魂が「それ」なら、「そう」なるだろう。
自分を信じることは、魂を信じること、そして、大宇宙を信じること。
霊的なカウンセリングを始めた頃は、そんなことが自分にできるのだろうか?
本当にこれでいいのだろうか?
自分を疑う気持ちや怖さが、多少なりともあった。
1件カウセリングが終わるごとに、疲れた〜と、大宇宙に委ねるよりも、まだまだ自力感の方が優勢だった。
しかし、自分の奥の方で、この道は間違っていない。自分はこの道を行くのだ。と、確固たるものがあったように思う。
魂が「そう」なら、いずれ「そう」なるのだろう。
霊的な世界と現界の行き来に慣れれば、わたしの周波数が上がれば、エネルギーが強く大きくなれば、この活動ももっと楽になる・・・はず!
そんな想いが内から湧き上がる。
1つのセッションが終わっては、自分に向き合い、自己調整する時間、祈りの時間を過ごしていた。
それを繰り返すうちに、周波数は上がり、エネルギーが強くなり、これまでこの世界で培ってきた習慣、思考のくせ、感情のもちかたなどがどんどん変わってきた。
その結果として、わたしの魂のエネルギーが具現化されるようになってきた。
これぞ! 錬金術! 魂のエネルギーの具現化!
それまでは、多くても1週間に1〜2回ほどだった霊的なカウンセリングの回数が、日に2回あったり、連日だったりと、なってきた。
「出会いは大宇宙の采配」
出会うひと、そのタイミングは、大宇宙が決めている。わたしの魂のエネルギーを指針として。
年も変わり、年号も変わり。
わたしの活動は、高次元で行うことなった。
八百万とともに
精霊とともに
宇宙の法則に即した活動となることが予測された。
そして、ワークショップを開催することになった。
どうしてそれをやろうと思ったのだろうか? なんのために?
深い意味や理由は自分の中で見つからないが、頭の中に言葉や段取りが送られてくる。
「よく分からないけど・・・やってみるか!?」
活動優先! 意味は後から付いてくる。 その場になれば、喋らされるのだろう!
実際、ワークショップの細かい段取りが決まるのは、開催3日前くらい。
そこから資料を作る。事前に話す言葉を決めたり、順番を決めたりはしていない。
大宇宙への扉を開き、委ねることが、仕事だと思った。
霊界と現界を行き来しながら、ワークショップは進められる。
ふと気づけば、いくら大宇宙へ委ねるといっても、長年の講師の経験がなければ、人前で話すなど気後れしてできなかったことだろう。
どんな風にカリキュラムを作るか、導入をどうするか、教え方など、現界でのスキルがなければ、大宇宙の真理を翻訳し、この世界を生きる人々に伝えることはできない。
高次元とこの世界を正しくつなぐには、両方の世界のスキルが必要なのだと理解する。
この世界の生きづらさがあると、現状から逃げ出したいと考えがちだが、霊界と現界は重なりあって「在る」それぞれの世界をつないでいるのは、他でもない自分そのものだ。
だから、この世界が嫌だからといって、違う世界へ逃げ出すことはできない。
「いま」を生きながら、魂を成長させ、アセンションをしていく。
さて、当初は1件終わるごとに疲れていたセッションも、自分が変わり、大宇宙から降りてくるエネルギーが変わってくると、感じ方が変わってきた。
大宇宙は常にわたしのエネルギーを見ている。
出会え、つなげ、出会え、つなげ・・・と、連日セッションを入れてくることもあれば、意識的には疲れを感じていなくても、大宇宙はそうではないと判断することもある。
そんな時、ぽっかりなにも入らないこともある。予定が急にキャンセルになるとか、日程が変更になるとか。
それは、わたしの浄化が必要だったり、大きなアセンションがあってエネルギーを整える必要があるなど、自分の内へと向かう時間となる。
自分に向き合う時間を経て、またわたしが変わる。心身の疲れも違ってくる。
この週は、ワークショップがあり、立て続けに個人セッション、そして交流会と、霊界と現界を行き来しながら、視たり、聴いたり、話をしていた。
初めは疲れるかな〜。この週終わったら、ぐったりだろうな〜などと想像していたのだが、まったくそんなことは無かった。
わたしはセッションやワークショップを誰かのためにやっているわけではない。
救いたい誰かとか・・・ 地球のために・・・ などと思ってやっているわけではない。
意識的には、自分を知るためにやっていると思っている。
だが、魂はそうではなかった。
魂が「そう」なら、いずれ「そう」なるだろう。
仕事でもなく、使命とも思わず。○○のためでもない。
魂に書かれたストーリーを生きてるだけだった。
魂を生きるとはホントウにシンプルだ。
視る・書く・話す・聴く
わたしの場合これだけやっているようなものだ。
人間界を含め様々な世界を視る・聴く・書く・話す。
それは高次元であったり、宇宙であったり、自然界に神界に霊界に・・・。
時に波動の低いものがやってくることもある。
視る・書く・話す・聴く
よくよく思い出せば、過去生からずっとやってきたことばかり。
魂を生きる。様々なところにそのサインはある。
「名は体を表す」という言葉がある。
意味は、「名前がそのものの実体を表していること」だという。
自分の名前「誓子」が、ずっと気になっていた。
名前をつけた父親に聞いたこともあったが、ピンときた説明ではなかった。
霊的いうなら、名前も自分が決めてこの世界に誕生している。
「いったい、わたしはなにに、なにを誓ってきたのだろうか?」
ずっとそれを探していたような気がする。
霊的な活動が活発になり、わたし自身のアセンションが急速に行われている。
メッセージが来る、訳が分からないが行動する。気づきがくる。アセンションする。さらに高次のメッセージが来る。行動する。・・・その繰り返し。
ようやく内なる感覚とぴったりとした情報がやってきた。
神様というと、なんだか軽薄な教義に聞こえるが、神様=大宇宙と言い換えるなら、さらにしっくりくる。
そうか、わたしは「そう」「誓って」きたのか。
大宇宙の采配によって出会いは続く。
大宇宙からの光をつなぐために。
以下、(「宇宙からの黙示録」渡辺大起著より一部抜粋)
ワンダラーにはそれぞれ使命によっていろいろな系統があるが、その全部のワンダラーを統帥する方の役名をAZという。即ち、AのワンダラーからZのワンダラーまで、地球に降ろされている地のワンダラーと、他の遊星人の姿で天にあって働く天のワンダラーの全部を陶酔する方である。現在のAZは金星の大長老で、金星における御名をサナンダという。
サナンダは、かつて2000年前、地球上にイエスとしてイスラエルに生まれ変わられた方である。
~
初めからワンダラーの資格を持って生まれてくるのではないということである。また、自分の意志で勝手になれるものでもない。このことについては、「ワンダラーは神様の手足になることを心に誓うのです。天の神様の前で見事に命を受けて、ワンダラーの位(役目)を定められます。前の行いと心によります」とAZが語られたことがある。
1977年8月から9月にかけてサナンダは次のように語られた。
これからは、目覚められますすべての人々(他の遊星から地球に魂で来られた方々)に契約の箱を渡します。
契約の箱はワンダラーを指します。それは光です。この方々は真の愛を受け入れて進んで行かれますよう。天の神様はこの方々を大きな愛で導いて下さいます。
契約の箱を渡された方々は、りゆう球王国※1建設の使命を果たして行かれるのです。
りゆう球王国※1建設の良き使命を天の神様から頂かれましたワンダラーの方々に申し上げます。
皆さんには、まだ他人(ひと)に頼る心があります。それは今までと一緒です。
心の目を直接天の神様に結び、天の神様の言葉(テレパシー、霊感)を信じ、テレパシー、霊感で感じたとおり実行することが大切です。
心と身の全部をワンダラーの使命に向けて、天の神様に自分の進む道を祈りますと、心に湧く思いがあります。
これが天の神様の言葉です。そのとおりに勇気を持って実行することです。
これからは自分で「真の心」を天に向けて実行して行く毎日であります。他人の言葉を持って実行するのではないのです。
テレパシー、霊感を受けるには、心と身を全部ワンダラーの使命に果たす「真」に向けることです。
そうすれば決して間違った他のテレパシー、霊感は入りません。
間違った、つまりサタンからのテレパシー、霊感は自我のある時に入るのです。
いつも、いつも天の神様に祈れるだけ祈って、勇気を持って進んで行かれますように。
※1 りゆう球王国 新しい霊の世界・神の国 地球