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【祈り】再び、尊天!地球の大スピリット!サナト・クマーラからの呼びだし!? 神使はムカデ? 京都・鞍馬寺 前半
信貴山ではムカデは毘沙門天王のお使いとします。
ムカデが出ると良いことの象徴として、殺さず逃がします。
百足は足が沢山あります。お金は「おあし」といいます。「おあし」が沢山ある意味です。
あるいは商売繁盛には、経営者も職員も足並みそろえる必要があります。ムカデは足並みそろえて前進します。
あるいは昔の山師がつかった鉱脈の隠語という説もあります。(信貴山大本山 千手院HPより)
奈良県にある毘沙門天をお祀りされている信貴山 大本山 千手院さんのHPには、うえのような記載がある。
また、「たくさんの足(百足)のうち、たった一足の歩調や歩く方向が違っても前に進むのに支障がでる。困難や問題に向かうには皆が心を一つにして当るようにとの教えである」とのことです(寺の説明)」などの話も聞く。
みながこころをひとつにして、困難や問題に向かう。
この惑星にいま、もっとも必要なことのように思う。
さて、ムカデの来訪を受け、気持ちは鞍馬へ向かっていた。
いつ行こうか、どうやって行こうか、ネット検索しながら逡巡すること数日。
それは、いつもの瞑想のことだった。
何度かに1度は深い瞑想があって、数ヶ月に1度くらいはさらに深い深い瞑想がある。そんなときは意識が地球から脱出しているような、強烈な光や、シルエットが見えたりと様々な体験をする。
その日は、これまでにない霊的体験。
深い瞑想から意識が変性していく。
この世界から違う次元へ・・
しかし、不思議なことにサードアイが見ているのは、自宅。いま、自分がいる場所だった。
そして横たわっているわたし。
確かにわたしはいま、横たわって瞑想している。目を瞑っているが、見えている。
ひと的わたしも、霊的わたしも、どちらも横たわっている。
夢か現か、現か夢か。
そこに明確な区切りや境界がない。
いつからなのか?
隣の部屋にひとがいる。4人だ。
3人は年配の女性。見知らぬおばちゃん達。
もうひとりは男の子。中学生くらいに見える。
4人は黙って、瞑想中のわたしを見ている。
程なく、頭頂のチャクラからも下位のチャクラからもエネルギーが入ったり出たりして、身体のなかを循環しているのが分かる。
だが、その日はそれだけではなかった。
強烈なエネルギーが頭頂から入り、身体を突き抜けていく。目は開いていないにも関わらず、眩しさに、さらに固く閉じようとした。眉間のチャクラが光に反応しているのだ。
続いて、胸のチャクラが活動をし始めた。高次元からのエネルギーを受信している。
胸の圧迫感、エネルギーの流れと動きが伝わってくる。ドクドクしているような、グルグルと開店しているような。
より高い次元からのメッセージは、言葉ではなく、このようにエネルギーによってもたらされる。そして必要なとき解凍・ダウンロードされ、意識化されるのだ。
その間中、隣の部屋にいる見知らぬ4人は、なにを語るでもなく、ただそれを見ている。
宇宙との交信とも、わたしの魂のアップデートとも思える時間が終わった。
しかし、ひと的わたしの瞑想は続いている。
瞑想のなかのわたしは起き上がり、隣の部屋をみた。
誰もいない。
だが、廊下の先の部屋から気配を感じ、そちらに向かう。
その部屋には、先ほどの4人のうちのひとり。中学生らしき男の子がいた。
3人の女性は見当たらない。
相変わらずその4人が、どこの誰で、なんのために来たのか分からない。目の前の男の子を含め、知らない顔だ。
懐かしさも、なにも感じはしないが、でも、魂は知っているのだろう。うちなる声は告げている。
瞑想のなかのわたしは男の子とテレパシーで語りあう。
そしてひと的わたしの瞑想は終わった。
まるで幽体離脱が終わるかのように、意識が肉体に戻ってきた。
2つの世界はひとつになったのだ。
激しい疲れが肉体に感じる。軽い頭痛と首と肩がむち打ちにあったかのように痛む。
ついさっき高い次元から降りてきた強烈なエネルギーが肉体を通り抜けたことを思い出した。
しかし、長い時間考えられないほど、頭のなかは朦朧としていた。
その時ふと、あの4人は、この瞬間を見守り・見届けるためにやって来た光のマスターたちか?
そんな想いが湧き上がった。
年に1度あるかないかの大きな霊的体験。
おそらくエネルギー体は変化したのだろう。そんな感じもしていた。
鞍馬寺 奥の院へ! 後半!
鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。
堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。
「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。
毘沙門天を「光」の象徴にして、「太陽の精霊」
千手観世音を「愛」の象徴にして、「月輪の精霊」
魔王尊を「力」の象徴にして、「大地(地球)の霊王」
としている。
鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。
(以上、Wikipediaより)
本殿の左側から奥の院へ向かう参道に入る。
そこからガラリとエネルギーが変わったのが分かった。
「魔王」
その言葉がぴったりの空気に思える。
階段を登り、少し歩くと霊宝殿があり、そこを過ぎてまもなくのことだった。
それまで雨が降ったり止んだりしていたのだが、急に陽がさして来たのだ。
急いで写真に光をおさめる!
太陽は、その場所で一瞬だけ顔をみせた。
毘沙門天を「光」の象徴にして、「太陽の精霊」の歓迎のサインか。
息つぎの水
牛若丸は、天狗に兵法を習うために深夜、独りで奥の院道を急ぎ、途中で息つぎのために湧水を飲んだ場所とされています。
(鞍馬寺HPより)
屏風坂の地蔵堂
説明がきがないので、由緒などは不明。
しかし、強めのエネルギーが気になる。
奥の院へ向かう参道。
ひとの姿は無し。
もしかして、いま、鞍馬山に、わたしひとり!?と、錯覚するほど、ひとのエネルギーは感じない。
自然の音だけ。
このような登り坂がずっと続いている。
背くらべの石
平家が父の仇であることを知った牛若は奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔します。
その際、名残を惜しんで、この石と背比べをしたと伝承されています。(鞍馬寺HPより)
ここから下り坂〜。
下って
下って
下って
雨が降ったり止んだり・・
どんどん山は深くなる。
ふ〜。ようやく着いた奥の院!と、思ったら、違った。(泣)
不動堂
ここには、伝教大師、最澄が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王が奉安されています。(鞍馬寺HPより)
そして、また、奥の院を目指す!
完璧、ひとり旅。
倒木。
これは最近の豪雨で? 気になりつつ、歩き続ける。
奥の院 到着!
ここも、ひとの姿はなし。
さすがに奥の院!
天のエネルギーと地のエネルギー、そのどちらも感じ、つながる場所。
そして、あらゆるスピリットのエネルギーが渦巻いている。
六芒星のバージョンアップ!
魔王殿周辺。
杉の木立に守られるように建つ魔王殿。
拝殿でしばし瞑想。
ひとりの時間を楽しみつつ、サナト・クマーラのエネルギーにコネクトする。
静寂の時間が流れる。
少しすると、外にひとの気配。
途中ですれ違った家族がやって来たようだ。
先へ進むと貴船神社へ行けるのだが、今回は元来た道を引き返した。
たっぷりと鞍馬山のエネルギーを堪能する!
ダイナミックな木のクロス!
根元から折れた木が発するエネルギーも強烈!
倒れた木に別の植物が育っている。
不思議なような、絵的には怖いような・・・。
不動堂の前のサイン。
なにか意味があるのだろうか・・・。
自然の過酷さ。
木立のなかの瞑想道場。
しばし、わたしも。
雨に濡れた木々や葉っぱの匂いに波動があがる。
静寂
静寂・・・
瞑想道場の近くには、大杉権現社があった・・らしい。
豪雨災害だろうか、破壊されている?
この辺りは、大杉苑瞑想道場と呼ばれ、護法魔王尊のエネルギーの高い場所として知られています。(鞍馬寺HPより)
木の根道。
豪雨災害?
あっちこっちで木が折れている。
再び、本殿へ!
やはり、ひと気なし。
階段を降り、下界を目指す。
下りはスムーズ!
参拝終了!
山門近くのお茶屋さんでランチ。
デザートもしっかり!
さて、今回の鞍馬。
いろんなエネルギーを感じ、シンクロした。
それらはすべてエネルギー体を介し、行われた。
言語化されていない言葉、メッセージは、ハートのチャクラが受信している。
魂は合点承知!
いや、すでに知っていたのだろう。
冒頭で書いた深い瞑想での強烈な霊的体験のときに、それは終わっていた。
だが、ひと的意識が納得するため、実際にそのエネルギーを感じ、受け容れ、さらなる創造のため、ここまでやって来た。
サナト・クマーラ 永遠の若者と評される偉大なるエネルギー。
もしや、あの中学生のような男の子は、サナト・クマーラだったのだろうか?
永遠の若者という言葉が、そんな想像をかきたてた。
いま、この記事を書きながら、意識があの、木立に囲まれた奥の院・魔王殿と呼ばれる場所へいっていた。
この惑星にありながら、天と地のエネルギーを同時に感じることができる場所。
ひとの日常で馴染みのないエネルギーがある場所。
ゆえに、魔王殿と呼ばれるのか。
厳しくもあり
優しくもり
突き放しながら
包容する
そんなエネルギーを感じた。