霊的にいうなら、
ウイルスは媒介。
それによって経験したこと、感じたこと、そして、なにより、ネガティブなエネルギーならば解放することが大事。
ウイルスが、この世界の影を大きく映しだす。
過去生で経験し、解放されなかったダークなエネルギーをイリュージョンの世界へと表出する。
GWが始まって間もなくの頃だった。
隣の市に食事と買い出しに行った。
お店に向かう途中、神社が見えたので、ご挨拶をしようと近づいた。
神社のすぐ前には、近所の方だろうか? 年配の女性と男性が立ち話をしていた。
こちらの姿を認めると、聞こえよがしに、「来んなつーの。家にいるしかないんだよ!」と言い始めた。
わたしは一瞬ひるんだものの、せっかくご挨拶に来たのだからと、少々重い気持ちをひきづりながら神社の境内へと進んだ。
なるほど・・・
来るべくして来たのだろう。
弁天さんと金毘羅さん。
どちらも縁を感じる八百万だ。
あっちこっちとご挨拶をし、参拝客のない閑散とした境内に20分ほどいただろうか。
さて、そろそろ退散と鳥居の方をみると、神社の前には、さっきよりもひとが増え、10人近くの近所のひとが立ち話をしていた。
先ほどの年配の女性と男性もそのなかにいた。
また嫌味のひとつなのか、注意なのかされるのかと思いつつ、集団の間を通り抜ける。
なにごとも無かった。
買い物も終え、帰宅の道すがら、さっき経験した神社の前の女性のことを思い出しては、モヤっとした気持ちになっていた。
それ以上に、どす黒いもの胸のなかに広がっていくような感覚を覚える。
なんだろう・・・
この黒いものは・・・
自粛が求められているいま、その最中の外出に罪悪感が皆無だったかというとそうでもない。
社会的にいうなら、非難するひともいるかもしれない。言葉にださなくても常識ないとか、医療関係者がとか、なんだーかんだーと言いたくなるひとはいるかもしれない。
それでも、あえて行った。
そして、そのような経験をした。
黒いものへと意識をフォーカスする。
感じ続ける。
同時に神社の前のエネルギーを思い出し、フォーカスし、感じる。
過去生。
時空を超えたお馴染みの感覚。
神の意志を最優先すれば、政や人々の情を無視することになる。
それはいまも昔も変わらない。
魂の本質を生きようとするなら、大宇宙の法則からかけ離れたこの世界のルールから乖離することが多々ある。
それによって人々からの迫害。それに傷ついたことが繰り返された。
悲しさ、憎しみ、恨み、それが大きなネガティブエネルギーとなって幽体へと書き込まれた。
そして、幾度かの転生を繰り返し、そのネガティブエネルギーを解放した。
だが、まだ少々それが残っていたのだろう。
集合無意識が作り出したのか、誰も彼ものネガテイブエネルギーがひと塊りになったようなウイルスなるものがこの世界へ登場した。
ウイルスを介して、これまで奥へとしまい込んでいた影と対面する。
影は、ひとによって形を変える。
恐れかもしれない、不安かもしれない、妬みかも、悲しさ、憎しみ、恨み・・・・
ひとによって様々だ。
わたしの場合は、大宇宙への真、神への信仰が邪魔されたとき、迫害されたとき、傷つけられたときに受けた苦しい感情エネルギーだった。
時空を超えたエネルギーを再体験するために、ひととなり転生した。
そのエネルギーを解放するために生まれる前に設定したストーリー。
そのエネルギーがあるから、あの日、あの場所へ赴き、おばちゃんに嫌味をいわれ、ムカついて、どす黒いものを感じ、過去生から続く解放しきれていなかったエネルギーを発見できた。
ある意味、嫌な思いをするため、無意識にもそこに行ったともいえる。
嫌味なおばちゃんは、わたしが次の扉を開くため、ネガティブなエネルギーを解放するためガイドが用意してくれた鏡。きっかけ。
ふと思い返せば、これまでも、いく道を阻まれたり、反対されたりすると、自分でも不思議なくらい激昂することがあった。会社という組織体のなかでは特にそうだったように思う。
過去生から続く、権力、圧力のエネルギーの再体験はちょいちょいと繰り返されていた。
解放していないから繰り返される。
ときを変え、場所を変え、ひとを変え。
しかし、わたしが示す反応はひとつ。
魂の学びが進み、ようやくそれに気づけるわたしになっていた。
これこそが大宇宙の愛!
ただいまこの世界、ウイルスによって様々な経験をしている魂がほとんどだろう。
誰にとってもひとつの転機、ひとつの扉になるかもしれない。
これまで閉じ込めておいた、隠しておいた、気づかないようにしていた、ずっとずっと続くエネルギーが激しく、大きく、溢れ出す魂もあるかもしれない。
それが他者からみたなら、あれれのれ????という事象現象もあるかもしれない。
それもまた大宇宙の愛。
どんな魂も、設定した課題をこなすためにこの世界へやってきている。
ひと的意識、変だ、おかしいと思っていても、霊的には必死にそれに取り組んでいるのだ。
しかし、それは大きすぎる大宇宙の愛。
ある程度、魂の段階が進んでいないと理解できないかもしれない。
そう思いながらこれを書いている。