木々が揺れる
草が揺れる
風が吹いていた
小雨の朝。
窓から外をみると、木々の葉たちが揺れている。
風が吹いているんだ〜。
窓ガラスに遮られて、雨風の音は部屋のなかまでは聞こえない。
視線の先は、土手、川、林。
田舎で育ったわたしにとっては、自然豊か!とはいえない情景だが、川がそばにあると、緑を見ると落ち着く。
カフェラテを飲みながら、木々の葉が揺れるのを見ていると、そのまま気持ちが、1月に訪れた京都へと向かう。
その日は貴船神社へ行こうと早起きした朝だった。
地下鉄からバスへ乗り換えるために降りた駅を出て、貴船行きのバス停を目指し歩き始めたときだった。
ふと視線を右手に向けた。
風に吹かれて木々が揺れていた。
そのとき思った。
これまでは、風が吹くから葉っぱが揺れると思っていた。
そうなんだけど・・・・も、さ、
葉っぱが揺れるから風が吹いてることが分かるんだな。
そんな考えが一瞬浮かび、どうでもいいことが浮かんだな〜と、すぐに違うことに意識が向いた。
今朝は、そのときのことが思い出された。
揺れる葉っぱ。
吹く風。
お互いのエネルギーを表現しあっている。
エネルギーとエネルギーのぶつかり合い。
その結果が生じることもある。
例えば風に吹かれたタンポポの種が飛び、来年の春には、違った場所で花を咲かせる。
ひとつがあり、もうひとつがある。存在を表現し合い、結果、もうひとつができる。
1が2になり、3になる。
ひとにも同じことがいえる。
最初のAがいる。
二番目のBがいる。
AはBがいることで、その違いを知り、自分を知る。
自分だけなら、他者との比較がないために、「自分」を認識できない。
ならば、三番目のCがいる。
AもBも、Cの存在によって、さらなる分化されていく。
この世界の法則。
自分を知るために、他者がいる。
そんなことを考えていると、向かいのマンションに止まるカラスの鳴き声。
いつもやってくるカラス。
押し出しが強い。
ひとそれぞれエネルギーが違うように、カラスもそれぞれエネルギーに個性がある。
そのときは窓も網戸も開けていたので、カラスがこちらに向かって突進してくるのではないかと変な心配。
少ししてからカラスは仲間と合流し、どこかへ飛び去った。
なぜそんなことを思ったのか、少々自分でも不思議に思いながら、寒くなったので窓を閉める。
パワーアニマルを扱っていた頃、過去生からの名残なのかもしれない。
天気が悪くて河原を歩いているひとが少ないからだろうか?
今日は自然のスピリットのおしゃべりがよく聞こえる日だった。