龍神
龍蛇神
水の神
富士山
山の神
大日如来
不動明王
様々な神エネルギーがシンクロしている。
なにをみせたいのか、どこにつれて行きたいのか?
そして、そのこころは? 意味は?
ひと的意識で考えても答えはでない。
ハートに聞いみて、行くところに行こう。
行きたいところではなく、行くところに行こう。
2月23日は富士山の日。
たまたま見ていたテレビのお天気キャスターがそういうのを聞いて知った。
それより2日前のことだった。
もともと富士山は大好きな山だったが、昨年あたりからさらに気になる、惹かれるようになった。
さらにそれより数日前だったように思う。富士山の夢をみた。
富士山が動き、わたしの前に2歩前進してきたのだ。
「富士山でかっ!」夢のなかでそう思った。
富士山。なにかあるのかもしれない。言葉になっていないメッセージを受けとったようでそわそわする。
それは、前日 2月22日のことだった。
前の記事にも書いたが、にわとりとパンダの夢をみた。
パンダは分からないが、にわとりは天照大神の神使なので、その日訪れる予定にしていた近くにある芝大神宮にあたりをつけて参拝した。
関連記事:八百万(ヤオヨロズ)天照大神の神使は謎の?にわとり 東京・芝大神宮
そのとき聞こえてきたメッセージは、「天の岩戸開き」
そしてみせられたのは、モノクロームのビジョン。
以前、江の島 江島神社でよくみせられる映像だった。
岩穴
誰かのシルエット・・・
弁天さんのところで見せられたので、どこか別の場所にお祀りされている弁天さんに呼ばれているのかと思っていた。
どうやらそうではなかったようだ。
富士山へと向かう前日、どのあたりに行こうか? 山梨方面がいいか、静岡方面がいいか?
そして、出会ったのが「竜宮洞穴」だった。
樹海のなかに神社 富士観光興業株式会社HPより
掲載されている写真にドキッとした。
ちょうどその日、芝大神宮でみせられたビジョン。何度も江の島でみせられたビジョンと似ている。
鬱蒼とした森のなか、洞窟、そこに鎮座している神がいるはず。
さらに調べてみれば、そこには、豊玉毘賣がお祀りされているという。
豊玉毘賣
日本神話に登場する女神。神武天皇(初代天皇)の祖母として知られる。
海神(わたつみ)の娘で、竜宮に住まいする。真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)であり、異類婚姻譚の典型として知られる。神武天皇(初代天皇)の祖母であり、天皇の母玉依姫の姉にあたる。
豊玉毘売の「豊」は「豊かな」、「玉」を「玉(真珠)」と解し、名義は「豊かな玉に神霊が依り憑く巫女」と考えられる。(ウィキペディアより)
明日は、天皇誕生日。
これもなにかの縁なのか、なにか意味するところがあってのことなのか分からないが、行ってみたい気持ちがどんどん強くなっている。
だが、気になるのは樹海。
樹海・・・
青木ヶ原の樹海といえば・・・
でも、やっぱり行く必要があるようで、おそらく行くことになる。行けるのだろう・・・。
樹海という言葉は傍において、内なる声なのか、天の声なのか、従ってみよう。
思ったよりスムーズに到着!
やはり、今日ここに来ることになっていたのだろうか・・・。
そんなことを考えながら、樹海を前に佇む。
足が止まる。
じゅ、樹海だ・・・
ひと的意識が不安になる。
どこだ?
この先にあるのか?
向こうのほうに看板がある。
そろそろと樹海へと足を踏み入れる。
異界。
少々緊張する。
「立ち入り禁止」の看板。
どうやら、落石やらガスやらで洞穴内は立ち入り禁止らしい。
そこで、洞穴近くまでそろそろと近づいてみた。
崖のしたに、小さな祠がみえた。
そばまで行くことはできないので、失礼ながら、崖のうえから手を合わせた。
一瞬、白い龍がみえたよう気がした。
気のせいかな・・・。
鳥の鳴き声・・・
それ以外は、ほぼ無音。
写真を撮りながら、周辺のエネルギーを楽しんだ。
だんだんと体のなかに力が湧いてくるような感覚。
そして、気持ちが高揚してくる。
身体を動かしたい。
古代の祭祀のごとく、どこかの国のシャーマンのように、エネルギーの流れに合わせて身体を動かし、声を発した。
この地のエネルギーとわたしのエネルギーが調和する。
富士山なのか、樹海なのか? はたまた水の神? 龍神なのか?
ところでさっきからカラスの鳴き声がする。
なにかを話したがっているようだ。
ふと気づいた!
そうだ! 六芒星をもってきていたのだった!
いま、わたしが立っているところから右下には階段がある。
少しだけ、祠に近づいてみた。
祈り。
写真を撮る。
光の様子が変わってきた。
だんだんと形をなし始めた。
なんだ?
なんだ?
まるでそれは・・・白いへび?
白い蛇神か?
六芒星と様々なエネルギーがシンクロしたのだろうか・・・。
目が現れ、白い龍にも、宇宙人にもみえる。
白い龍。
洞穴のお社を守る白い龍。
それともここに住まう八百万なのか?
ところで、不思議なのは、わたしがみたビジョンは、いつも洞窟のなかから外の景色を眺めるような配置なのだ。
もしかすると、その瞬間に祠に住まう神エネルギーがわたしに入り、みせているのかもしれないと、その時、ふと思った。
さて、この場所に名残はつきないが、やはり、ここは異界。神域。
ひとが長い時間居座るところではない。
人間界へと戻ろうとしたところ、さほど奥まってはいないところにもかかわらず、一瞬、方向感覚がおかしくなった。
聖域。神域。冷やかし半分で訪れる場所ではないと思った。
畏敬と畏怖の念をもち、マナーとルールを守って訪れたい。