漠然としか分からなかったことが、語らせられ、納得することがある。
分かるようで、分からない、なんとなくモヤモヤしていたことの意味が、言葉となって現れる。
霊的世界
精神世界
スピリチュアルな世界
異次元
多次元
高次元
どう表現しようとも、見えざる世界のことをいっている。
肉体をもち、物質界・現象界といわれるこの世界を生きる大概のひとは、両の目でみることは難しい。
しかし、地球のアセンションが始まった今、霊的世界と現象界の距離が縮まり、その世界を感じることができるひとも増え始めた。
生まれたときから霊感のあるひと、敏感体質なひとなどは異世界・異次元のエネルギーを感覚を通してキャッチする。
だが、悩ましいことに、生まれた時代が早かったのか?
未来体質は、まだまだこの世界に適応しづらく、生きにくい。
過去生からのネガティブエネルギーの蓄積量によっては、見えない世界のエネルギーに恐れおののきながら生きなければならないこともある。
この世界の波動と体質が合わない。
地球のアセンションがスムーズにされるまでは、いっとき、この世界には、精神的な病気と診断される宇宙ソウルも多くなるように思う。
他者には見えないもの、聞こえない音に怯え、苦しむ宇宙ソウルもいるかもしれない。
霊的世界と現象界が近づけば、普通の人々の意識にも変化が現れる。
これまでスピリチュアルな世界に興味がなかったひとが、見えざる世界のことに興味をもち始めたり、自分の運命・宿命が気になりだす。
なんとか占い、なんとか術、○○ヒーリング。チャネリング・リーディング、地球の動きに、宇宙の動き。○○教の□□先生の教え。瞑想、気功・・・etc,
これもまた時代の移り変わり、星の配置に、地球のアセンション。
人々の無意識、魂に影響をおよぼす。
しかし、あるときから、なにか違和感を感じていた。
スピリチュアルだ〜
精神世界だ〜
なんだ〜 かんだ〜
同じようなことを話題にしているのだが、なんというか、適切な言葉が見つからないのだが、高次のエネルギーを感じないというか、氣が合わないというか・・・。
アセンションだ〜
次元上昇だ〜
あれこれヒーリング受けて、学んでいる〜
そう言いながら、エネルギーの質が重い。ネガティブエネルギーを抱え込み、どころか、取り囲まれている魂をよくみる。
ずーっと悲しいままで、ずーっと恨みつらみで、苦しさが変わらない〜
はて? はてて?
これはどうしたことか?
ずっと・・・ヒーリング受けている・・のに? 学んでいる・・・のに?
まーそれも、魂の決めてきたことなんでしょ!
覚醒の時期は、魂の役割や段階によっても違う。
スピリチュアル
霊的世界
ひとは正解を欲するいきもの。
そして、自分の正解と他者の正解は同じであって欲しい。
しかし、霊界にあるそれぞれの魂の位置が違うと見えるものが違ってくる。だから正解もそれぞれだ。
あるひとが、こうよね〜といったことが、そのひとには、あ〜よね〜になる。
例えば「市役所」の場所や形。
あのひとは、「市役所」といえば、アゼルバイジャン共和国の話をするかもしれないし、このひとは、トンガ共和国の市役所の話をしているかもしれない。
そのくらい見えているものが違っているが、霊的世界だ。
だからわたしも、他者から聴いた霊的世界の話については、「へ〜」と思うくらいだった。
あるとき、魚座の時代の霊的修行と水瓶座の時代となったいまの霊的修行はスピードが違うという話をしていたことがあった。
旧時代の宗教指導者の多くは、辛く。険しく、命をかけての修行がほとんどだったろう。
しかも、その霊能力や指導力を恐れる、時の権力者たちの策謀によって、さらなる過酷な人生を歩む魂もあった。
まるでそれは、神や仏から与えられた試練なのか?と、思うこと度々だったろう。
今の時代であっても、霊的に成長しようとするならば、過酷な修行を必要とすることもあるだろう。千日回峰行の例などもあるように。
霊性を高める、霊的成長をするには、千日回峰行までとはいかなくても、誰であっても我欲、エゴ、ネガティブエネルギー、カルマなど様々な言い方はあるが、自分自身に向き合い、それらを手放していく必要がある。
それが魂が輪廻転生を繰り返す意味であり、それ無くして、魂の成長とはならない。転生を終え、大宇宙への統合とはならない。
いまの時代、簡単にネガティブエネルギーを除去する方法が開発されている。
それがいいことなのか? そうではないことなのか? 分からない。
だが、魂は様々な人生を繰り返しながら、カルマを積み、カルマを手放すことを決めている。それがまた宇宙のルールでもある。
だから、誰でも、それが自分であっても、ソウルプランを変えることはできない。
それを変えるというのならば、カルマとなり、それもまたソウルプランなのかもしれない。
うえの図を説明すると、
ひとの意識を富士登山で表したものだ。
実際の富士山を思い出してみると、5合目までは車などで楽チンに行くことができる。
それ以上を目指そうとするならば、えっちらおっち、わっせわっせ、ゼーゼーハーハーとそれなりの服装と装備をして登っていかなければ頂上には辿り着かない。
もしかすると、運悪く、うえからの落石に当たって怪我したりする危険もあるかもしれない。
霊的成長もそれと同じように思う。
いまの時代、地球がアセンションをしているので、そこに乗っかっている人間も、あれやこれや学んだり、ヒーリング受けたりして、楽チンにアセンションすることはできる。
もしかしたら、単にエレベーターに乗っているだけで、アセンションした気分になっているのかもしれない。
富士登山の場合には、車で行けば5合目までは行ける。
しかし、ここから先は、エネルギー体のアセンションだけでは大宇宙はOKとはならない。
「変容」
霊的成長には、それが必要だ。
そのひとを形つくっている、心身魂すべてが変わる。
そうなると、そうなる?
簡単な目安として、嫌いなひとがいなくなる。
嫌いなことがなくなる。
自分が幸せだと思える状態になる。
魂エネルギーが引き寄せ、具現化する。
なぜなら、
内なるドロドロが消え、魂と、地球と、大宇宙とつながり、そのエネルギーによって生かされる。
こころの内の安心、安全、平和は、外の世界にもそれを見せられる。
自分を愛することは、わたしを取り巻く世界すべてを愛することができる。
簡単にいえば、平和な世界に身をおけるということ!
それには、
霊的成長なくして、魂とつながることも、大宇宙とつながることもない。
5合目で満足するか、それ以上を目指すのか?
あなたの魂は、今生でどのあたりを目指そうと転生してきているのだろうか?