幸せを感じるヒントに、「すべてに意味がある。」という考え方に挑戦できるかどうかがあると思っています。
生きていれば、誰しも望まない現実に出会うことがあります。大切な人との別れ、病気や災害による苦悩など、決して自分が望んだわけではない出来事が起きたとき、幸せを感じられなくて当たり前です。
ここで、悲嘆にくれることもできます。自分を守ってくれない社会に怒りをぶつけることもできます。実際、そういう感情をしっかり感じる時間が必要な時もあるでしょう。
しかし、そんな時にも「幸せを感じたい。」と願っているのが私たち人間ではないでしょうか。
そのような時に、幸せを感じるためのヒントが「すべてに意味があり、すべては最高であり、最善である。」という考え方です。目的論と呼ばれるこの考え方によると、「世界のすべての事物の生成変化は、大いなる目的を目ざして運行して」おり、人間も例外ではなく「起きる出来事には魂の目的がある」と考えます。これは「考え方」なので、真実かどうかは脇に置いておきましょう。
私は初めてこの考え方に触れたとき、まったく理解できませんでした。
・今の、この、つらい出来事に意味があり、最善だなんて、絶対に認められない。
・もし私(の魂)の目的のために出来事が起きているのなら、どーせ、私が悪いんだ。
・だったら、私は絶対に幸せになれないんだ。
・・・と。
だけど心の奥では、私は幸せを感じたいと願っていました。
目の前のつらい出来事に変化を起こしたいと願っていました。
そこで、今の、目の前の出来事に変化を起こすことができるなら、この考え方を理解することに挑戦してみようと思い立ちました。もし本当に魂の目的があるのだとしたら、目的を意識することで、起きる出来事も変化する可能性を秘めていると思ったのです。かなり打算的であったことは認めます。
そして、望まない現実が起きたときには、「もし、今、最高最善が起きているのだとしたら、その意味はなんだろう。私にとって、私の魂にとって、どんな目的があるのだろう。」と、問いかけるようにしました。
これは今までと違う視点を必要とするので、意外と難しく、かなり根気と忍耐がいる作業でした。それなのに、起きる出来事はそんな簡単に変わることはなかったのです。
しかしながら、徐々に徐々に、起きる出来事は同じでも、違う視点で考えると苦しさが少なくなることに気がつくようになりました。それは、小さな小さな幸せの発見でした。
そんな小さな発見を積み重ねていくうちに、「すべてに意味がある」という考え方は、出来事を変えるためのものではなく、出来事のとらえ方(視点)を変えて、心を楽にするものなんだと思うようなりました。
私にとって、「すべてに意味がある。」という考え方への挑戦は、視点の大きな転換と、根気&忍耐、そして相当な努力を必要としました。
挑戦するもしないも、私たちは自由です。
もし挑戦することで小さな幸せを感じられるなら、そんな人生もアリではないかと思っています。
(文:飯田みゆき)
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森と魂のセラピスト、森林インストラクター、ハーバルプラクティショナー、薬剤師。
テーマ『自然と対話し、自分と対話し、今ここにある自分を祝福する』。
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