10月は、神無月ともいう。
しかし、出雲大社ではその時期、全国から神々が集まるために「神有月」と呼ばれていると、いつだったか聞いたことがあった。
出雲大社への旅は、じみ〜にじわ〜と感動することの連続。
魂が喜んでいた。
さて、神在月。
なんと! 出雲大社の境内には、八百万の神が滞在するためのお社がずらりと並んでいたのには驚いた!
10月はまだ先だが、そこでお参りすると全国に鎮座している神々へ祈りが届くというので、ご挨拶をさせていただいた。
どのお部屋がだれ神さま、なに神さまのものか分からないが、本殿を挟んで東側にずらりと並ぶお社には、東日本の神さま、西側には西日本の神さまが逗留されるということらしい。
ところで、出雲大社の本殿は西を向いていることで有名。
なぜ?
理由は諸説あるようだ。
その一つ目は、出雲大社の御祭神は、大国主命。本殿後ろには、大国主命の妻・須勢理毘売命の父神である素盞嗚尊のお社があり、そこにお尻を向けることを憚ってのことという説。
二つ目は、神在月の際、各地の神様が、出雲大社の西にある稲佐の浜からやってくるので、その方角を見ているとか。
わたしは、出雲の神さまが西を向いているのは、それとはまた別の意味があるような気がしている。
はっきりしたメッセージ、またはまたビジョンがやってきたなら、この続きは書こう。
出雲大社へ到着してから1時間ほど、神々の祝福だったのか、急に小雨が降り出し、不安定なお天気だったが、ひととおりお参りが終わる頃には、太陽が顔をのぞかせた。
暑い・・・
一度、境内の外に出て、腹ごしらえをしてから、改めて、正門から再入場!
やっぱり気分が違う!
祓い神々にもご挨拶をし終え、出雲の神さんといえば、ウサギだよね〜と納得しながら、ふと、奈良の春日大社の鹿を思い浮かべる。
そして、生きたウサギが出雲大社の境内にわんさかいる様を想像してみた。
ウサギの生態は知らないが、鹿のようには放し飼いはできないのだろうな〜と、ありもしないことにひとり残念がりながら、写真を撮り続ける。
そして、暑さにグッタリしたところで、拝殿前に、日陰で座れる、ちょうどいい場所を見つけたので、ひと休み。
拝殿に参拝するひとを眺めながら、出雲大社の空気を堪能する。
暑くてぼーっとしていたときだった。
ある瞬間に、ひっきりなしに参拝客が参っていた拝殿前には誰もいない!
シャッターチャンス!
慌てて、写真を撮る。
その直後だったか、それもとも前だったか?
それはまるでルローモーションのようだった。
5cm四方の大きさの、白い羽? 紙吹雪? それが宙に舞っているのが目にはいった。
なんだろう?
羽なのか? 紙なのか? 拝殿横の玉砂利のうえから、フワーッと地面に落ちてくる・・・。
まるで時間が止まったように思えた。
周辺には誰もいない。声も、音も耳に入ってこない。
わたしは宙を舞っている羽? 紙? を、目で追っている。
羽なのか、紙なのか? まるでそれそのものに意志があるかのように、ゆっくりと、ゆっくりと、玉砂利のうえに落ちていく・・・。
わたしの魂が出雲大社という神域のなかで、これまでの次元とは違う次元に意識がはいったことを知らせる。
神エネルギーがそばにいることを教えてくれる。
なんとも不思議な感覚・・・。
だが、そうはいっても、もう一方では、低次元のわたしの人間意識が理由を求める。
あれはなんだった?
誰かの落し物? ゴミ?
あとから、そのあたりを見回してみたが、それらしきものは落ちていない。
神域、高い波動、暑さなど複数の条件が重なって、いとも簡単に変性意識へとはいっていたのだろう。
違う次元での出来事・・・。
白いひも
白い羽、紙・・・
紙と入力すると、「神」がでてくる。
白いそれらは、神からのメッセージ。
次の日は、朝からよく晴れた!
出雲大社の上空には、龍蛇神が数多く舞っていた。
龍蛇とは?
大国主命の神使が龍蛇神といわれる。
神在月の時、稲佐の浜に到着した各地の神々を案内するのがお役という。
それもあって、わたしは霊界ではよく蛇神に遭遇する。
その度に、びっくり! おののく!
2日目は、本殿の後ろに鎮座している素盞嗚尊のお社からご挨拶。
朝から多くの参拝客が訪れていた。
少し高くなった場所にあるお社から階段を降りながら、太陽があまりにもエネルギーが強く、綺麗だったので、ふと写真を撮りたくなった。
どうして、その場所を写したくなったのかは意味不明。
また、不思議なもので、そういうときは誰もわたしの周辺にはいなくなる。
光が降りてきていた場所あたり。その部分だけが、石が無い!
この大和(日本)を作りし神々は、地球を作りし、宇宙を支配する神々は、大宇宙は、それを見せ、メッセージを送りたがっていた。
その地を守る神エネルギー、地球エネルギー、大宇宙のエネルギー、そして、わたしの魂がシンクロしたとき、その意味がはっきりと分かった!
光の柱。
ひとのうちに、自然のなかに、光の柱を建てるのだ・・・
八百万とともに
精霊とともに