確かにそうなんだよ。
間違っていないんだよ。
それは、人間社会のルールとして、社会的道徳規範として、三次元という掟として。
だけど、内なる声、魂の本質とは合わないから、ジタバタしたり、不安になったり、やっぱり違うってなっちゃんだよ。
三次元の掟に従って、人間界の常識に従って、他者の意見を参考にしてみるものの、内なる声は違うと告げる。
人間関係も大事だし、仕事の成果も大事だろう。家族関係もよりよく。
大勢のひとがそれがいいっていうんだから、間違いないっていうんだから、みんながそうやって生きているんだから。
自分もそれに従って生きてみようと思っても、やっぱり違うと魂の声。
霊界にある魂の本質・位置によって、この世界の居心地のいい居場所も変わってくる。
常識も、ルールも、掟も変わってくる。
人間界のルールの中で生きていたい魂とこの世界からずれて生きる魂では常識が変わってくる。
多様性という言葉があるけど、世界間だけではなくて、次元間にも当てはまる。
自分自身が多様性を認め、魂を受け容れることを試されるように、目醒めが間近い宇宙ソウルは、「自分を信じる」ということにとことん向き合わされるのかもしれない。
その課題のために、自分を信じることができない状況を、まるでトラップのように、障害ブツのようにやってくる。
これぞまさに、自分の内なる闇との対面、影との向き合い。
それらを手放した先に、光の扉が見えてくる。
自分を信じられなくなる状況。
家族問題、人間関係、愛憎問題、信頼関係、金銭問題、病気、仕事、・・・様々ある。
まるでそれは、霊的活動に入らせないよう、この世界に足止めされたような状態になる。
「こんなに辛いのは、やっぱりわたしが間違っていたんだ。あのひとのいうこと聞いておけば良かった〜。同じようにやっておけば良かった〜」という状況がやってくる。
わたしの場合も、これまで生きてきた常識、社会的常識、仕事はこうあるべき的思考が、これまでの経験でクセになっていた。そんなイリュージョンに足を止めていた。
また、世の中的に言われているスピリチュアルの世界を詳しいわけではなかったので、その自信のなさが、情報や知識として語っているひとの話に耳を傾けてしまい、自分の内なる声とのギャップに、あれれ? 自分が間違っているのだろうか? と、疑うことが何度となくあった。
ダークエナジーに支配され、ビジネス化された「スピリチュアルマーケット」の情報に耳を傾ける必要はなかったと、今にして思える。しかし、以前は、過去生から抱える恐れが自分を信じられなくしていた。みんなが言ってることだから・・・と、頭で納得したような感じだった。
わたしの内なる闇と外からの刺激がシンクロすると、恐れが疼く。
そうなると、内なる声は小さく、魂からのメッセージも途切れがちとなり、魂の本質とわたしのつながりが切れる。
そうやってわたしはわたしを信じることができないでいた。
過去生から続くネガティブなエネルギーが大きすぎると、「自分を信じる」ことが難しい。
そんな恐れとも和解して、いまなら、経験や体験の伴わない、行動に移す気なんてさらさらない三次元的知識レベルのスピリチュアルの話を聞いても、「・・・で?」と、思うだけだが・・・。
そんな薄っぺらい話でも、以前のわたしなら感心して聞いていたことだろう。
そう。難しい。
わたし自身も通ってきた道だから、それが難しいことは知っている。
しかし、目醒めの間近い宇宙ソウルは、その状況が作られる。魂はその状況を経験し、カルマを手放したがっているのだが、人間的に、意識的にみるなら、とてもそんな風には思えない。
苦しいばっかりで、まるで目醒めを阻止されるかのように思える。
やっぱりわたしは宇宙ソウルなんかじゃないんだ。
魂のメッセージは、なんとなく聴こえている。内なる声もこうしたいと言っている。
感情も魂に従いたいと言っているが、思考がいうことをきかない。
本当にそれでいいのか? 間違っていないのか? 自分を疑い続けてしまう。
小さくとも魂の声が聴こえ始めた宇宙ソウルは、同時にダークエナジーのメッセージも受け取りやすい。
えっ!? どっちがどっち?
どっちの声を聴くか、信じるかは、抱えている闇次第。
闇が大きければ、ダークエナジーの思う壺。
気がつけば、大宇宙の聖なるコードから大きく外れ、この世界の欲望と快楽の世界に身を沈め、ダークサイドに魂を売り渡す。
だから! ネガティブなエネルギーは手放すにこしたことがない。
それもまた学びなのかもしれないが。
できるだけ、そうならないように、大宇宙はスピリットガイドを介してメッセージを送り続けている。
祈りの場所へ導いたり
私生活が大変な状況なのに、ミッションを言い渡したり
ダークエナジーの餌食になりそうな魂があれば、つなぐ役割の魂にサポートさせる。
意識を魂の本質へ本質へと向けさせる。
確かに、祈りのエネルギーは強烈だ。
わたしは、まだ学生の頃から神社仏閣は好きだった。
大人になってからも毎年のように京都奈良のお寺に行っていた。その当時はお寺さんばっかりだった。
2010年に母が亡くなって、翌年2011年は東日本大震災で大勢の命が彼岸へと渡った。
わたしの内なる調和が乱れた。1年に何度か京都を訪れ、それから始めたのが観音巡りの御朱印集めだった。
こころが仏を求めた。
祈り
祈り
祈り
それは魂の本質の物語。
しかし、少なからずわたしは人間としても内なる調和を取り戻し、こころに平和を見出した。
神仏に手を合わせた時、自分の内なる神性・仏性と向き合うこと。
神仏への静かな祈りは、魂の本質との会話へつながる。
魂の声が聴こえず、不安定となったわたしのこころ、乱れた調和を神仏に祈り、山野を歩き続けることで取り戻すことができた。
祈り
それもまた、宇宙ソウルのひとつの大きなミッションなのだろう。
スターシードなどの宇宙ソウルは、魂とのつながりを切らしてはいけない。
大宇宙からのメッセージが届かない状態になってはいけない。
いま、この世界はダークエナジーによって仕組まれ、動かされている。
気がつけば、その寂しさにつけ込まれ、ダークエナジーにコントロールされるかもしれない。
エゴをくすぐられ、ダークエナジーの操り人形となるかもしれない。
どんなに大勢のひとが、それが正しいといっても、そうした方がいいといっても、
それが魂から聴こえてくる声と合わなければ、まったく幸せにはならない。
魂の声に耳を傾けられる状態でありたい。
そして、その声に素直に従える状態になりたい。