あちらこちらでGW中の規制・・・。
あちらこちらに、目には見えない、すでに無いはずのベルリンの壁ができている。
「やむおえない」
「仕方ない」
「しょうがない」
「致し方ない」
誰もが頭では分かっている。
しかし、こころがついていかない。 納得できない。
(魂は納得しているかも!)
このところの買い物を、戦時中の買い出しのようだといわれた方があった。
リアル戦争時代を知らない方だ。
だが、このところの空気感は知らないはずの大戦を思いおこさせる。
そのうち、街には憲兵的エネルギーをまとったひと、モンペに白い割烹着の婦人会の厳しいおばさんエネルギーを感じさせるひとが見かけるようになるかもしれない。
ひとがひとを監視し、裁く、見せしめる。
非常時は恐れや不安がひとをかきたて、闇が狂気を呼びおこす。
様々な出会いで気づいたこと。
地球のエネルギーの流れは、チャクラの段階と同じなのだと。
ひとのネガティブエネルギーと同じで、その時代時代で解放されなかったエネルギーは、のちの時代に引き継がれていく。
それはひとの幽体とシンクロしている。
第二次世界大戦。
わたしの母はまだとても幼かった。でも、怖かったであろう、ひもじかったであろう・・・戦争を経験したことのない者にとっては想像することしかできない、多くの恐れ、苦しみ、悲しみなどの感情が渦巻いていたことだろう。
だが、同じ時代に生きていれば、すべての国民が、多くの国々のひとが暗く、苦しい時代だっただろう。
あのひとも苦しい、だから弱音なんか吐いちゃいけない。泣くなんてみっともない。
お国のために戦地で日本国のために戦っている兵隊さんがいるのに。
欲しがりません! 勝つまでは!
そのエネルギーにがんじがらめになっていたのかもしれない。
こう書いてみると、当時の兵隊さんとこの時代の医療従事者の似た点に気づく・・・。
それはさておき。
敗戦。
敗戦国の屈辱・・・。
母の幼い頃はそういう時代だった。(テレビドラマや映画を観る限りだが)
だからなのだと思う。
母は買いだめをするひとだった。
いつ使うの、この大量のトイレットペーパーやティッシュ!?
いつ食べるの冷凍品! そう思っていたが、東日本大震災を経験してみて、納得した。
危機意識が高い!
そういえば、阪神淡路大震災のあとなのだと思うが、自宅のタンスなどが全部固定されていた。
時代背景的に母が抱えた恐れは、娘であるわたしにもエネルギーとして流れてきていた。
これはわたしだけではないだろう。
戦中戦後まもなくを生きたお母さんをもつ女性は、第二チャクラにネガティブなエネルギーを抱えやすいように思うのだ。
なせなら、戦中戦後のこと、食料はなく、明日をも知れぬ状態、常に命の危険があった。
国の土台は崩れ去り、安心安全ではなく、肉体の健全さは保てない。常に抑圧された状態が続く。
それは第一チャクラの不全を意味する。
そして次の世代は、第二チャクラを介して前の世代のエネルギーを引き継ぐ。
安心安全。高度成長期後の安定した国に生まれているはず、欲しいものは手にはいり、気楽な年代に関わらず、なぜか返していない借金があるような気持ちにさせられる。
さらに次の世代は、第一、第二チャクラのエネルギーを抱えながら、自分というもの、個性、自信をもつことの意味を課題となっていく。男女雇用均等法が盛んにいわれていた時代だろうか。
しかし不安定な土台に抑圧された感情をもちつつ、自分に自信をもって生きろといわれるほどに、葛藤がおき、ほんとうの自分がわからなくなっていく。
これが世代間の課題。
霊的にいうなら、ソウルファミリー、グループソウルで取り組む課題(カルマ)なのだ。
時代のエネルギーはひとを介し、引き継がれていく。
大戦で抱えた痛み、解放されなかった苦しいエネルギーを、いま、別の形で再体験しているのかもしれない。
だが思う。引き継がれるのは苦しいエネルギーばかりではないということだ。
命
血
家系
お母さんがいたから、自分がいて、そのまた子どもがいて、さらにそのまた子どもが・・・・
ひとの世はそのように命が引き継がれていく。
命だけではない。
例えば、わたしがいま使っているマスクは、ずいぶん前、新型インフルエンザが流行ったときがあった。
実家の両親が市内中をめぐり、大量に買って送ってくれたものだ。
そのおかげでわたしは薬局に並ばなくても、なんとか事足りている。
いやなもんももらったけど、同時に亡くなった母のエネルギーにサポートされているという実感もある。
さて、少しの間、戦時中とまではいかなくても、この世界は殺伐とした空気が流れるだろう。
マスク
手洗い
うがい
三密さけて
うちにいて! それは大事だろう。現象的にいうなら。肉体をまもることは大事!
さらに霊的にみるなら、時空を超えて引き継がれている不穏なエネルギーの解放がもっとも大事なのだろうと思う。
なぜなら、それが幽界にある限り、また違った形でこの世界に現れるからだ。