キーワードは、「調和」
ひとの調和
自然の調和
異界同士の調和
ところで、cosmic connectのセッションとはどんなことをしている?
相談者は、もちろん! 人間! だが!
話はそこだけに留まらない。
ひとはひとりでは生きていない。見えるも、見えざるも、様々なエネルギーが影響し合って存在している。
ひとには、思考や感情があり、ものも言う。何かを新たに創造することもできる。
エネルギーが幾重にも重なり合っているのが人間なので、他の世界、例えば自然界などよりは複雑。
幸せなことだけを感じれればいいのだが、そうはならず、嫉妬やら恥ずかしいやらの感情が登場して、その先の選択を誤らせ、ドツボにハマる。
だからややこしくなって、悩みが多い。
大宇宙からするなら、ハマった溝からどのようにして這い上がるのか? そこが学びなのだろうが、それに面と向かって向き合うには、現代の時間の流れが早すぎるのかもしれない。
ゲームと同じこと。
ひとつひとつクリアするごとに、仕掛けも複雑になり、難易度が上がる。
内容もスピードもやりこなしてこそ、ひとは自分の人生でのゲームマスターのだろう。
さて、ここでの気づきを!
相談者のお話をお聴きしていると、どうやら相談者に縁のある地を守る八百万や精霊、地霊などからのメッセージを預かっていることが多い。
なぜなら、八百万や地霊、精霊などの嘆きが、その方やその家になんらかの影響を与えていることもあるからだ。
ひとと土地、自然の調和がとれていない。
それは、なにもそこに住んでいる家族だけのことではない。その周辺地域すべてに該当する。
なぜなら、何かの要因によって、その地の波動が下がった。人間的にいうなら、神の怒りをかった。
それによって、その地に住まうひと、場所、もの、関係性が乱れた。
人々は「なんだろう? なんだろう?」「怖いわ〜」ということになる。意味不明、不安な状況が続く。
どんな地にも、隣近所を見渡してみれば、霊感の強いひとがひとりやふたりはいるだろう。
それには、理由がある。
高次元につながりやすく、メッセージを受けとる役目で転生してきた
その地を浄化するために転生した
脈々と続く過酷な家系を癒し、浄化するために転生してきた
その多くは、スターシードなどの宇宙ソウルであることも多い。
しかし、お馴染みのフレーズだが、生まれた瞬間にそのミッションを忘れる。
その存在そのものが波動が高いので、その地にいるだけで浄化にはなっているのだが、本人からするなら、何か得体のしれない不安や苦しみが人生につきまとう。
大概そういう地に実家があります!の場合には、家系的にも霊感が強かったり、心身が不安定だったり、なにかトラブルを抱えていることが多い。
トラブルが起こりやすい土地、家族を癒し、浄化し、調和するためにあえてそこに転生してきたとも言える。
そんなわけで、相談者は自分、家族、土地に不調和を抱えてやってくるケースも多い。
初めは自分の悩みでいらっしゃるのだが、映像を見せられ、だんだんと家族が、土地が、という話が深まってくる。
その場合、その方だけでなく、土地や家族へもなんらかのスピリットの力を借りて光を送る必要がある。
例えば、地霊の嘆きが大きければ、そこへ光を送ることや、浄化作業をすることもある。
場合によっては、おじいさんおばあさんの実家などの場合、昔すぎて、相談者がまったく行ったことのない土地のこともある。
それでも、その地は光を求めているので、どうにかこうにか一筋の光が送れる道筋を見つける。
なぜなら、相談者はそのミッションを果たすために、やって来ていることも少なくないからだ。
ひとを癒し、その方を通して土地、家族、家系を癒し、浄化していく。
ひとはひとりでは生きていない。
両親があるから、自分がある。その両親は、そのまた両親があって・・・。
そのように数珠つなぎとなって命が受け継がれている。
場合によってはカルマも受け継がれる。
様々な世界が関わり合い、そのスピリットたちの代表として、いまの自分がいる。
自分が癒され、光のひととなることは、そこに連なるすべてのエネルギーの波動も一緒に上がっていくことになる。
これこそが、大宇宙が求めるひとつでもある。
現界にある魂を癒し、浄化することで、連なる魂も浄化し、幽界にあるネガティブエネルギーを小さくしていく。
だから、いまを生きる私たちには、幸せになる義務がある!
八百万ネットワークを介した出会いが続く。
なぜ? そこで八百万?と、思っていたが、その答えが広島にあった。
以下は、宮島にある瀧津姫命神社。
看板をよく読んでみると、平成17年の台風で発生した土石流によって社殿が流され、現在のものは、平成24年に建てられたらしい。
社殿の後ろ奥を見てみると、すでに10年以上経っているにも関わらず、自然の猛威の凄まじさがみてとれる。
ふと、瀧津姫命が荒れ狂う濁流のうえに経って、水を急き立てている様子が眼に浮かぶ。
大災害がある度に、ひとは自然の力の前では無力さを感じる。
「自然には勝てません」などの言葉が出てくる。
その結果、
山が崩れれば、山をなんとかしようとする。
川が氾濫すれば、堤防などを作ってその川をなんとかしようとする。
ひとがやりがちなことだが、外に原因を求めては、そこを変えようとする。
しかし、ひとは本当に無力なのだろうか?
その自然災害に対して、ひとは関わりは皆無なのだろうか?
八百万が怒り狂い大地を揺るがしている。山を爆発させている。大雨を振らせている。
そういうひともいるかもしれない。
あながち間違ってはいない。
ただしこれは、神を擬人化した表現だ。
そもそもの形を不用意に変えてしまい、自然を不自然にしたがために、エネルギーの流れが変わり、不協和が起き、自然が調和できていないことが自然災害となって現れているのではないだろうか?
だったら、自然を調和すればいい!
そう考えるのが人間。
いや、人間そのものが不調和を起こしている。
人間界の不調和。それが他の世界へも影響を及ぼしていることもある。
広島の街中、市電の中から見えた原爆ドーム。
また私の実家のある福島県の原発事故。
人々の暮らしは崩れ去り、その地の山や川は未だに調和がとれずにいる。
宮島口から宮島へ渡るフェリーの中だったろうか、
こんなことを考えた。
広島
福島
「しま」つながりで、「核」つながり・・・。
歴史の流れの中では、その出来事はほんの一瞬の出来事なのかもしれない。
だが、そこには何万という人々の苦しみと嘆き、そして、ものは言わずとも自然界の嘆きが詰まっている。
「調和」。
自然の調和はひとの調和がとれてこそだ。
本土と島をつなぐフェリー・・・つなぐという言葉に心地よさと微睡みを感じながら、10分ほどの遊覧を楽しんだ。
さて、ひとと異界、見えざる世界はどうやって関わり、どのようにメッセージが送られてくるのだろうか?
それは、また次回!
つづく。