大いなる宇宙からの
聖なる光と愛を受けとるための器。
それは頑丈で大きい方がいい。
器の強度は、肉体。
器の大きさは、こころ。
大いなる宇宙からの聖なる光と愛を
余すところなく受けとるには、
心身が健康な状態であることがいい。
肉体の感覚が鋭敏なひとなら
経験があると思うが、
エネルギーは螺旋を描きならが、
頭頂より肉体に入り、足先に抜けて
いく。
天と地は人間の肉体を介して
つながる。
肉体面でどこかにトラブルが
発生しているなら、天から受けとる
エネルギーは正しく流れない。
量も少ない。
また同じようにこころに怒り、
悲しみ、憎しみ、妬み、嫉みなど、
ネガティブな感情が渦巻いているなら、
やはり光と愛は届きにくい。
だから、どんな人間でも宇宙からの
光と愛。祝福のエネルギーに包まれる。
肉体とこころが健康ならば・・・だ。
大いなる宇宙=神
↕︎
魂の本質
↓
正なる人格⇄偽の人格(今生で鵜呑みして出来上がったもの)
↑
その生で果たすべきカルマ
大いなる宇宙=神と、魂の本質、
そして今生を生きるための
仮初めの人格との関係は上のようになっている。
その生で果たすべきカルマは、
今生での性格というか、人格に
大きく影響している。
カルマをこなすために
設定した人との出会いや出来事と
今生で身につけた仮初めの人格、
偽の人格が合間って、肉体とこころに
ストレスをもたらす。
肉体とこころが狂い始め、
魂の本質からずれ始め、
大いなる宇宙=神からの
応援メッセージと光は届かない。
スマホを充電しようと思って、
コンセントに挿したわいいけど、
それがずれていれば、充電はされない。
本部が大いなる=神で、
その分け御霊である
人間のそれぞれの魂は、
支部ってとこ。
一人ひとりの人間の中に、
神や仏がいるという。
それぞれの魂は、
大いなる宇宙=神の
出先機関。
・・・の、はずが、心身が
誤作動しているので、充電が
なかなか難しい。
そしていつの間にか、
大いなる宇宙=神を
自分から切り離してしまい、
恐れ多く、奉ってしまいがち。
神様がこう言っている。
神様のせいにしてしまったりする。
それが行き過ぎると、人心を
コントロールするために、
神様のいうことを聞かなければ・・と、
恐怖を与えるために、神様という言葉を
いいように使う。
自分を大切に愛するひとならば、
他人に対する態度もそれと同じ。
神仏に対しても同じように接する。
自然界やその他の異界に対しても
同じだろう。
大いなる宇宙=神から切り離された
魂たちは、分離感を味わい、
そこでの学びがある。
だが、そもそも一つだったものが
分かれているわけだから、
私もあなたも、私の中の神も同じこと。
魂の本質を生きることが、
ありのままを生きること。
魂の本質とつながらないならば、
ありのままをホントウの意味では
分からないかもしれない。
ストレスなく、自分の思い通りに、
しがらみなく自由に生きる。
できることなら、裕福に、人気者に
なって生きたい。
そう勘違いしているかもしれない。
確かに、魂の本質でそう設定しているなら、
その魂にとっては、それが「ありのまま」かも
しれない・・・けどね。
魂の本質に近づくには、まずは自分の心身を
良好な状態にすること。
器を大きく頑丈にしよう。
そして、自分に正直に生きること。
ありのまま=魂の本質を生きる。
それは、三次元の価値観では
表現しきれないこともある。
だーが、しかし!
業務連絡、業務連絡!
大いなる宇宙=神の使い手として、
今生を生きることを誓った魂たちは、
悠長なことを言っていられない。
魂に設定してきたお役目が
待っている!
まずは、自分が健康と幸せになろう!
全ては自分が作る世界。
そうすれば、次の扉が開かれる。
♫
人はそれぞれ宿命をもつ
この地に生まれ 何をなすべきか
そのさだめに気づいたものは
天が力を与える
いのちの輝きの間に なすべきことをなせ
いのちの輝きの間に なすべきことをなせ
(宝塚歌劇「邪馬台国の風」より)