「使命」
と、いわれると、
早くなにかしなければならない。早く目醒めなければならない。早く幸せにならなければならない。
とかく、「〜ねば」・・・「〜ならない」となりがち。
それは、どうにかして、技をもって、無理やりに「なる」ものではない。
宇宙ソウルの「使命」は、霊的世界で行われる。
「なにか」が、気持ちを焦らせるのかもしれないが・・・。
それをよくよく見てみると、過去生から続くネガティブな感情だったりする。「使命」という言葉の魅力にエゴがムクムクと起き上がり、なぐさめられ、そこをまんまとダークエナジーにコントロールされてしまっているのかもしれない。
自分のペースが保てないなら、魂から離れていく。
努力・根性・頑張り・必死、はたまた、○○のために!、○○を助けたい!など他人軸になりがちなら、これもまた違う。
確かに、人間界でなら○○のため!社会の役に立つことは、他者に認められ、高評価を得やすい。
しかし、それが他人軸となるのならば、魂は喜ばない。
幽界の影響によって、霊界と現象界が甚だ乖離しているこの時代。
社会に評価されることと、大宇宙に評価されることは、まだまだ反比例のようだ。
人間的にいうなら、世俗の垢を落として・・・のちに目醒めはやってくる。現象界の様々な捕らわれをひとつひとつ手放す過程でやってくる。
もし、頑張らねば! と、力技になっているのならば、誰かのために、社会のために!と、義務感や他人軸の正義感になっているのならば、それは過去生のエネルギーが今生へ強く働きかけているのかもしれない。
過去生でやり終えていないことが、時空を超え、ついうっかりクセ・慣れで同じように生きようとしているのかもしれない。
なぜなら、「自分」と乖離しているひとは多い。
現界に生きる肉体をもった人間と霊界にある魂の「つながり」を幽界にあるネガティブエネルギーが阻む。この世界を生きるほとんどの人間がその状態だ。
個が複数へ、それがどんどん大きくなれば、地球のカルマ、宇宙のカルマへと肥大する。
地球へやってきた宇宙ソウルの使命とは、地球のカルマを解き放ち、アセンションをサポートすること。
それに「特別な」「なにか」を必要としない。
手に入れるのではなく、逆に「手放し」が必要だ。
宇宙ソウルひとりひとりが自分自身のカルマを解き放し、幽界に囚われたエネルギーを解放していく。
これまで見てこなかった場所、蓋をがっちりと閉じ、鍵を何重にもかけてきた場所に光を当てる。
自分の闇に光を当てるとは、そこにつながる人類の闇の一端に光を当てることになる。
自分の内なる世界、アンダーワールドに光を当てる。
さて、闇に光をというのは、言うは易く行うは難し・・・かもしれない。
アンダーワールド? どこにあるんだそれ?
勇者の魂だけが行くことができる・・・アンダーワールド。
幽界。
そこには、自分のカルマ、家系・人類・地球・宇宙のカルマが暗く、大きく、重く蓄積している。
そして、自分自身の幽体を通じて行くことができる。
親に囚われて育った子どもは、大人になっても、取り込んでしまった親のエネルギーの影響に苦しむ場合がある。
そして、その影響を受けたまま、自分が親となり、今度は自分の子どもとの関係で悩む。
結局のところ、どんな関係性でも良好さを望むから、まずは自分。
人間だけではなく、自然や動植物などの異界との関係性にも通じる。
自分が自分と仲良く、調和する。
それには、自分を癒しつつ、親との関係で取り込んでしまったエネルギーやそこで得たネガティブエネルギーの手放しが必要になる。
親を恨みんでも、子どもをなんとか変えようとしても、周囲の人々を責め続けても、一向に自分は幸せにならない。
むしろ、その感情の渦の中でもがく苦しみ続ける。
それはひとつの公式なのか?というほど、多くのひとが抱える悩みだ。
その感情の浮き沈みの隙間に魔が入り込み、妖怪化しているケースを度々見かける。
魔が暗躍し、妖怪が妖怪を呼ぶ・・・
それが大宇宙を巻き込むカルマとなる。
スピリットガイドは見せた。
大宇宙のカルマ、地球のカルマを。
・・・続く。