【祈り】地球の変容! 荒ぶる神 スサノオが動く!  八坂神社・京都

2020.8.27  Chikako Natsui
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スサノオ :

平和を得るため大和が、この愛する日本が、ときにはわたしのように苦しむだろう。その痛みをわたしは祖国とともに分かち合いたい。

 

アマテラス:

わかりました。あなたの痛みはわたしの痛みに。そして痛みを分かち合うものすべてに大和の光は燦々と降り注ぐでしょう!

(2004年 宝塚歌劇 雪組公演 『スサノオ』-創国の魁(さきがけ)より)

 

 

いまから16年前。わたしの前に、スサノオ現れた。

 

スサノオは多彩な性格を有している。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる。出雲へ降りると一転して英雄的な性格となる。八岐大蛇退治の英雄譚は優秀な産鉄民を平定した象徴と見る説も根強く、草薙剣の取得はその象徴であるとの解釈も多い

日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化英雄的な側面もある。これは多数の伝承をまとめて一つの話にしたためとする説もある。また、前述の『日本書紀』における新羅の曽尸茂梨に降りたという記述から、元々は新羅の神ではないかという指摘もある。

神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や(高天原でのスサノオの行いは暴風雨の被害を示すとする)、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲西部の神戸川中流にある須佐(飯石郡須佐郷)に因むとする説(スサノオは須佐郷の族長を神格化したものとする)がある。(Wikipediaより)

 

 

荒ぶる神 スサノオ

 

「荒ぶる」エネルギーがわたしのうちなるものとシンクロする。

 

 

大宇宙から始まる高い次元の世界は、無限と思えるほどの階層、グループごとの活動がされている。

神界もまた、大宇宙のひとつのカテゴリーであり、スピリットグループ。大宇宙の聖なる目的のためにある。

 

この日本でスサノオと呼ばれているエネルギーは、別の神話では違うベールをかぶる。宇宙界ならまた別の呼び名だ。

この世界ではスサノオの神力・エネルギーは、分離・分配され、形を変え、違う神名で表されていることもある。

天界にあり、地界にあり、根界ある。

様々な世界にスサノオおよびそのスピリットグループのエネルギーを感じることができる。

 

地界のエネルギーが乱れたとき、天界のエネルギーによって、穢れは根界へ運ばれ浄化される。

大きな流れを司るのがスサノオ。その分け御魂・分離したエネルギーである神力がセクションごとに、あらゆるスピリットに働きかける。

それは、高い次元の神界はもとより、活動の天使たち、地の神や精霊たち、ひととして転生しているスピリットグループ、自然界など多岐にわたる。

 

惑星の変容が始まっている。

幽界の浄化が行われる。

現界と幽界の扉が大きく開かれ、スサノオのエネルギーが活発に動きだす。

 

 

 

その日の午前中に訪れたのは、祓戸大神が在します佐久奈度神社。それからの予定を決めていなかった。

どこに行こうか? 帰りのバスのなかで考えた。いくつか候補となる神社仏閣があたまの中に浮かぶものの、そのエネルギーにコネクトしても、しっくりこない。

道路と平行して流れている瀬田川の流れをぼんやり眺める。

そのときだった。

 

八坂神社

 

あたまの中に、その言葉が浮かんだ。

 

正直、この時点では、八坂神社と素盞嗚尊がしっかりとシンクしていなかった。

毎月参拝している江ノ島にある江島神社の境内には八坂神社があり、ご祭神が素盞嗚尊と知っているはずだったが・・・。

 

八坂神社?

長年京都を訪れているが、まだ行ったことのない神社。いつも混んでいそうなイメージがあったが、清水寺など近い場所にはなんども訪れているのに、八坂神社には縁がなかった。此の期におよんでも、行きたい気持ちが昂ぶってもこない。

しかし、その日のスケジュール、新幹線で帰ることを考えると、京都駅から近い八坂神社へのお参りのは、いい時間つぶし、観光になるようにも思えた。

JRから市バスに乗り換え、八坂神社を目指す。

 

最寄りのバス停で降り、横断歩道を渡れば、すぐそこに祇園さんの愛称で親しまれる八坂神社のシンボルともいえる朱塗りの西楼門があった。

京都の他の観光地に比較すれば、この辺りは人通りも多い。ただよく見てみると、地元にお勤めのかたがランチのために買い出ししているようだ。

実際、八坂神社の楼門を写真に撮ろうとすると、お参りのひとの姿は案外少ない。

 

八坂神社

 

 

 

「祇園祭」ののぼり旗をみて、ここがそうか!と、初めて気づく。

京都には有名なお祭りがたくさんあるが、どこでなんのお祭りをしているのか、まったく知らない。

今回初めて、祇園祭が疫病にまつわることを起源としていることを知った。

 

祇園祭とは?

疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会を行った。御霊会は疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭で、疫病も恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられていた。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。

864年(貞観6年)から富士山の大噴火が起こって溶岩が大規模に流出して山麓に達し、869年(貞観11年)には陸奥で貞観地震が起こり、津波によって多数の犠牲者が出るなど、全国的に地殻変動が続き、社会不安が深刻化する中、全国の国の数を表す66本のを卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。この869年(貞観11年)の御霊会が祇園祭の起源とされており、2019年(令和元年)には祭の1150周年を祝うほど、長い歴史を持っている。(Wikipediaより)

 

通年ならこの時期は、祇園祭が行われている最中。疫病封じの祈念祭が同じく疫病によって開催できないとは、これもまたひとの世の巡りあわせなのか? はたまた天はなにかを知らしめているのか? はたまたこれから起こることのプロローグなのだろうか・・・。

 

 

疫病退散! がんばろう日本ののぼり旗!

 

 

西楼門をくぐり、境内へ。

木々の緑が美しい!

 

 

楼門から間も無くのところに、「疫神社」。

茅の輪くぐりになっていて、ひとがひっきりなしに並んでいる。

ご時世ですな・・。

 

 

 

青い空、白い雲、朱塗りの本殿のコントラストが神々しい!

すべてに神が宿り、いま、この瞬間を祝福しているような感覚になった。

 

 

舞殿!

 

 

疫神社とは別に、本殿近くに茅の輪くぐりが設けてあった。

ひっきりなしに、ひとが潜っている。

「蘇民将来子孫也」

そう言いながら茅の輪を潜る。

 

 

美御前社

ご祭神は、宗像三女神。江の島の弁天さんと一緒!

 

 

 

大国主社。

出雲の神さんは、ここでも縁結びの神さんとして祀られている。

マスクが痛々しい・・。

 

 

 

 

日吉社

ご祭神は、大山咋神と大物主神。

 

 

蛭子社

えびすさん!

 

 

太田社・白髭社

ご祭神は猿田彦命と天鈿女の夫婦神!

 

 

神輿庫

例年なら出動中だったのだろうが・・・。

八坂神社の境内に鳴り響いていたお囃子が思い出させる。

 

 

南楼門もご立派!

 

 

南楼門をでた先の鳥居。

ひともあまりおらず、落ち着いた空間。

 

 

初!八坂神社参拝を終え、実際、参拝中になにか明確なメッセージがあったかというと、それもなかった。

ふ〜ん・・・

これが八坂神社ね〜という感想くらいなものだった。

ここでハッキリとスサノオのエネルギーを感じたか!?というと、それも無かった。

 

言葉で言い表すことが難しいが、おそらく、わたしは純粋なスサノオのエネルギーを知っている。

愛であり 怒りであり 包みこみ つき放し 柔らかくもあり 硬くもあり 優しくもあり 厳しくもあり

ひと的世界の表現をつかって説明することが難しいエネルギー。

高い次元すぎて、この世界で感じること、つかむことが難しいエネルギー。

 

しかし、参拝を終え、1ヶ月が経った頃からだろうか、急にスサノオのエネルギーが大きくなってきたように感じられる。

 

厳しくもあり

優しくもあり

 

大宇宙へのワンネスへ向け、地球の変容が加速している。幽界にあるネガティブエネルギーが解放されている。

それを司るのは根の国を支配するスサノオの役目。

新たなる地球へと進化するため、それは避けては通れない道程。

 

スサノオは見ている。

幽界と現界、神界と人間界、中つ国と根の国。それぞれの境界にあり、様々な次元にあってこの世界をみている。