【祈り】再び、尊天!地球の大スピリット!サナト・クマーラからの呼びだし!? 神使はムカデ? 京都・鞍馬寺 前半

2020.7.25  Chikako Natsui
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鞍馬寺

 

鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。
堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。
「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。

 

毘沙門天「光」の象徴にして、「太陽の精霊」

千手観世音「愛」の象徴にして、「月輪の精霊」

魔王尊「力」の象徴にして、「大地(地球)の霊王」

としている。

 

鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという

(以上、Wikipediaより)

 

 

サナト・クマーラは、地球の創造神とも、大スピリットともいわれている。

まさかの、呼びだし!?

 

 

ぽとり。

 

ん? いま、ぽとりと音がした!?

ぽとりってなんだ? ぽとりって・・・!?

 

久しぶりの帰省。実家での二晩目のこと。

わたしは就寝時、真っ暗なのが嫌で豆電球を点けている。

 

聞きなれない、「ぽとり」という音がした方におそるおそる視線を向ける。

 

なんと! ながひょろい黒いシルエットがサササッと動く。

 

ゴキブリ?

 

いや、ゴキブリにしてはながひょろい。

 

ムカデ?

 

いや、どっちにしても嫌だ!

 

こ、こわっ。

 

隣の部屋にあった殺虫剤を急いでもってきて、ムカデらしきものに噴射!

 

ムカデも、これでひとたまりもあるまい。

 

しかし、ムカデらしきものの姿は見えない。

 

本当に仕留められたのだろうか? もしかして、タンスの裏とか、物陰に隠れていたら?

気持ちが落ちつかない。

そこで1階から違う殺虫剤と瞬間冷却剤をもってきて、「もしも」のときに備えた。

 

古い家なので、ゴキブリはたまに見かける。でもこれまで、家のなかでムカデに遭遇した記憶がない。

ただ、あたまのなかでは、ムカデが登場したらどうしようといつも考えていたような気もする。

 

まさかの、引き寄せ!

 

 

さて、わたしは引き続き、臨戦態勢。

 

すでに仕留めたと思ってはいたが、さっき聞いたぽとりの音が耳に残っており、気持ちがザワついている。

 

30〜40分ほど経った頃、そろそろ大丈夫だろうか。ムカデはもう出てこないだろうと自分を思い込ませ、布団に入った。

 

だが、やっぱり落ちつかない。

寝落ちしたり、ハッとして起きたりの繰り返し。

 

これぞ本能! うちなる危機回避システムが機能したのか、ハッとして目を向けた方向から、ムカデがにょろりと出てきた。

 

(ぎゃっ〜〜〜) 声なき声で叫ぶ!

 

ま、まるで・・・ホ、ホラー〜。

 

臨戦態勢は解けておらず、すぐさま、行動開始!

殺虫剤に、冷却剤をかけまくり。

 

殺!

 

とにがく虫が苦手だ。見ためと予想のつかない素早い動きに翻弄されるのが嫌だ。

 

わたしの攻撃に怯んだムカデは、今度はティッシュ箱のなかに避難していく。

ティッシュペーパーのなかにカラダを隠した。

 

そこにも殺虫剤の集中噴射!

 

次の瞬間、ふと我にかえった。

 

ワンネスとか言ってるけど・・・

どう見ても、いまのわたしは、鬼の形相。分離しまくっている。

 

そして、メッセージ。

 

嫌いなもの、苦手なもの、怖いもの、不気味なものを尊重することができるか?

それもまた自分として愛することができるか? たとえそれが虫であっても。

 

汝の敵を愛せよ

 

 

はたと思った。

 

ムカデの霊的な意味!

 

なにこれ!? まさか、わたしのレッスン?

 

臨戦態勢をしばし解き、ネットで調べる。

 

 

ムカデ

毘沙門天の神使。

 

なるほど、ネットで見る毘沙門天を表すあらゆる画像には、ムカデも描かれている。提灯、旗、表札・・・。

 

毘沙門天には意外な使者がついている。ムカデである。毘沙門天を祀った鞍馬寺では、昔正月の初寅の縁日に「お福むかで」といって生きたムカデを売った。(といっても漢方薬に使ったらしい)七福神の絵のなかにも、毘沙門天の横にムカデを描いたものもあるが、なぜムカデなのかというと、これも謎である。(寺社関連の豆知識より)

 

 

毘沙門天!?

 

毘沙門天とは?
仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。
日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。(Wikipediaより)

 

 

毘沙門天を安置しているお寺は数々ある。

そのなかで、わたしのうちなる声とシンクロするのはどこだろう?

 

すぐに鞍馬寺が浮かんだ。

 

今年の1月、約30年ぶりに鞍馬寺を訪れた。

また、5月の満月にあるウエサク祭を知った。

 

ウエサク祭りとは?
五月満月祭は、五月満月の宵に、満月に灯を捧げ清水を供えて、宇宙の大霊より力を得、自己の魂のめざめを祈る儀式。鞍馬山で古くから密やかに続けられてきた。
この儀式がヒマラヤ山中やインドで五月満月の夜に行われているウエサク祭と相通ずるものであること、また東南アジアの仏教諸国においても、釈尊の生誕と成道と涅槃を同時に祝うウエサク祭が行われていることから、昭和29年より、鞍馬山でも広く信徒に呼びかけ、多くの人々が共に祈りを捧げるようになった。
祭典は「きよめ」「はげみ」「めざめ」の三部にわかれており、ひと晩かけ早朝まで行われる。
五月満月祭は祈りの祭典。身を清め慎み、厳かな気持ちで参列したい。(デジスタイル京都より)

 

1月に訪れときは奥の院まで参拝しなかった。いずれ行きたいと思った。

5月のウエサク祭りも行ってみたいと思った。しかし自粛期間中のため一般公開はされないというので止めた。自宅から祈り、そして、いずれは行ってみたいという気持ちが湧いた。

実家へ帰省する日、ランチをご一緒した方から、3月に鞍馬山へ行かれたときの話をお聴きした。そのときも、いずれ行きたいと思った。

 

再三、鞍馬へ行きたいと思った。

しかし、思っただけで、行動に移していなかった。

 

 

 

 

鞍馬寺は、尊天のひとりとされるサナト・クラーマのエネルギーが強い場所。

 

サナト・クマーラからの召喚!?

 

ティッシュのなかに入りこんだムカデに怯え、嫌悪しつつも、もう一方では手荒な召喚メッセージか?とも思える。
また、久しぶりに帰ったわたしに対して、小さいころから共に過ごしてきた小さな八百万・精霊たちのいたずらであり、手の込んだ歓迎イベントか?と、さっきから落ち着かない状態の思考は様々な考えが浮かんだ。

 

ティッシュ箱に入ったままのムカデ。

時おりガサッとか、ガサガサっと、音がする。

 

い、生きてる・・・。

 

意識がこの世界に引きもどされた。

 

恐る恐るティッシュ箱のそばに寄り、なかを覗く。

ムカデの姿は見えない。

なぜなら、ティッシュ1枚がベールになって奥の方まで見えなくしている。そのベールがわたしの殺虫剤噴射攻撃からムカデを守っていた。

 

さすがに、神さまのお使いになると、守られているんだな・・・と、変なところで納得したり、感心したりしながら、時間が流れていく。

 

まんじりともしない夜。

先ほど経験した、まるでホラー!?と思えるムカデの登場シーンが目に焼き付いてる。時おりティッシュ箱から聞こえてくるガサゴソいう音にざわざわする。

気がつけば、夜中の2時過ぎになっていた。

 

10年前なら、1階で眠る父親を起こし、ムカデ退治をしてもらっただろうが、さすがに80歳を過ぎた父を夜中の2時に起こせない〜。

しかも、毘沙門天のお使いらしい!?

 

いろんなことが頭のなかをグルグルして、さらに目が冴えてくる。

 

そうだ! ティッシュ箱を窓から外に出そう!

それなら、少し安心だ。ムカデがまだ生きているなら、ティッシュ箱から逃げるかもしれないし!

 

だが、直接手でティッシュ箱をもつ勇気がない。

もし、その瞬間にティッシュ箱からムカデが這い出て、わたしの手にでも乗ろうものなら、失神ものだ。

嫌いな虫を目の前にして、イリュージョンにどっぷり浸かる。

恐れによって虫のそのもの、虫の姿形に囚われていた。

ムカデのスピリットが放つメッセージに耳を傾けていなかった。

とにかくそのときは、ムカデの登場で生じたわたしのうちに広がる嫌悪感や恐れを消したかった。

 

自分のうちなる衝動を消す=ムカデを消す!

 

これが相手がひとなら、これまでどおり、それは鏡同士! 投影でしょう!
自分のいやな面を相手にみて、それを消したいだけだ!などと冷静に判断できる。

しかし、今回は意表のつく動きをする、虫! しかも毒もち! 刺されると痛い!

 

2つの部屋のなかをキョロッキョロッとし・・・見つけた! 布団たたき!

布団たたきにすくうようにティッシュ箱をのせ、そーっと窓を開け、出窓に置いた。もちろんすぐさま窓は閉めた。

 

ふーっ。やれやれ。

時計は、すでに夜中の3時近く。

 

これで眠れる!と、思いつつも、いやいや待てよ。ムカデはティッシュ箱からすでに脱出してタンスの後ろに隠れていたらどうしよう!?

さらなるイリュージョンにとらわれる。

いや、それはないだろう!

いや、それはない! 断固としてない!

ムカデは外のティッシュ箱のなかだ!

無理やりイリュージョンを引き裂く。

 

そう自分を安心させたものの、ひとり格闘技のあと、すぐには寝付けない。

電気を消すことにも抵抗がある。

 

それから2時間近く。2つの部屋の電気を点けたままぼんやりしたり、瞑想して過ごした。

いったい魂はなにを気づかせたい!? なにをさせたい!?

新聞配達のバイクの音が聞こえてくるころ、徐々に外が明るくなってきた。

 

なんとなく答えが見えたような、いや、そうではないような・・・。

 

瞑想がはっきりとした睡魔に変わっていった。

 

まんじりともしない夜。

でも、懐かしい夜。

久しぶりに、小さな八百万・精霊たちにからかわれたのか?とも思える時間。

 

実家にいる頃、これ的なことはよくあった。

見えないところでことは起こる。わたしの感覚でしかキャッチできないことなので、親に話すでもなく、友達に聞いてもらうでもなく、いつものことと思っていた。

ひとりでいるはずなのに、なんだか賑やかで、なんだか忙しい。

あらゆることに敏感で、あらゆることが怖くって。

そんな自分の反応が懐かしかった。

 

この部屋は異界へのどこでもドアがあるのか!?

 

朝を迎え、夜中のムカデとの攻防戦を父に話して聞かせた。

父曰く、わたしが使った殺虫剤は古いものだから、効かないから死んでいないのではないかということだった。

そして、窓の外にだしたティッシュ箱を回収して中身を見てもらったところ、ムカデはいなかったらしいのだ。

 

般若の様相で殺虫剤をかけていたわたしだったが、本音のところではムカデが逃げてくれていればいいな〜とは思っていた。

 

さすがに、神使は守られている! 攻撃もなんのその!

わたしの前に現れ、わたしの反応を引き出し、気づきを与え、学びへと導く。

消えたムカデを想うと、ますます鞍馬寺のエネルギーが身近に感じるようになった。

 

行く必要があるのだろう。

行かなければならないのだろう。

 

わたしは鞍馬でさらに学びをする必要があるのだろう。

 

それから数日後、日程を決め、京都への旅を手配した。

 

約半年ぶりに訪れた鞍馬寺。

当初の予定では、叡山電車で向かおうと思っていた。

しかし、つい最近おきた豪雨によって土砂崩れがおき、電車は鞍馬までいっていないらしい。

そこで、前回と同じルート、地下鉄烏丸線で国際会館駅まで行き、そこからバスで向かうことにした。

 

7月15日。

鞍馬に着くと、小雨が降っていた。

天気は半年前と同じようだな〜と思いながら、山門へ向かう。

新型ウィルスの感染不安と来週から始まるキャンペーンの影響でか、参拝客は見当たらなかった。

わたしが訪れた時間帯は皆無。誰ともすれ違わない。

 

あれとこれのはざま。このときにわたしの魂はここを訪れることにしていたのだろう。

 

 

山門で入山のための手続きをしていると、係りのかたかた話かけられた。

どうやら豪雨災害のため、境内内も工事しているところがあるらしい。それに気をつけてということだった。

ニュースでは見かけなかったが、この辺りも大変なことになっていたのだと来てみて初めて知った。

 

そして、今日も雨・・・。

 

 

前回と同じく、モノレールは使わずに九十九折山道で本殿を目指す。

「遠きて近きもの くらまのつづらをりという道」平安時代に清少納言が綴ったことで有名な道。

 

今回は奥の院に行く予定にしているので、少々不安ではある

約30年前に奥の院へ行ったとき、ものすごく遠くて、ものすごく疲れた記憶があるからだ。

それでも、周囲の景色、氣の清浄さに癒され、身体は行き氣満々!、魂が喜び、エネルギーに満ちているのが分かる。

 

 

時空を超えエネルギーがシンクロする。

 

ここからは、しばし観光気分で!

 

 

この辺り、魔王の独特なエネルギーが渦巻く!

 

放生池 (「放生」とは、いきものを野に放つこと)

 

※放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である。
放生会は古代インドに起源をもつ行事で中国や日本にも伝えられた
『金光明最勝王経』長者子流水品には、釈迦仏の前世であった流水(るすい)長者が、大きな池で水が涸渇して死にかけた無数の魚たちを助けて説法をして放生したところ、魚たちは三十三天に転生して流水長者に感謝報恩したという本生譚が説かれている。
日本においては天武天皇5年(677年)8月17日に諸国へ詔を下し放生を行わしめたのが初見であるが、殺生を戒める風はそれ以前にも見られたようで、敏達天皇の7年(578年)に六斎日に殺生禁断を畿内に令したり、推古天皇19年(611年)5月5日に聖徳太子が天皇の遊猟を諫したとの伝えもある。(Wikipediaより)

 

魔王の滝

 

ここに、金龍神!

 

吉鞍稲荷社

 

白長龍神と白姫龍神

 

少し歩くと、由岐神社の鳥居が見える。

 

 

由岐神社への階段途中には、事代主神と大山祇神を祀る岩上社

 

事代主神とは?
大国主神の子とされる。別名、恵比寿大神。
託宣の神、漁業の神、鰐神。

 

大山祇神とは?
神産みにおいて伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた。
神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。
娘は、磐長姫神と木花開耶媛神。

以上、Wikipediaより

 

岩永社の反対側には、素戔嗚神を祀る冠者社。

素戔嗚神とは?
神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉の国から帰還し、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたとする。
海神、嵐神、農耕神。

スサノオは多彩な性格を有している。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる。出雲へ降りると一転して英雄的な性格となる。八岐大蛇退治の英雄譚は優秀な産鉄民を平定した象徴と見る説も根強く、草薙剣の取得はその象徴であるとの解釈も多い

神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や(高天原でのスサノオの行いは暴風雨の被害を示すとする)、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲西部の神戸川中流にある須佐(飯石郡須佐郷)に因むとする説(スサノオは須佐郷の族長を神格化したものとする)がある

以上、Wikipediaより

 

 

さらに階段を上がると、樹齢800年の杉の大木を祀る大杉社。

 

大杉に手をかざしてみると、熱い氣を感じる。

願掛け杉といわれ、一心に願えば願いは叶うといわれる。

 

 

 

由岐神社到着!

 

由岐神社とは?
鞍馬寺の鎮守社である。通称靫明神(ゆきみょうじん)。大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る。

祭神は元は宮中に祀られていたが、平安京で大地震が起き、天慶の乱まで発生したので当時の天皇である朱雀天皇が天下泰平と万民幸福を祈念し、その勅によって天慶3年(940年)、鞍馬山の地に遷宮をして鞍馬寺の鎮守社とし、都の北方鎮護を仰せつけた。例祭の鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものである。

「靫明神」という社名は、天皇の病や国難時に神前に靫(ゆき)を献じて平穏を祈ったことによる。

 

大己貴命とは?
大国主神の別名。

少彦名命とは?
国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。

 

以上、Wikipediaより

 

 

由岐神社の狛犬さん!

子を抱く姿が珍しいとされ、拝殿とともに国の重要文化財になっている。

 

 

 

由岐神社のお参りを済ませ、本殿を目指す。

 

 

愛と力と光の像「いのち」

鞍馬山の本尊である尊天(大宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化したもの。
像の下部に広がる大海原は一切を平等に潤す慈愛の心であり、光かがやく金属の環は曇りなき真智の光明、そして、中央に屹立する山は、全てを摂取する大地の力強い活力を象徴しています。(鞍馬寺HPより)

 

 

 

双福苑

この辺り一帯を双福苑と呼び、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇し、傍らには、福徳の神である「玉杉大黒天」「玉杉恵比寿尊」の祠があります。(鞍馬寺HPより)

 

 

玉杉大黒天と玉杉恵比寿尊にご挨拶をし、さらに、本殿を目指す。

 

 

中門を経て、さらに、本殿へ。

 

階段を登る。

 

 

階段を登る。

 

 

階段を登る。

 

 

さらに、登る。

 

 

ひと休みして、周辺を眺める。

スーハースーハーと深呼吸!

 

 

 

途中には、福寿星神。

福禄寿こと。

福禄寿はもともと福星禄星寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神である。
福星は木星とされ、多くは裕福な官服を着た黒髪の姿で三者の中心に描かれる。
寿星は南極老人星(カノープス)とされ、容貌は時期によって諸説あるが近代以降は禿げた長大な頭に白ひげをたくわえた老人とされることが多く、また厳密にはもともとこの寿星(南極老人)が単独で日本に伝わったのが寿老人である。(Wikipediaより)

 

 

そして、また、登る。

 

階段の構造が場所によって違うのが、歩いていても楽しかった!

今回は最初から気持ちが違うらしい。

 

 

景色をみてひと休み。

 

 

ひと休み。

 

 

ひと休み。

 

 

 

巽の弁財天社

学芸・財宝を司る福神、弁財天を祀る。
水琴窟も付設されている。(鞍馬寺HPより)

 

 

最後のひと頑張り!

 

 

かえでが綺麗!

 

 

 

本殿到着!

わたしの他に、参拝客はおひとり。

 

宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場。御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られています。
(Wikipediaより)

 

 

本殿前の六芒星!

本殿金堂前の金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっています。(Wikipediaより)

 

六芒星とは?
両極を意味する。引き合い・補い合うもの。
正三角形△は水・女性エネルギーを、逆三角形▽は火・男性エネルギーを表す。
天と地、光と闇、陰と陽、上昇と下降、表と裏。
相反するエネルギーの調和、統合を意味する。

 

 

わたしも六芒星の真ん中に立ち、瞑想。大宇宙と一体化を味わう!

 

 

 

さて、本殿でのお参りを済ませ、いよいよ奥の院山道へ向かう。

 

 

 

途中に、与謝野晶子の歌碑。

 

 

奥の院を目指す!

この辺りに来たところで、これまで小雨が降っていた空に陽がさして来た。

 

 

それはまるで、尊天が喜んで迎え入れてくれているようで、全身が喜びに包まれた!

 

 

 

実は、ムカデ事件のあと、自宅での深い瞑想中のこと、強烈な霊的体験があった。

さらなるイニシエーションだったのか!?

 

これは、後編で!