必要以上に属することをやめた。
役割や代名詞が発生するフレームは、必要ない。
エネルギーは干渉しあって、存在を作り出す。
組織、団体、グループというフレーム。そのフレーム内の役割や代名詞。
フレームのエネルギーと役割などのエネルギーが折り重なって、違うエネルギーを作りだし、のしかかる。
属するフレームが多ければ多いほど、自分ではないエネルギーが厚く自分を取り巻き、混乱させる。
ホントウの自分のエネルギーが分からなくなる。
誰かのエネルギーを自分のものと勘違いしてみたり。
厚く厚く自分を取り巻くエネルギーによって、魂の光がみえなくなり、大宇宙とつながりが途切れ始める。
つながり、人間関係、コミュニケーション。
聞こえのいい言葉で、ダークエナジーは、大宇宙とこの世界の人々がつながるソースコードを書き換え、魂の故郷からのメッセージを聞こえないようにした。
人々は、共存共栄ではなく、相互依存の関係が当たり前、あるべき姿として人間関係を作り始めた。
部族、集落、国家、家族、会社、学校、グループ。
歪んだ関係は、影と影がコミュニケーションする人間界となっていった。
大宇宙と聖なるコードにつながるのなら、ひとりひとりがこの世界に自分の居場所を見つけて根付き、魂とのつながりながら、他者とつながることができたはず。
だが、ダークエナジーは、そうはならないよう人間の意識を操作し、争いあうように仕向ける社会を作っていった。
つながり
美しい言葉の影に隠れたダークエナジー。
多くの人びとが、人間界、三次元、自分が属するグループ、組織、族を中心として考える。
自分が損しないように、しいては自分が属する場が損しないように。
ひとの意識のある段階には、どこかに属していたいという所属欲求がある。
それをダークエナジーに操作されると、戦いの構図に仕向けられる。
うちのチームが、うちの会社が、うちの家族が・・・うちの、うちの・・・
自分が選んだもの、自分が属している場を否定されるのは、なんとも辛いとばかりに、一兵卒にでもなったように、戦い始める。
これまでの人生、あらゆることに無関心であった人間でも、どこかに属した瞬間に脳内変換されたように、「○○のため!」に頑張りだす。
そうやって、長いこと、ひとは走らされてきた。
所属欲求、承認欲求を刺激され、戦わされてきた。
それは、過去生から続く内なる戦いがそうさせているのかもしれない。
内なる光と闇の戦い。
魂もある段階にくると、それがみえてくる。
属するとは、場合によってホントウの自分とのつながりを切らせ、自分を見失わせる。
音楽が好き!と、思ってみても、属したところが豆腐を作るところだったら、そうせざるおえない。
お金の問題(安全欲求)、認められたい欲求、属していた欲求が、内なる声をねじ伏せてても聞こえないようにする。
どんなに美しい言葉で着飾っても、高尚な香りがしても、それがこの世界だけのもので、人心をコントロールするものなら、その影にはダークエナジーの存在が見え隠れする。
しかし・・・
いずれ、この構図も変わってくるだろう・・・。
おそらく、1000年前後には・・・。