この世界は、3次元といわれる。
そして、この世界を生きる人間はすべて3次元のいきもの。
しかし、魂の本質的相違によって、霊体の周波数というか、波動なのか、生まれたときからそれが微妙に異なるようだ。
それによって、同じ3次元を生きているのだが、存在する場所が違うというか、歩いている道が違うとてもいうような現象がおきる。
いいとか悪いとかではなく、歩いている道が違うわけだから、自ずと見えているものが違うし、興味の対象も違ってくるし、人生の選択もそれぞれだろう。
スマートフォンやパソコンなどを使っていると、定期的にOSやソフトウェアのバージョンアップのメッセージがくる。
例えば,、iPhone 7を使っていても、バージョンやリビジョンによって機能の違いが微妙にある。
バージョンアップしたら、画面が変わったとか、メニューが増えたとか・・などの経験はないだろうか?
それと同じように、3次元を生きる人間。がわは人間だが、魂の本質が違うと、興味の対象が違ってくる。
ものの例えで言えば、3.1次元を歩くひと、3.3次元のひと、3.7次元のひと、または、肉体は3次元にありながら、ゲームの世界に埋没し、脳内が2.8次元あたりにいるひともいるかもしれない。
学校や会社組織など、目標を同じくしなくてはならない環境にあっては、バージョン・リビジョン違いは、大変!
スマートフォンやOA機器は、一度バージョンアップすると、そうそうバージョンダウンすることはない。まれに、機械本体とOSやソフトウェアの相性が悪いとかで、一時的にダウンさせることもあるかもしれないが、そうないケースだ。
しかし、人間の場合には、肉体、感情、思考があるので、バージョンアップ、ダウンは結構頻繁だ。
バージョンアップを、霊的な世界では次元上昇やアセンションともいうが、中途半端なアセンションは、何か少しでもストレスがかかったりすると、すぐに波動は落ちやすい。
また、根本的なところが変わらないのに、霊体だけをアセンションさせても、肉体とエネルギー体の差が大きくなりすぎて、体調を崩したり、不安定になったり、場合によっては、その隙間に魔が入り込みやすい。
どんなに魂の本質の周波数が高くても、人間的な経験がなく、感情教育がなされず、感性が育っていないと、葛藤を起こしやすくなる。
例えば、高校生が大企業に正社員として雇用されるようなものかもしれない。
こころの成長が追いついていないので、社会というエネルギーに翻弄され、埋没し、傷つく。
エネルギーを高めるには、事前にある程度はこころを成長させておかないと、結局は本人が魔に魅入られ、辛い思いをする。
魂の本質、3次元的リビジョンは、幼いころから私に様々なものを見せてきた。
見せてきた・・・
というより、そういうリビジョンの道を歩いていたのだろう。
だから、この世界を生きる大概のひとが否定することが、当たり前だった。
神様、天使、妖怪、幽霊・・・3次元ではなかなかお目にかかれれない存在たちが、3次元リビジョンありだと、それは当たり前の話になる。
ジブリの席はすぐどこだ。
しかし、大宇宙が作っていない世界がある。
幽界。
人間のネガティブな想念が積もりに積もって、蓄積し、肥大化している世界だ。
この世に未練が残り、霊界へと戻れない魂。
また、日本昔話やゲゲゲの鬼太郎などに出てくる妖怪たちや西洋の神話などにも出てくる悪魔的なものは、人間の想念が具現化されたもの。
鬼婆はいますか?と、聞かれたなら、わたしは「いますよ」と答える。
テレビ漫画で出てくるような姿形で現れるわけではないが、エネルギーとしてそれを感じることはある。
それはこの世界を生きる女性の幽界のエネルギーから感じのだ。
過去生から続く、女性性に蓄積された苦しい、悲しみ、悔しさ、憎悪・・・そのエネルギーが鬼婆の姿を形作る。
鬼子母神の話を知っているだろうか?
自分の子どもを守るために、他人の子を喰う母の話だ。
ひとの正義とはこれほどまでに違う。
鬼子母神
夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの人間から恐れられていた。
それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。
そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。
(ウィキペディアより)
鬼子母神は、釈迦に救われた。
一方、この世界に目を向けてみると、邪鬼。悪鬼のエネルギーに巣食われそうになっている魂をよくよく見かける。
女性性の嘆きは、そのまま母なる地球の悲しみへとつながる。
そして、地球の波動がさがっていく。
延々と続いた女性性の嘆き、悲しみを癒すために、水瓶座へと時代が変わり、スターシードや宇宙ソウルの子どもたちが集団となってやってきている。
しかし、その活動も軌道にのらず、邪鬼・悪鬼にコントロールされ、鬼婆のエネルギーが大きくなりつつある。
そして、あちこちでまだ幼い子どもたちの命が失われ、宇宙ソウルたちが霊界へと帰っていく。
さて、わたしが生きるリビジョンの世界では、なかなか理解しがたい、説明しにくい事象がおきる。
まだ小学校へ入るか入らない頃だった。
どこかの記事でも書いた記憶があるが、ある日、わたし宛に「剣」が届いた。
真剣ではない。でも、ものすごく重く、西洋の飾りが施してあるサーベルというのだろうか。
ベルサイユのばらが好きだったが、だからといって、剣に興味はなかった。
とても小さい子が持てるような重さではなかった。
でも、どうしてか、剣が届いた。
その当時は、父親がマンガの懸賞にでも応募したのかと思っていたが、でも、何かが・・・違うと告げる。
なんでもすぐ忘れてしまうわたしが、いまでも覚えているということは、それなりにインパクトがあって、メッセージ性もあったのだろう。
そして、今になってシンクロするものがあった。
ワンダラーの聖戦。
聖戦というと、テロや遠い国の戦争を思い起こさせるのだが、そうではない。
祈りだ。
ワンダラーの聖戦とは神への、大宇宙への祈りなのだ。
それを忘れることがないようにと、現象となって現れたのが剣だった。
剣を上に向ければ、天界のエネルギーを召喚し、足元の地に向ければ、天のパワーを大地にしっかりと固定します。剣は癒しの道具にも武器にもなります。(ミスティカル・シャーマンタロットより)
わたしの魂は変革の時期を選んでこの世界へやってくる。過去生でも幾度となく剣を振りかざし戦ったことがあった。だが、今生では、さすがに魂も成長し、剣を振りかざしても、戦っても、なんの意味もなく、解決にはならないと悟った。むしろ、自分のうちを平和にすることが外の世界の平和へとつながるのだと学んだ。
だが、そう思えるようになったのは、魂を生きると決めてからのことで、人生前半は、会社の中で戦うこともあった。うっかり前世からの戦いぐせがでてしまう。
そこからの気づきもあり、ひとりひとりの内なる平和は、この世界全体の平和へとなっていく。
ワンダラーの聖戦とは、真の祈りによって、天地の神々、大宇宙のエネルギーをこの世界で具現化することなのだ。
3次元リビジョンありは、もちろん、そういう家庭環境、土地を選んで生まれてくる。
何度も書いているが、わたしの母も、自覚はないが霊的能力はあったと思う。波動は低いが。
これは、わたしが23〜4歳の頃だったと思う。
自宅からバス停までは、歩いて7〜8分ほどだが、その道に幽霊がでるとという噂が広まった。
そこは住宅が続いている場所だったが、その頃亡くなった近所のおばさんの幽霊だという。
わたしは、100%それを信じた!そのおばさんの幽霊にうっかり出会ってしまった自分を想像しては、さらに恐怖を募らせた。
そこで、毎日、母親にバス停まで迎えに来てもらっていた。
18時台とかの話だが、暗くなるかならないくらい。田舎といえどまだ車も人通りもあるのだが、いかに当時わたしが怖がりだったか。また幽霊話を間に受けて、社会人の娘を毎日迎えにくる母も、やはり、どこか異次元の世界を生きていたように思う。
実は、その亡くなった近所のおばさんに、亡くなる前日だったか、バス停で遭遇した。最後の言葉が「ちかちゃん、健康には気をつけなよ〜」と、わたしに言っていたおばさん、その時にはもう魂はあっちの世界に行き初めていただろうな・・・と、もしかして、すでにあの世だった!?
これまた想像すると、怖さ100倍。昔ならね。
結局のところ、魂が選んだ人生、親、土地環境なのだな・・・
今思い返せば、この世とあの世、次元と次元の狭間の体験をしすぎて、どっちにいたんだか?ということもちょくちょくあった。
それが当たりますぎると、日常すぎて、あえて誰かに聞いてほしいとか、説明したいとか、意味を求めてっていうのはしないもんだ。
ひとと会話が成立しないと感じるとき、それは様々な理由がある。
そのうちのひとつとして、3次元リビジョンが違うこともあるかもしれない。