言葉が先にあった! 行動の前に、気づきの前に言葉があった・・・どうして?

2018.8.24  Chikako Natsui
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聖書 ヨハネによる副音書 第1章 抜粋

※言 言葉(ことば)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。
この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。
彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

〜 省略 〜

「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

魂の声に従って生きるのなら、確かに「言葉は先にあった」。

それまで聖書は、キリスト教直結のものだと思っていた。
特定の宗教を好まない私には、関係ないわね〜とも思っていた。

そうではなかった。

私の魂に深く刻み込まれ、行動や想い、そして「書かされている」と思っていた記事やブログの内容は、聖書の内容は形を変え、私という媒体を通すことで、縁ある魂たちへのメッセージとなっていたように思える。

そして、その言葉、文章に自分自身がハッとさせられることもある。

記事やブログを書いたら、誰に読んでもられるだろう?
誰も読んでくれなかったらどうしよう?

そういう想いがあって然り。
人間の私としては、多少なりとも気になる部分はある。
だからと言って、誰かを参考にとか、読み手に解りやすいようにとか、工夫してとか、検索ワードを入れてとか・・とかはしない。
気にならないとか、したくないとか・・ビジネスセオリーに反抗的な訳ではない。
ただ、その方法というか、やり方というか、その考えが自分の中にないからやらないまでのこと。
「この人、こういう風にやってるんだ〜」と、知人のやり方を聞いたりした一瞬は、それが気になったり、焦り的なものが湧き上がるような気もするが、ん〜・・・自分の中に、それがないからだろうな、5分後には綺麗さっぱり忘れる。

教えてくれたひとは教えがいがなかったり、このひと、案外頑固ね・・と、思っているらしいエネルギーは伝わるのだが・・頑固も何も、ただそれが「無い」のだ。
やりたかったらやるし、
ふと湧き上がるタイミングが今じゃ無いかもしれない・・な、と、思っている。

知ってかしらずか、意識か無意識か、いいか悪いか別にして、「神様の思し召し〜」っていうのがウチなる声と行動が一致しているといえば、そうかも。

読みたいひとが読めばいいさ!

言霊。言葉が放つ霊力。
その霊力が放つ周波数、エネルギーが必要な魂が引き寄せられるからと知っている。

そして、最近、冒頭の聖書の一節に引き寄せられた。

まさしくその通りだと思った。

「言があった。言は神とともにあった」

この2年ほどの導きは、行動が先、気づきが後。
言葉が先、気づきが後。

今日は、天気も悪くて身体がだるい〜。
PCに向かいたく無いな〜と思っていても、なぜか、身体はPCの電源を入れて、言葉を紡ぎ出している。

それが繰り返され、いつの頃からだろうか・・・
私の感情や意識とは関係なく、言葉が降りてきたら、パチパチとキーボードを打っている。

そして気づいた。

私の魂の使命は、「それ!」

大いなる宇宙=神の光をメッセージとして届けること。

必要なひとには届くけど、いまじゃ無いってひとには、ただの妄想としか思えない。

聖なるコードとつながる魂、目覚めが始まりそうな魂、何かしらの転機がきている魂・・

大いなる宇宙=神が動く、ガイドが動く、人間が動く。

霊界が動いて、現界に現れる。

ところで、お使い中は、神様のお使いとして、喜びを感じ〜・・・とかってのは無い。

淡々と、粛々とやっているだけど、そこに何からしの感情は無い。
神様大好き!崇め奉りたい方には、なんて罰当たりな!・・かもしれないけど、
嬉しいとか、喜びとか、イヤとか、大変とか・・そういうのは一切無い。

逆に、人間的感情が出てきてしまうことの方が厄介。

言葉が降りてきているときは、私であって私じゃないというか、
違うエネルギーによって、肉体と思考を操作されているような感じがする。

一心不乱。
違う次元。

頭の中に言葉が出てきて、それを、ただ、通してる・・

媒介者、導管。

だから、喜び、ワクワク〜というのはない。
淡々と粛々と、何かの儀式をその順番通りにこなしているような感覚。

お使い中は、それをやるのが当たり前。

神に選ばれたとか、ご利益が〜とかよぎるのならば、
私は特別!とか、感情が湧いたりするのなら、
そこには何か滞りがあるのかもしれない。

お使い中は、無色透明、無味無臭。
これぞ、無心!
これぞ、空!

100%ではないけれど・・ね。

人間的とするならば、
後から自分で入力した文章を読むのが喜びといえば、喜び。
よく書いた!と、自画自賛。

操られている感半端ないけど、
いま、自分がどこで何をしているのかはちゃんと理解している。

魂がどこにあって、
肉体がどこにあって、
感情や思考はどんな動きをしていて、

それは大いなる宇宙からのメッセージなのか?
人間・夏井誓子が発するものか?
大いなる宇宙の導管として使われているものなのか?
はたまた、幽界からの邪なるメッセージなのか?

瞬間的に識別している。

そして、大いなる宇宙=神の一部として、この魂が何をなすために、何を見せられているのか? 出会わされているのか?

気づきながら進んでいる。それが霊界にしっかりつながっているのかチェックしているともいえるかな。
瞬間的に、自分の肉体と感情をみて、ガイドの声に耳を傾ける。
霊視の場合、幽界につながる場合もあるからだ。

この世界を生きる人間は、見えざる世界の扉は閉められているのが普通だ。
魂の成長のために、人生の喜怒哀楽、艱難辛苦を経験できるようにしている。

だから、見えない、聞こえないのが普通なのだ。
そこにもやはり意味がある。
あえて開かれていない扉をこじ開け、境界を力づくで突破するのは、リスクが生じる。

昨今のスピリチュアルばやりで、チャネリングやリーディングに興味をもつひとが増えている。
何か特別な魔法のような、自分のエゴを満足させるための道具のように扱うケースも多々見られるが、ネガティブなエネルギーに操れないようにしたい。

さて、私は私の魂を生きる。

大いなる宇宙のため・・「ため」ではなく、
誰か特定のひとのため・・「ため」ではなく、

魂の本質を生きる。

やがて、愛と光によって、ワンネスへと導く。

それが私の魂の本質書き込まれていることならば、ただ魂の声にしたがって生きれば、
その結果が○○のためになる。

様々な形にして、大いなる宇宙からの愛と光を伝えていく。

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