夢をみた。
たくさんの牛が牛舎につながれていた。
潤んでキラキラと輝いている目からメッセージは読めない。
ただ狭い牛舎で窮屈そうだなと思った。
目が覚めてあとから思ったのは、牛舎のなかの牛にわたし自身を投影していたことだった。
解き放たれていないエネルギーがある。
そこで、イメージワークのなかで、牛たちを牛舎からワラワラと放ってみた。
ついでに牛舎のなかのお掃除もして、ピッカピカにしてみた。
お掃除中に、仕切りが要らないと思い始め、今度は仕切りを外してみた。
ふ〜 風通しが良くなったぜぃ!と、思いながら、「なぜ、わたしが牛舎にいる必要があるのか?」「牛舎はいやだな・・」と、気持ちが変化した。
そこで、思い切って、いや、思ひ切るもなにも、まったく躊躇なく、牛舎を壊すことにした。
牛舎が無くなって、ただの野っ原になるのも寂しい。だったら、見える景色が自分の好きな場所にしよう!と、思い、目の前に広がるのは南の島、青い海が広がる映像をみた。
ふ〜 やれやれ!と、思った途端、わたしのエネルギーが軽くなった。
夢・・・
アストラル界へコネクトして、潜在意識を変えることは、さほど難しくはない。
無意識・潜在意識におどろおどろしいものを抱えると、それはそのまま現象となって現れる。
実は、この牛たち、まだメッセージがあったようだ。
世界のどこかで大量に殺処分された牛たちのエネルギーであること、そして、牛は素戔嗚の神使でもある。
もしかすると、どこかで、牛が大暴れしたように地のエネルギーが轟くのかもしれない。
様々なエネルギーがシンクロして、複数のメッセージをうけた。
さて、エネルギーも軽くなり、潜在意識と無意識の扉がひらきやす区なっていた。
そのまま瞑想からの変性意識状態で見せらた高次元。そしてメッセージ。
「剣に蛇が絡まっている」
「それがお前をあらわすものだ」
また、蛇・・・ね。
それに、剣。
蛇
剣
ひと意識へと戻り、「蛇と剣」を調べてみると・・・
アスクレピオスの杖
ギリシア神話に登場する名医アスクレピオス(アスクレーピオス)の持っていた蛇(クスシヘビ)の巻きついた杖。医療・医術の象徴として世界的に広く用いられているシンボルマークである。
このマークは世界各国で救急車の車体に描かれていたり、軍隊や準軍事組織等で軍医や衛生兵などの兵科記章や資格章・特技章に用いられていることも多い。
ケーリュケイオン
カドゥケウス(ギリシア語のケーリュケイオン、伝令使の杖)はギリシア神話のヘルメース神の携える杖である。
(ウィキペディアより)
へ〜と思いながら、内容を読み進めていると、言葉は正確ではないが、次のようなメッセージ。
多くの医療に携わる者やそれらに関係する者が癒されれば、この世界の「病」は少なくなる。
現象の世界では、それが難しい。
少なくなるどころか、医療や介護に関わる予算は増えているのではないだろうか。
この世界から医術が失くなることはないにしても、すでに仁術でも無くなっているようにも思う。
経営、人心のコントロールという我欲にとって変わられている場合も多いのではないだろうか。
患者・クライアント・利用者がいなければ、お金が入ってこない。経営が成り立たない。
心身が疲弊していることを利用し、優位に立ちたいという心理が働く。
始まりは、仁・愛・慈の想いだったひとが、我欲によって、自分を生かすために、弱きひとを作り始めた。
施すひとは、施されるひとがいなければ存在しない。
施されるひとは、施すひとがいなければ存在しない。
両者は互いによって存在し、表と裏の関係。
施すひとのエネルギーが、施されるひとを現す。
時とともに、それがどんどんと積み重なり、大きくなっていった。
病気になることが当たり前の世界。
いやいや、本当に当たり前なのだろうか?
それは、心身魂の乖離。
施されるひとに癒しが必要ならば、施すひとにも癒しが必要。
表裏一体。
想いはエネルギーとなって現れる。
他者は騙せても、自分にうそをつくことはできない。
自分の魂を騙すことはできない。もちろん大宇宙を欺くことはできない。
どんな想いで、目の前のひとに向き合うのか・・・。
それは、自分自身への日頃の問いでもある。
霊的世界は面白い。
どうにも理屈や理由、理論は当てはまらないことばかりだ。
牛を追い出して、牛舎を壊してみたら、剣と蛇がやってきた!