自分に正直でいること あなたは食べたくないものを「いらない!」と言えますか?

2018.4.3  Chikako Natsui
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「自分に正直に生きる」

できてるようで、なかなか難しい。

社会枠の中では、他者との関係を
抜きにして生きることはできない。

ここに一つ例を挙げよう。

今日は会社の同僚が集まるお茶会。
一人一品持ち寄りの約束。
参加者は5人。
全員女性ばかり。
40代、30代、20代と、
年代はバラバラ。
そのうち40代の女性は、
リーダー的存在。
ランチタイムの時などは、
人の噂話に花を咲かせる、
少々うるさ型。

さて、今回のお茶会。
そのリーダーの女性が、
自分でラム酒が入った
フルーツのパウンドケーキを
焼いて持ってきた。
確かに、ほのかにお酒の香り。

実は、20代の女性はお酒が飲めない。
だから、アルコールが入ったお菓子も
苦手。

だが、リーダーの女性に勧められた・・・が。

さて、お酒の苦手な20代女性は
どうしただろう?

「美味しそう!せっかく○○さんが
作ってくれたのに、残念。
私、アルコールが苦手でお酒が入った
お菓子を食べることができないんですよ〜」

的に言えるなら、「自分に正直!」
相手を思いやりながら、お断りしている。

「わぁ、美味しいそう!
ありがとうございます!
○○さん、ケーキ作りお上手ですね〜。
今度作り方教えてください!
早速いただいていいですか〜?」

的になると、「自分に正直ではない!」

相手を思いやってとか、
傷つけないようにというよりは、
自分自身が傷つかないように、
その場を取り繕う、自分に嘘をついて
しまっている。

自分を欺いた当の本人は、その場を
うまく収めたと思っているだろう。

実は、本音は無意識に伝わっている。

人間のコミュニケーションとは、
表情や声の高低や出し方などで
行われているからだ。
発した言葉は意味を成さない
こともある。

「美味しい〜」

と、言葉で言っていても、

裏面の

「なんでアルコール入った
ケーキなんか持ってくんだよ〜。
食べられないじゃない!
しかもうるさい先輩だから、
断りにくいし、あ〜も〜
全く嫌になっちゃうな〜」

という感情の方が伝わりやすいと
いうことだ。

そうすると、40代先輩の方も、
発せられた言葉と自分の感覚で
感じたことが違うので、混乱する。
何かいや〜な感じだけを
受け取るかもしれない。

「この子、美味しそう〜って
言ってるけど、全然そう見えない。
面倒くさい子ね」

となってくる。

心理学の交流分析などでも
おなじみの言葉で「裏面交流」が
ある。

発した言葉の裏側。
裏面で交流することだ。

裏面交流の場合、必ずと言って
いいほど、後味が悪い思いをする。
その場が冷え込む。
ということは、その後の人間関係も
混乱が生じやすい。

さらに、混乱した人間関係において
今度は自分が傷つく。
傷ついた心を守るために、
さらに自分自身にも、
他者にも嘘をつく。

それを繰り返していると、
他者をみた時に、取り繕うことが
クセになり、自分に嘘をつくことが
当たり前になる。

その結果、どんどん自分が
本当に言いたかったことが
言えなくなり。

「自分自身に正直でいる」

こととが程遠くなる。

パウンドケーキは一例。

こんなやりとりはごまんとある。
日常茶飯事だろう。

他者の価値観に合わせて生きる
ことが当たり前になっていると、
どれがホントウの自分なのか?
ましてや魂の本質とつながることは
できない。

この三次元には、戦争地域でもなく、
その時代でもないのに、分厚い鎧を
身につけて、自分自身を守っている
人が多い。
場合によっては、他者の鎧を借りて、
生きている人も多い。

大いなる宇宙=神

その聖なる愛と光は、
鎧は通さない。
魂の本質でしか受け取れない。

どんなに次元上昇や
直感を求めても、
大いなる宇宙=神意識に
近づきたいと思ってみても、
自分自身に正直でない時には、
それは叶わない。

自分に少々嘘をついても、
他者の利益優先。
それが日本文化。

他人に優しくすることは
いいことだが、自分自身を
犠牲するのは、違う。

順番が間違っている。

自分自身を愛する。
それが大いなる宇宙=神が
一番喜ぶことだ。

時の権力者の都合で
ねじ曲げられた教義。

それはまるで自分を罰し、
自己肯定感、自己効力感を
奪い去り、自己評価が低い、
他者の言いなりになる人間を
作り上げるためのものだったのかもしれない。

今日、あなたは自分に
いくつ嘘をついただろうか?

魂の本質はそれを望んでいるのだろうか?