の木戸 箱石
第八の木戸 経塚
第九の木戸 お竜灯場
第十の木戸 観音堂跡地
以上、真言宗 智山派 法海寺HPより
簡単な情報を得て、早速湯の岳へ!
情報によると、道路脇に鳥居が立っているらしい。
それを目的に。
あった!
ネットの写真と比べてみる。
ここで間違いない!
一礼をして、お山へ。
道路すぐ脇の若干朽ちたような鳥居。
カジュアル感が、このお山そのものがご神体であり、いまわたしは神さんの体のうえにあるということを忘れさせる。
登る
登る
徐々に
徐々に
山が深くなる
山が深くなる
異界へ
異界へ
少し不安を感じた。
境界
ひとと獣の境界
あたまの中に熊の映像が浮かぶ。
鈴の音を聞いたような気がした。
一瞬戻ろうかとも思った。
だが、その瞬間、その日は曇って太陽がみえないはずだったのに、急に太陽が顔を現し、進むべき道を照らし始めた。
まるで、こっちへ来いといわんばかりに。
歩く
歩く
たどり着いたのは、
第七の木戸 箱石
「平安時代初期に活躍された法相宗の学僧・徳一上人が、湯の岳の頂上にあった三つの箱型石のそれぞれに、「戒(かい)」「定(じょう)」「慧(え)」と書き印した、あるいは戒・定・慧それぞれが入った三つの箱を頂上に納めたのがさはこの始まりという説」があります。
(スパリゾートハワイアンズ公式ブログより)
戒 持戒 仏教でのいろいろの戒めをかたく守ること。
定 禅定 仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す。
慧 智慧 一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめること。
箱石にご挨拶ののち、さらに先に進む。
急に道が開け、通信施設が複数建っている。
ひと的世界と思ったが、無機質な世界が広がっている。
だが、その先に、
第八の木戸 経塚
徳一大師が観音堂建立を祈願したところらしい。
そして、ここが湯の岳山頂!
えっ!? ここ!? と、拍子抜けするほど、なんでもない場所。
霊山とか、聖山とか、山がご神体とかいうと、厳かで、神秘的で、そんな空気を想像したり、期待していたけど。
えっ!? そうなの!? と、そういう言葉しかでない。
信仰的な意味合いなら、テレビやラジオの電波塔がここに建っているのは似つかわしくはない。
だが、天と地のつながる場所として、霊的に考えるなら、受発信機が形となって現れていることが納得できる。
第一木戸から第十木戸まで回ってみたいところだが、靴や装備などの準備不足が否めない。
今回は湯の岳山頂にたどり着いたことをヨシとして、来た道を引き返した。
湯の岳山頂から少し離れたところにある展望台へ。
あっちこっちの山がみえる!
湯の岳とそれらの山々はエネルギーラインでつながっているのだろう。
前の日に訪れた閼伽井嶽も!・・・と、思ったら木に遮られてみえない。
なので、少し離れたところから、閼伽井嶽を展望する。
湯の岳展望台には、数人でチームを組んだ登山者が遠足のように敷物を広げ、お茶をしながら歓談中だった。
そのなかのおひとりが話をしてくれたのだが、この近くには熊の巣があるという。
その方々も近所に住む方から聞いたと言って、早々に荷物をまとめ出立するところだった。
湯の岳山頂を目指した際にみえた熊の映像は、そういうことだったのか。
熊のエネルギーをキャッチしたのだろう。
湯の岳から、海側のいわき市内の風景。
海に薄日がさし、幻想的だった。
湯の岳。
簡単に行けて、簡単に頂上達成できて、これまで訪れた聖山のどこよりもカジュアルだと思った。
しかし、そうではなかった。
意識では理解できていなかったが、無意識が、体は分かっていた。
そのエネルギーの強さを。
それは、下山直後から始まった。
鼻水がどんどんでてくる。
体の冷え。
気管のあたりなにか残っているような、咳をしたいのに、でないような。
それは夜寝るまで続いた。
幾度も経験していることから、浄化だろうと思った。
おそらく明日の朝までには症状はおさまるだろうと思い、少し早めに就寝した。
翌朝はもちろん予想通り!
これまでもエネルギーの強い霊山や神域に赴く際には、数日前から肉体の浄化が始まることもあれば、直前になって行きの新幹線から始まることもあった。
わたしの肉体・エネルギー体の汚れ具合にもよるが、2年前なら熱がでたりして数日布団から起き上がれないこともあった。
いまは、それなりに浄化も進んでいるようで、ひとの世をいき、なにかの拍子で汚れた分だけ浄められているような感覚だ。
この1ヶ月は、父のことで病院を出たり入ったりしていたので、穢れを引き受けてしまっていたようだ。
湯の岳縁起はまだ続く。
湯の岳の麓に広がる常磐の町が広がっている。
常磐線 湯本駅近くにあるのが、冒頭でも少しふれた温泉神社。
その近くに父が入院する病院があるため、何度もこの神社の前を通っていた。
まだ参拝は叶っていないが、調べてみると、かなり歴史のある神社のようだ。
ご祭神 少彦名命
大己貴命
同じようにお山そのものをご神体とする、奈良県三輪山にある大神神社との縁がある。
ひとつのピース ひとつの行動
それが、次へとつながる。
縁が縁をよぶ
エネルギーがエネルギーを引き寄せ、シンクロし、現象となって現れる。
通りすがりの縁に、湯の岳へ導かれた。
顔も知らない。名前もわからないひとから渡された一冊の本に。
ひとによっては、それは本とはいわないというかもしれない。
だが、それが、別の人間を行動へとかきたてる。
真のエネルギーが形となった。
名もなき者がこの惑星を救う。
改めてその言葉が浮かんだ。