朝方だった。
大きな茶色のような、カエルが寝ているわたしの首元にやってきて、もぞもぞと動いて存在感を示したかと思ったら、首の後ろ、ちょうどチャクラのあるあたりだろうか、中に入ろうとしていた。
ギョッとしてびっくりしたわたしは、体をよじり、よじりしていたところで、目が覚めた。
夢。
アストラル界での出来事。
苦手なカエル、それも不気味とも思えるほどの大きさに意識を奪われた。
ふん! わたしの中に入ろうなどとフトドキなカエルめ〜。
と、思いながらも、午後になってもそのイメージが頭から離れない。
あれ? なにか、大切なことのような・・・・
あれ? 首元にグシュグシュ。この感覚、前に、どこかで・・・
夕方になり、ようやく気づいた。
あの、首元グシュグシュの感覚、以前は、ヘビがやってきたことに。
あの時も大ショックだったな〜・・などと思い出していた。
そして、途端にメッセージ。
カエル 神様。
そうだった! 以前もカエルがやってきて、調べたことがあった!
カエルは、神さまのお使いだった。
そうだった、そうだった!
さて、どちらの神さまよりのお使いさん?
調べてみれば、
猿田彦大神。
日本神話に登場する神。
邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。
(ウィキペディアより)
※邇邇芸命 天照大神の孫。
天照大神の孫の邇邇芸命が、天より地に降り立つ際、地にありて出迎え、迷わぬようにと道案内した国津神が、猿田彦大神である。
そのため、この神は、導きの神、交通の神とされ、道祖神ともいわれる。
猿田彦大神〜。
お名前は存じあげておりますが、初めまして!の神さま。
毎月、お礼参りに訪れている江の島にある江島神社の辺津宮から中津宮へ行く道すがらにも在ったのを記憶している。
導きの神さま、道案内をしてくれる神さま!
そういえば、おとといの夜だった。
夜空を見ながら、瞑想。
「導いてください」
想い、言葉が湧きあがった。
9月から、少しずつ新たな扉が開く感覚があった。
浄化のための体調不良が、それを加速させる。
しかし、同時に、羅針盤をもたずに大海原に飛び出したような気持ちにもなっている。
何かが見えるかというと、まだ漠然としすぎていて、形にならない。言葉が浮かばない。
焦れば、さらに道に迷い、考えれば、波動の低い思考にハマるだけのことも分かっている。
魂の声が聴こえるまで、天からの導きがあるまで形にすることは止めておこうと思った。
大宇宙に委ねる。
待つ。
聴こえるまで、湧き上がるまで、待つ。
思考はひととしての機能、過去のデータベースの検索、他社のエネルギーの影響。
自分ではないものが多く含まれている。
わたしの感覚はどこに開かれているのだろうか?
想いが天に通じたのか?
担当神が反応してくれたのか?
お使いを寄こしてくれた!
だが、しかし・・・
どうして神さまのお使いには、爬虫類やら寮生類が多いのだろうか。
気づかせ方も、激しい。