現界・霊界・神界を行ったり来たりしていると、いろんな経験をする。
そんな連続だった今回の神旅!
それは、出かける前から始まっていた・・・。。
初!出雲大社 参拝!
伊勢神宮は何度か訪れているものの、出雲大社はまだ行ったことがなかった。
出雲大社といえば、「縁結び」が有名!
それもあったかもしれない。
この世界を生きるのには、ひとの縁には恵まれていた。
だから、わたしには必要ない!・・・って、思ってた。
そして、なにより!(人間的)行かない最大の理由は!
遠い・・・
それに尽きる。
それが、昨年くらいから、たまーに頭の中に「出雲大社」が出入りする。
でも、内から湧き上がる「なにか」があるわけでもないので、そのまま放置。
やっぱり気になるから、節分に、出雲大社 相模分祠に行ってみたが、それでも頭の中の出雲大社は大きくなって来ない。
「呼ばれてない、呼ばれてない」
今年になって、頭の中で、どんどん大きくなる出雲大社。
でも、わたしの人間的な部分はあれこれ理由をつけては参拝を拒否している。
不思議な葛藤を抱えて1〜2ヶ月を過ごした。
それは、6月だったろうか・・・。
わたしは、意識がなにかをキャッチする前に、身体が動く。
地震の前の動物の動きと似たようなものかもしれない。無意識は知っている・・・のだ。
自宅の居間の入り口に、今年の節分に出雲大社 相模分祠からいただいた「立春大吉」のお札を貼っている。魔除けの意味もあって。
ある日、なぜかそれが気になり、視線を向けた。
特に変わりなく、お札はそこにある。
そのときは両の目では見えないことも、後から現象となって現れることがある。
霊界で起こったことが、この世界に姿形、物質となって現れるにはタイムラグがあるのだ。
どうやら、「なにか」が霊界でおきたとき、わたしの身体は反応するようだ。
「つなぐ」魂は、この世界と異世界の境界が曖昧、次元と次元、現世と過去生など様々な境界が曖昧になっている。また、感覚も鋭敏になっているので、「なにか」が「おきている」ことをキャッチしやすい。
遠い土地のこと、おきてもいない大きな自然災害や事故などひとの命が奪われるなどに反応して、不安定になっていることなどもある。
虫の知らせ 胸騒ぎ 第六感・・・それは、様々な言葉で言い表される。
すべてはエネルギー。見えていても、見えなくても、それは存在する。
霊界でそれが決まっているのなら、時空を超え、わたしを刺激する。
話は戻り、「立春大吉」のお札。
最初に見たときは、しっかりとそこにあった。だが次の日には、ポロンと床に落ちていた。
それを見た瞬間・・・「あっ・・」と、言葉にならない不安が湧いた。
それでもわたしは、「きっと、貼ったときのテープがあまかったに違いない!」と、誰もが思うような、人間的な理由付けをした。
それで、ガムテープをがっつり、しつこいくらいにして、お札をもう一度貼り直した。
しかし、次の日、その次の日もお札は落ちる・・・。
あるときは、夜中、わたしがトイレに起きたときを見計らったのか?と、思えるタイミングで落ちている。
お札との攻防戦は、4、5回繰り返しただろうか・・・。
3回目くらいのときに、気づかないふり、知らないふり、聞こえないふり、意識の奥の方に閉じ込めていた「出雲大社」が大きくなっていることを認めないわけにはいかなかった。
それからすぐに出雲への旅を決め、旅行会社へ予約した。
出雲の神様にご挨拶に行く意志があることを伝えた。
旅程が少し先になっても、予約を入れた段階で、神エネルギーとつながることは、これまでの神旅で何度か経験した。
わたし自身の扉が開くとき、神旅は設定される。そして必ずと言っていいほど、激しく心身の浄化が起こる。
案の定、8月の頭にそれはあった。熱、鼻、席、怠さでほぼ1週間は寝て過ごした。
出雲大社への旅が決まるまで、今思い出してみると、「立春大吉」のお札だけではなく、もうひとつ大事な気づきがあった。
その頃、わたしにとって大きなセッションが続いていた。見えざるエネルギーにコントロールされている魂、憑依されていたり、悲しいことにダークエナジーが意識に入り込んでいるケースが立て続いた。
常に自分を見続け、浄化していても、見えざるエネルギーは少しずつわたしを侵食していたのかもしれない。
ふとしたことに気づきが鈍くなったり、感情が並み立つこともあったからだ。
いつもの守りや浄化では追いつかないほどだったのかもしれない。
魔除け的に貼っていた「立春大吉」だったが、お札が・・・というと変だが、出雲の神様の分身のエネルギーが魔との攻防を繰り広げていたのかもしれない。
夜中にコトンと落ちていたお札を見た瞬間に、そんなことが浮かんだ。
さらに、自宅の簡易神棚に飾ってあるお札は、それこそ生まれてからずーっと毎年お正月に親が用意してくれている。
ある夜のことだった。
お供えしている水がわたしのお札にビッシャリとかかった!
それを見た瞬間に、「霊的浄化が行われた!」と、思った。
そして、さらにわたし自身のエネルギーをさらに強くしよう、波動を高めよう、そのときがやってきたことにも気づいた。
魔が入り込むすきがないほどに、わたし自身の魂の光を強くすること、大宇宙とのつながりを太く保つことを思った。
二極化のこの世界で経験する人間的な情には、温かい側面と邪悪な側面がある。
ひととして生まれた魂は「情」に右往左往しながら、学びを深めていく。
だが悩ましいことに、これまでの生でもなんども苦痛を味わい、ときに地獄かと思える人間の業を経験すると、それは幽界にネガティブエネルギーとなって蓄積される。そして、時空を超え「いま」の「自分」に影響を及ぼす。
わたしの魂も転生を繰り返し、ネガティブエネルギーを手放しながら、魂の光を強めてきたものの、やはり幽界とのつながりは全部は無くならない。学びの分だけつながりは残っている。
幽界にあるネガティブエネルギーが魔を引き寄せ、それにわたしは影響を受けていた。
自分では気づかないほど精妙にダークエナジーの使い魔は寄ってきたのかもしれない。
おおごとになる前に、スピリットガイド、守護霊達はそれを見抜き、わたしを守ってくれた。
もっと早めの段階で出雲の神様を頼っていれば良かったのかもしれない。
人間的理由で行くことを拒んでいたのは、すでにダークエナジーの影響を受けていたのかもしれない。そんなことを思ったりもした。
見えざる世界にコネクトするとき、見えざる力を使うとき、心身魂を浄め、次元を高め、かつこの世界での自分軸をしっかりしておくことは大事だ。
そして、常に常に、深く深く、自分自身を見守っておくことの大切さを改めて気づかされる。
経験、葛藤、気づき。様々な気持ちの葛藤を経て、出雲大社への旅が始まった。
この旅は、また、自分が大きく変わる予感がしていた。
しかし、やっぱり・・・遠い。
なぜ?
これまたわたしの人間的理由なのだ。
わたしは、ANAを利用する。マイレージを貯めたいからだ。
だが、ANAは出雲大社に近い「出雲縁結び空港」には飛んでいない。
それで、米子空港へ到着する個人ツアーを手配した。
遠い・・・。
山陰線に乗り、瞑想状態なのか、寝ているのか、ぼんやりした状態をずっと続けていた。
宍道湖を少し過ぎたあたりからだろうか・・・
急に目がカッと開いた!
自分自身でも不思議なくらい、見開いた目に力が入る。
これから起こることはひとつも逃すであるまい!と、言わんばかりの目の感覚。
内なる声が・・・
「そうか・・・神域に入ったのだ」と告げていた。
やはりここでも、身体が先に反応し、何かを知らせている。
ふと、諏訪神社へ行ったときのことを思い出した。
大きなエネルギーを有する神社は、半径何キロからだ?と、思えるほど、エネルギーの質が変わることがある。
諏訪の街へ入った途端に、第7チャクラと第6チャクラに大きなエネルギーを感じた。
出雲大社と諏訪大社・・・。
そういえば、出雲大社の神様 大国主命の息子 建御名方神が祀られているのが諏訪大社。
出雲と諏訪がつながる。
意識は神代の昔といまを行き来しながら、出雲市駅で下車、その後バスに乗り継いで、ようやく出雲大社へ到着!
ここからも色々あった! 神秘体験!
・・・続く。