京都 天橋立にある籠神社・眞名井神社シリーズ 第三弾。
その一 八百万(ヤオヨロズ)DNAの封印解除 岩戸開きに備えよ! 京都・籠神社 眞名井神社
その二 八百万(ヤオヨロズ)恵比寿さんのお迎え付き! 京都・籠神社 眞名井神社
籠神社での参拝を終え、次は奥宮の眞名井神社へ向かった。
歩き始めて間も無くの頃から、身体に強いエネルギーを感じる。
なるほど、ネットの記事では、聖域中の聖域とか、大パワースポットと紹介されていたのが、参拝前から分かる気がする。
天橋立観光協会では、以下のように紹介している。
「元伊勢籠神社の奥宮で、別名を久志濱宮(くしはまのみや)とも云う。
「くし」とは霊妙なる不思議なパワーの源を意味し、現在はパワースポットとして多くの方が訪れます。本殿の裏に約2,500年前からそのままの形で祀られている古代の祭祀場「磐座(いわくら)」があり、豊受大神、天照大神をはじめとする神々が祀られています。
境内には「天の眞名井の水」という御神水が滾々と湧き出ています。
霊験あらたかな「眞名井の水」を汲みに、全国各地から訪れる人がたくさんいます」
籠神社から歩いて10分かかるかかからないほどの距離だったと記憶している。
眞名井神社へ到着。
少し奥まったところにあるせいか、籠神社に比べるとひとは少ない。
それだからなのか、閑散としたその空気から強く清浄なエネルギーを発しているのが分かる。
「確かに!確かに!ここは大パワースポットだわ!」
そして、入り口間も無くの場所には、「天の眞名井の水」が湧き出ていた。
眞名井の水とは?
この水は籠神社海部家三代目の天村雲命が神々が使われる「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、天上より持ち降った御神水です。天村雲命はその水を初めに日向の高千穂の井戸に遷し、次に当社奥宮の眞名井原の地にある井戸に遷しました。その後、倭姫命が伊勢神宮外宮にある上御井神社の井戸に遷されたと伝えられています。(籠神社HPより)
さて、階段を登り、いよいよ参拝。
眞名井神社は、古代の祭祀形態である磐座を残す場所。
いわば、岩や石が神様ということ。
磐座
眞名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座(いわくら)が鎮座し、その磐座(神が宿る石)で神祀りが行われてきました。神を祀る常設の社殿(神社)が無い時代の人々は大きい木や岩石、島や川などに神々が籠もると考え、それらを崇拝対象として神祀りを行っていました。眞名井神社境内地には縄文時代から人々が住んでいた証である縄文時代の石斧や掻器などが出土し、また弥生時代のミニチュア祭祀土器破片や勾玉が出土しています。そのため眞名井原一帯は縄文時代から神聖な地と考えられ人間が生活を営み、神々をお祀りしていたことが窺えます。(籠神社HPより)
岩や石、木などを神として祀るところは大好き!
遠い昔、古代の時代、神に祈りを捧げていた頃のことを覚えているのかもしれない。
眞名井神社 磐座主座
豊受大神(とようけびめ)
豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される
『古事記』では伊邪那美命(いざなみ)の尿から生まれた和久産巣日神(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。
伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。(ウィキペディアより)
眞名井神社 磐座西座
天照大神
伊射奈岐大神
伊射奈美大神
奥宮 眞名井神社 (籠神社HPより)
ここもまた境内は撮影禁止!
この場所のエネルギーを映像としてお届けできないのは残念!
なので、以下のHPを引用させていただく。
LINEトラベル「京都・天橋立「真名井神社」、ここはパワースポットを超えた「聖地」だ!
主座、西座の磐座へ順にご挨拶。
ここには、神様へと通じる鈴がある。
チリンチリンと鳴らせば、私という魂がここへ参らせていただいたことのお知らせとなる。
その頃には、ひと払いがあり、ゆっくりと神様へご挨拶ができた。
じーっと、ゆっくり、意識を磐座からその先の神様へ集中させると、心と体が浄められていくような感覚を味わうことができた。
頭頂に大きなエネルギーを感じた後には、意識が異次元へといく。
その場のエネルギーへ私のエネルギーが溶け込んでいくような感覚がやってきた。
神界への入り口がここにある。そんな風にも思える空間。
どのくらいの時間そうしていただろうか? そう長くは無かった。
後ろにひとの気配を感じた。次の参拝客が来たことを確認し、その場を離れる。
この記事を書きながら、意識が眞名井神社のその場所へと飛ぶ。
そうすると、自宅にいながらあの時と同じように高次元のエネルギーに包まれる。
これが神縁ということだろう。
一度縁がついた八百万には、意識を合わせることで、すぐさまそのエネルギーを感じることができる。
真名井神社。それほど大きな境内ではない。
ドカーンと大きな神殿があるわけでもない。
日本全国有名どころの神社のような華やかさがあるわけでもない。
単にご利益とか、浄化とか、お礼参りとか、有名だからとか、そういった理由ではなく、奥深くにある「何か」を突き動かすようなエネルギー、その「何か」を開き、導きようなものを感じだ。
一期一会のあの時。
天界の扉が開き、そのエネルギーが降り注いだようにも感じられた瞬間だった。