恥の文化
罪の文化
このところ、その言葉がグルグル回る。
恥の文化
アメリカの文化人類学者 R.ベネディクトが『菊と刀』 The Chrysanthemum and the Sword (1946) のなかで使った用語。他者の内的感情やおもわくと自己の体面とを重視する行動様式によって特徴づけられる文化をいう。彼女はこの「恥の文化」に対立する文化として,内面的な罪意識を重視する行動様式としての「罪の文化」をあげ,後者が西欧文化の典型であるのに対し,前者を日本人特有の文化体系と考える。すなわち,日本人の行動様式は,恥をかかないとか,恥をかかせるとかいうように「恥」の道徳律が内面化されていて,この行動様式が日本人の文化を特色づけているとする。(コトバンクより)
罪の文化
道徳の絶対的標準を説き,良心の啓発を重視する社会と規定し,西欧人は罪の内面的な自覚に基づいて善行をなすのであり,罪を犯した人間は,その罪を包まず告白することによって重荷をおろすことができるとした。つまり恥の文化と比べて,道徳の標準における個人の内在化の度合いが強いことを意味している。(コトバンクより)
魂は様々な経験をしたい。そして、霊的成長をしていく。
そのために、課題をこなすために、とある人生を選ぶ。
ひと、家族、生まれる場所、人間関係、仕事、すべての生き方、ターニングポイントを設定して、この世界へ誕生する。
課題をこなすために、選んだ惑星が「地球」。
この惑星で経験したいのは、感覚と感情。
感覚を開き、感情を味わい、その先にネガティブなエネルギーを解放していく。
生物としての「ひと」には、両親がいる。
その両親にも、それぞれ両親がいる。
命は、代々と受け継がれていく。
命だけではない、カルマという課題も受け継がれていく。
どこかの代で、気づいたひとが解放しないと、その課題はどんどんと雪だるま的に大きくなってくる。
たとえば、「うちの子どもが〜」と、子どもに対しての悩みがあるのならば、もしかすると親のうちに解放されていないネガティブなエネルギーがあるのだろうと思う。
すべての事柄には表と裏がある。
ひとのうちにも光と影があるように。
子どもは親に愛を教え、気づくことのないインナーチャイルドを見せてくれる。
上述したように、子どもの言動に困ったわ〜と悩みを抱えているのなら、それは親の自分自身のインナーチャイルドであり、癒す必要のある、解放するエネルギーということにある。
親がそれに気づき、たっぷりと自分を癒し、愛していくのなら、そのエネルギーは家族や周囲へも波及し、関わる人びととの関係性が変わってくる。
子どもとの関係性もまた変わってくる。
親が安定するのなら子どもも安定してくる。
成長途中の子どもは親から大きくエネルギー供給を受けている。
親のエネルギーの状態が子どもとして現れているともいえる。
しかし、これが成人した大人となると違ってくる。
子どもの場合には、親の庇護がなければ命をつなぐことができないので、親と子どもが一体となっている部分があるが、大人の場合には、自分で選択することができる。
親離れして、自分自身を生きることもできるし、自分がこうなったのは親のせいだ〜と不満を抱えながら生きることもできる。
だが、代々続く親のネガティブエネルギーを引き受けながら生きているのなら、それを自分の意思で手放す必要がある。
それもまた魂が設定した課題。
すべての調和のスタートは自分自身。
自分と調和しているのなら、家族も調和し、人間関係、環境とも調和していく。
そうでないなら、サバイバルな状態で生きていくことになる。
だが、なにを調和すればいいのだろう?
どこをどう修正していけばいいのだろう?
なにが不調和をおこしている?
わかりやすく見せてくれているのが、子どもの存在。
子どもは親に愛を伝えている。
親が意味が分からないままに不調和を引き起こしているそもそもを表現してくれている。
困った子どもだわ〜。
誰に似たのかしら?
そんなんじゃ恥ずかしくてひとさまに顔向けできない。
そうではなくて・・・
子どもはあらゆる方法で、表現で親に愛を伝えているのだ。
霊的にいうなら、成長段階にあるうちは、子どもは親のインナーチャイルドを表現している存在だから。
しかし・・・
子どもが成人したのなら、代々継がれ、エネルギー体に書き込まれたインナーチャイルドを癒し、解放する。
親の課題だったものが、今度は自分にOnして自分自身の課題となる。
その親を選んで生まれてきたことには意味がある。
その家族に生をうけてことには意味がある。
先頭に記したように、家族の風土の土台には日本の文化風土がある。
「恥」
ひとさまに笑われないように
ひとさまにご迷惑にならないように
ひとさまのために
他人軸で生きることが美徳とされるのが、そもそも日本文化のようにも思う。
「自分を無くし、自分を取り戻す」
それを課題として設定した魂たちが多く集まる場なのだろう。
他者の価値観で生かされ、成長したひとは、自分がなにを感じ、なにを思うのか、「自分軸」が成長しにくい。
常に他者の目、評価を気にしながら生きるようになる。
もちろん、それでは生きにくい。
葛藤を引き起こし、心身が病んでいく。おいうちをかけるように自信を無くし、自身を無くし、「自分」が分からない。
なにかをきっかけとして、それに気づき、自分を取り戻すというフェーズに入らなければ、魂の課題は遅々として進まない。
地球は、自分が自分になっていくための魂のトレーニングセンター。
なにかのきっかけで魂とのつながりを見失った光たちは、ひととなり、地球の低い波動にさらに混乱・困惑しつつ、自然に癒され、ネガティブエネルギーを解放し、光をとりもどしていく。
そのひとつのサイクルを経験するために、多くの宇宙ソウルたちは、あえてネガティブなエネルギーが充満しているともいえるこの惑星を選んでやってきた。
光を取りもどす。
やがては・・・
光へ