キリストのエネルギーを強く感じる日が続いていた。
見せられたのは、次の映画だった。
「サン・オブ・ゴッド(字幕版)」
世界的ベストセラー「聖書」に基づき、イエス・キリストの誕生から復活までの知られざる生涯を解き明かしたスペクタル巨編。
ローマ帝国支配下のユダヤ。「イスラエルの王」になると予言された子どもが誕生し、彼はイエスと名付けられる。
成長したイエスは人びとに神の言葉を伝えるために伝道活動を開始。
その教えは次第に民衆へと広まり、彼の人気は日に日に高まっていく。だが、民衆の暴動を恐れたローマ帝国の権力者は、イエスを邪魔者とみなし、彼を捕らえて死刑にもちこむ計画を開始する・・・。愛、裏切り、命、死、赦し、・・歴史を変えた知られざる生涯が、今明らかになる。(アマゾンプライムより)
※特定の教義・団体には一切関わりはありません。
この生では、特定の教義を信仰していない。
聖書もイエス・キリストの生涯も深く知らない。
しかし、アセンションと変容が繰り返され、意識が拡大して辿りついたのは、キリスト意識!
確実に、そのエネルギーは魂へと流れていると理解した。
ひとの意識が折りたたまれ、霊的意識が前面・前面となる。
サン・オブ・ゴッド。
少々昨日の記事の続きになるが、イエス・キリストが伝えることと、民衆がイエスに望むことは大きくかけ離れていたのだろう。
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イエス・キリストは、父なる神の愛を言葉にのせて伝えるためにやってきた。
しかし、民衆はその日の食べるもの、食いぶち、病気や怪我、貧困のない世界を求めた。この世界を一瞬にして変えてくれる奇蹟を、魔法を期待した。
だが、そうはならない。貧しさは変わらず、今日食べるものさえ手に入らず、明日に命をつなぐことで精一杯の時代。
期待した分だけ、落胆も大きかった。それが怒りへと変わっていった。
イエス・キリストは権力者によって、民衆によって、罵倒され、暴力を振るわれ、十字架に磔にされた。
父なる大宇宙は、それをだまって見ていた。
ふと、虐待をされて亡くなる小さな子どもたちの存在が重なった。
ひと的意識でみているだけなら、可哀想に! なんて親! 痛かっただろう、苦しかっただろう、悲しかっただろう、ひもじかっただろう・・・と、多くの人びとが子どもの立場になることだろう。
キリストのエネルギーを内包し、この世界へやってきた魂たち。
虐待をされ、死んでいくことで、大人たちに愛を教え、真を教え、神をみせる。
それは、まるで2000年前のイエス・キリストの姿に通じる。
キリストの死は、いや、肉体は滅びても、エネルギーは人びとの意識を介し、この世界に留まり続け、拡散されている。
キリスト教徒であるとか、それは関係はない。
父なる大宇宙の聖なる愛のエネルギーをこの惑星へ媒介するためのひとつのチャンネル。それがイエス・キリストだったのだろう。
映画をみていて、少々辛いなと思ったのは、弟子たちの反応だった。
最後の晩餐で、イエス・キリストはユダが裏切ることを知っていた。
さらに、暴力を受けている自分をみるペデロに、誰かが「あの男を知っているか?」と聞くのだが、3回知らないと答えると予言していた。
これからおこることをイエス・キリストはビジョンによって知っていたのだ。
弟子たちは、霊的修行半ばの人間だ。当然うちなる闇がある。ゆえに痛いところ、恐れているところ、隠したいところを突かれる。
そして、もうひとつ考えさせられたのは、コロナ禍による人びとの反応だ。
恐れからか、疑心暗鬼になっては他者を攻撃したり、過度な自己防衛によって、さらに混乱しているのをみかける。
恐れが大きなるほどに、自分のうちも外も戦場となる。
これもまたイエス・キリストが生きた時代の人びとの反応と同じように思える。
誰かを、何かを犯人に仕立てあげ、制裁を加えることで、感情のバランスをとろうとする。
まったく無駄だと思うが。
イエス・キリストが生きた時代の人びとの反応と書いたが、「一部のひとの反応」と訂正しよう、
転生を繰り返した魂グループは、その時代より霊性は高まっているのではないだろうか。
当時は、本能的な反応をしたが、次に生きた時代には情緒的な反応となり、いまは少し冷静に考えて物事にあたることができるようになった。
ということは、恐れによって過剰に反応しているのは、いまも昔も、転生の少ない若手の魂なのだろう。
そして、父なる大宇宙は、イエス・キリストが生きた時代と同じような映像をみせ、魂をふるいにかけている。
先の時代、キリストのエネルギーはイエスによって、この世界を生きた。
そして、またこの世界が整ったのなら、キリストはやってくるという。
高い次元にあるキリストのエネルギーが降下できるほどに、惑星の変容が必要だ。
宇宙神子。
その道を整えるための先発隊!