八百万(ヤオヨロズ) 神の島 祈りの島 精霊からの強烈メッセージ 沖縄・久高島

2019.4.14  Chikako Natsui
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久高島滞在 3日目あたりから、異界の扉は大きく開かれ、神々、精霊たちとの交流が始まった。

この日は朝6時前に起き、身支度を整え、集落から東にあるピザ浜へ。宿から歩いて5分ほどのところにある。

風が強く。寒い。 もう1枚羽織るものを持ってくればよかったと後悔した。
それでも波、風の音、太陽の光、鳥の声、木々たちの・・・自然エネルギーしかないこの場を早々に離れることはできない。10分ほど経つと、気温にも慣れ、徐々に太陽の光、温かさを感じられるようになった。

微睡みとも、瞑想とも、どっちつかずな状態。変性意識が続く。

ふと後ろに気配を感じる。

「誰か・・・いる?」

こころの中で自分に問いかけてみる。 怖さや危機的なものは感じない。

でも誰かがいる。

足音もなかった、車の音も、バイクの音も、自転車が近く音でもない。

大きな存在感を示しながら、近づくでも、話しかけるでもない。

気になってその正体を確かめようと後ろを振り返る。

誰もいない・・・。

人間の姿形、物質的、肉的なものは、両方の目には見えない。

だが存在感は消えない。

怖さもない。苦しくもない、悲しくもない。波動の低さも感じない、肩に乗られるとか、邪なる感じはしない。
何かを語るでも、メッセージを送ってくるでもない。それでも、存在感はある。

ただ、ある。

さっきと同じように目の前の海を眺めながら、スピリットガイドにその正体を確かめる。

 

「漁の神」

 

そんなメッセージがやってくる。

 

漁の神?

いろんな説があるが、日本の八百万で有名なのは、恵比寿神。

久高島の漁業の神とは?

気にはなるが、それよりも朝の静寂の中にある自然のエネルギー、綺麗な海、波の音、それを全身全霊で味わいたいという思いの方が勝った。

それからまた30分ほど微睡みの時間を過ごし宿へ戻った。

 

早朝の出来事を忘れた訳ではないが、それを突き詰めるよりも、早く早く自然の中で過ごしたい。
島の空気に癒されたいと思い、朝の食事を済ませたあと、そそくさと宿を出た。

昨日ガイドさんに案内された道をもう一度自分で巡ろうと考えていた。

沖縄の祖神アマミキヨが初めて降り立った場所、久高島先端にあるカベール岬や海が綺麗なロマンスロード、さらには沖縄最高の霊地とされるフボー御嶽へ訪れることを頭の中で計画した。

 

宿から出て、右に折れると、その先には3本の道がある。

さらに左に行った先は、3方向に分かれる。

わたしの感覚ではまっすぐの道がフボー御嶽などに通じているように思えていたのだが、道途中にある案内板には「→」右方向を指し示していた。

あれ? わたしが間違っているのか? そう思いながらも、なぜか頭ではまっすぐに行こうとしていた。

だが、その場まで来ると、身体はさっきまで意識に上がっていなかった左方向へ行こうとする。

昨日ガイドさんが「ここは、あの世とこの世の間」と言っていた場所。

「あの世」といってもひとが住んでいるし、久高殿という神様を祀った場所でもある。

実際、昨日もガイドさんの車でなんなくこの世からあの世へさっくりと渡り、車中から観光していた。

 

ただ、わたしの中で「あの世・・・」という言葉が小さなトゲのように引っかかっていた。

それは、わたしの過去生から続く課題「死」へとつながる言葉だからだろうと思う。

 

 

さて、頭の中ではまっすぐに進もうと考えていたが、スピリットガイドは避けたいと思っていた「あの世」へとつながる道へと行けという。

思考も感情も「No!」というのだが、魂は「あの世」へと連れて行こうとする。
感情は「怖い」といい、それに反応して、思考は「やめろ」「行くな」という。
だが、魂は「行け!」という。

実はそこに至るまでいろんな考えと感情がグルグルしていたのだ。

きっかけは春分の日に実家でみた中学校の卒業文集。大人になったらの質問に対して、わたしは「死にます!」と書いていた。 さらに久高島へ来る直前にみたウミヘビの夢「迎えに来た」という。

アメブロ記事「ライトワーカー 沖縄 久高島 へび神が迎えに来た?

 

わたしは死んでしまうのだろうか?

無事に帰ってこれるのだろうか?

そんな漠然とした不安が行く前からあったのだ。

しかし魂は久高島へ行けといい、そこで「死と再生」があることを示唆していた。

 

「ここであの世が来たか・・・」

これまでの神旅と同様、思考と感情と魂の戦い、結局は魂の声が勝つ。

わたしは「あの世」へと続く道、鬱蒼とした木々によって薄暗くなっている道を歩き始めた。

 

 

そこは久高殿と久高島で生まれ育った三十歳以上の既婚女性が神女となるための就任儀礼イザイホーが行われる場所がある。

※久高殿
昔シラタル(百名白樽)とその娘タルガナー(多留加那)が天神地祇を祭り、島の繁栄を祈った場所と言われています。久高祝女と久高根人が祭主で、ここの前にある広場も含めて午年に行われていたイザイホーの舞台となった神聖な場所です。(沖縄観光・沖縄情報IMAより)

 

イザイホーが行われた場所には説明が記された看板があった。
それを写真撮影したいと思い、一歩前に踏み出した。

ん?

エネルギーの道筋を感じる。

なんだろう? そこに生身の人間はいない。

スピリットガイドは、わたしの全身の感覚にそれを伝えてくる。

サードアイは見た。この場所に白い装束を着た女性たちが座っている映像を。

そのエネルギーが今もその場所を守っている。

神社の参道の真ん中、教会のバージンロードの真ん中を避けて歩くように、白い装束の女性たちのエネルギーを避けて、写真を撮るために看板にそろそろと恐縮しつつ近づき、戻る時もそろそろとその場を離れる。

 

周辺にひとはまったくいない。

ひとり恐縮しながら、腰を低くそのあたりをウロウロとしているわたしは、なんだか滑稽のようにも思えたが、この島のあらゆるところに神を感じ、精霊のエネルギーを感じる。

そして、いまいるこの場所には、複数のエネルギーが足し算、掛け算しながら存在していた。

 

その後は、久高殿にお参りをさせていただこうと思い、建物に近づく。

内地の神社の参拝方法や順序とはおそらく違うのだろうが、祈りのこころ、想いが届くことを願って、手を合わせる。

 

その瞬間だった。

強い風が吹いた。久高殿のそばにある木を揺らし、強いメッセージを伝えてくる。

全身にエネルギーが走り、ざわーっと鳥肌がたった。

この地の神や精霊が風を吹かせ、木を揺らし、メッセージを下ろす。

魂は喜ぶ。

だが、こころは怖いという。

さらに思考はお祈りが終わったのなら、その場を離れた方がいいという。

 

近い。神が近い。神使いの精霊たちが近い。

間にスピリットガイドを介することなく、わたしの全身に降りてくる。

 

このような場所、このような経験はわたし自身も初めてのことだった。

これまでの神旅とは少し違う。

だから怖いかった。この身を精霊の世界へ連れて行かれるのではないかと、そんな恐れが湧き上がった。

 

「あの世」から「この世」へ戻らねば・・・。

癒されるとか、気持ちいいとか、それを感じる余裕もない。

そそくさと来た道を「この世」へと戻った。

 

「ふー」

一息ついたところで、さて、カベール岬を目指し、さっき行こうとした道を歩き始めた。

 

しかし・・・

スピリットガイドがわたしを止める。

 

さっきの場所へ戻れという。

「久高殿へ戻れ」という。

「あの世」へ戻れという。

 

「えっ!?」

足が止まる。

 

戻るのか? わたし?

 

少しの間、逡巡する。
時間稼ぎに草花の写真を撮ったりしてみたものの、結局、また「あの世」へと戻って行った。

魂は常に勝つ。

 

木々が鬱蒼とした道を抜けると、そこに異界。

風が強く吹き、精霊たちが喜び、木々を揺らしながらメッセージを送ってくる。

 

「ここを抜け、その先へ行け」

 

「その先」に視線を向ける。

「その先」は本当にあの世に見える・・・。

でも、家があるし、人間も住んでいるようだから、大丈夫かな・・・。

一瞬迷いはしたものの、その先へ行こうと思った。

しかし、久高殿の隣には、イラブー(海蛇)の燻製小屋がある。
その匂いが苦手で、その先へ進むことができない。

「無理、無理!」「やっぱ、わたしは行けないわ」「行かなくていいんだよ」

頭とこころで懸命に言い訳をしてみる。

スピリットガイドや精霊のメッセージを無視して、また「この世」へ生還。

また、さっきの道へ戻った。

 

何度行きつ戻りつしてるんだわたしは。なんだか自分が間抜けに思える。

他のひとが見たら、「誰と話してるの?」ってなことになる。

 

しかし、またスピリットガイドは「行け!」と叱咤激励する。

 

こころ

思考

 

三つ巴の攻防戦。

 

ガイドはいう。

「これはお前にとって必要なことなのだ」と。

 

何度もいうが、結局・・・・

 

魂が勝つ。

 

腹を決めて、久高殿の前からイラブー小屋も通り抜けた・・・。

 

 

そして、本当にびっくり!

本当に本当にびっくり!

「あの世」へとやって来た。

 

こう来たか!

 

魂は知っている。

過去も

未来も

 

なにをしてきたか?

なにをするために生まれてきたのか?

 

あの世とこの世。わたしは何度行ったり来たりしたことか。

その間、誰ひとりも会わなかった。

もし、そこで人間に会ったのなら、頭とこころに従ったかもしれない。

 

 

完璧なひとばらい。

 

もしかすると、異次元、異界を彷徨っていたのかもしれない。

 

あの道を抜けると、異界へ通じ、そこは人間の目には容易に見える場所ではないのかもしれない。

 

魂と魂がシンクロし、それはおこるべくしておこったのかもしれない。

それをやるために、わたしはこの島へやって来たのだろう。

 

信じることを完璧に学ぶために。

 

導かれるままに。

 

続く。