オールドソウル 霊主肉従の生き方 自分が自分を見捨てない!

2020.2.10  Chikako Natsui
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多摩川の近くを通ったとき、ふと思った。

昨年秋は複数の台風に見舞われ、多くの川が氾濫した。
わたしが住んでいる場所からさほど遠くない地域を流れている多摩川も例外ではない。

ただ、わたしがその日みた多摩川は氾濫地区ではない。

周辺には、掘っ建て小屋とも思えるものも複数建っている。

ホームレスのひとが住まいにしているのだろうか?

そこからだった・・・。

 

「もしかすると、ここにオールドソウルの宇宙ソウルがいたのかもしれない」

 

天と地のエネルギーを調和させるのが、宇宙ソウルの魂の本質。

また、ホームレスという生き方は、オールドソウルが好みそうでもある。

家をもたず、定職に就かず、衛生面や健康面においても、社会的規範や常識的なことからするなら、枠の外にいる。

社会という枠から飛び出し、あるいはひととしての枠からも飛び出した生き方。

この世界のなかに居場所が見つからず、どうしようもなくなって、やむにやまれず、その生き方にたどり着いた場合もあるだろう。

ひととしての、社会的な権利や義務を放棄し、そこにいるのかもしれない。

人間的な事情は様々。

しかし、オールドソウルの場合には、どんな枠をも苦手とし、それを打ち破ったり、足蹴にしたり、放棄することもある。ひとによっては自虐的とも怠惰とも思える生き方をすることもある。

社会的にいいか悪いか別にして、息苦しく、酸素を吸おうと思ったら、肩の力をぬいてリラックスしようと思ったら、生きやすい場所を探しているうちに、うっかり、いや、必然的に枠の外に来てしまった!

そんなこともあるかもしれない。

無意識に、スピリットに導かれて、魂の本質を生きるため、いやもおうもなく、その生き方を選んだ。

他者からみるなら、オールドソウルは独特な生きかたをするかもしれない。

えっ!? どうして、そんなことができるの? 恥ずかしくないわけ〜と思われることも度々あるだろう。

恥ずかしいの内容と沸点が他者とは違うのかもしれない。

この世界の枠のなかに収まり、他者と同じように生きる。魂を生きれない、自分自身を生きれない、大宇宙からズレて生きることのほうが、苦痛だ。

真似するのも、真似されるのも苦手。もし、わたしの目の前にわたしの真似をしたひとが現れたなら、わたしは恥ずかしいと感じるだろう。

大宇宙にこの魂はひとつでいい。

 

ひと的意識では、理解しがたいことかもしれない。

ホームレスの生きかたを選んだひとがすべてオールドソウルではないだろう。
でも、ゆったりとくつろいだように流れているその日の多摩川を見ていると、そんなことが思い浮かんだ。

 

そう・・・

魂の本質、ありのままの自分を生きれていないと、どうしても、なにかの誰かの真似になる。

もしかしたら、親からの教えかもしれないし、学校で学んだこと、社会で培った経験、本やネットの情報で自分を作り上げ、社会枠からはみ出ないように生きる。

それがいつしか、だんだんとバカバカしくなり、腹立たしくなってくる。

ただ、なにを自分で怒っているのか? なにに腹を立てているのか? 分からない。

自分の内にある他のエネルギーと自分本来のエネルギーが葛藤をおこしているのだ。

 

魂を生きること、ありのままの自分を生きることが分からず、てっとり早く他者の真似をする。さらには違う知識をいれるなどをして、これまでの自分を造り替えよう、はたまた違う洋服を着てみようかということになる。

しかし、相変わらず、内なる葛藤はおさまらず、心身が混乱したり、病気になったり、イライラする。

 

こんなに頑張っているのに、誰も認めてくれない。

もっと頑張らなければいけないのか?

 

さらに自分を叱咤し、頑張ることに拍車をかける。

 

誰も認めてくれないのではなく、自分が自分を認められない。

頑張ったぶんだけ、誰かに認めてもらいたい。そして今度は他者を攻撃したくなる。

 

それが悪化すれば、様々な希望で分裂・対立がされていく。

他のエネルギーが影響し合って、内なる対立・分裂の結果、現象がそれだとは気づきにくい。

 

魂の成長の過程で、どんな自分をも認め、許し、受け容れるという段階がやってくる。

怠惰な自分、世の中の役に立っていない自分、ただ息をして、食べて、寝て、起きて、それを繰り返しているだけのようにしか思えない自分。

これまでの習慣・パターン、様々なエネルギーが内なる葛藤を引き起こし、まるで精神的におかしくなったのではないかと不安や恐れがやってくる。

息をするだけで、なんの生産性もなく、この地球に居場所などないのではないかと思える時間。

それもまた魂の修練。

他者と比較しない、どんな自分でも受け容れる、寄り添う、信じて、愛していく。

世間が認めてくれなくても、自分が自分を見捨てない。

 

そんな自分を認め、受け容れられるようになるなら、どんな他者をも受け容れられる。

どんな生き方をしていようが、社会に参画していようがいまいが、尊重することができる。

そして、対立や分裂、争いは無くなる。

 

それが、大宇宙へのワンネスへの道程でもある。

 

 

「霊主肉従」

 

霊界で起こっていることが先で、それが現象界に現れている。

 

この世界でうまくいかないことがあるのは、霊界と現象界、霊体と肉体の調和がされていないことによるものだ。

しかし、苦しいことがあると、ひとは感情に翻弄されて視野が狭くなる。現象界だけでなんとか取り繕うことをする。

例えば、繰り返し発症する病気。こっちが悪くて、あっちが悪くて、よくなったと思ったら、今度はこっち。

いっときの対処でなんとか生きながらえているが、そもそもの原因をみていない。

霊的にいうなら、病気は魂の計画と生き方が合っていませんよ〜というメッセージなのだが、これまで同様、いっとき対処を繰り返す。

破裂した水道管にカットバンを貼って、大量に水を流し続けるようなものだろう。

 

このところ出会う宇宙ソウルとは、大概、この話がする。

共通しているということは、大宇宙から宇宙ソウルへのメッセージなのだろう。

たしかに・・・

霊的な生きかたを意識していないと、この世界でひととしてもスムーズな人生になりにくい。

霊体がバージョンアップしてこそ、肉体というか、この世界のひととして自分自身が幸福感を味わえる。

 

 

宇宙ソウル。

 

霊的な生きかたを意識しているだろうか?

魂を生きているだろうか?