星を解く
魂を解く
運命を解く
満月の余韻か。
惑星の配置は、
地上に投射される。
月の特性のひとつは「関係性」。
そのなかでも、人間社会の関係性の土台である家族関係を表す。
さて、月は地球でどのように自分自身を表現するだろうか。
人生にどのように関わってくるのだろうか。
月がみせる家族の物語。縺れた系の引っぱりあい。
多くの親がそうであるように、子どもの成長は親の喜び。なかには、一抹の寂しさを覚えることもあろうか。
しかし、その寂しさが多大となれば、親と子どものエネルギーが縺れて仕舞う。
すると、両者が離れられない「事情」が発生する。
さすれば、親も子も自分を見失う。
この血脈、大地の母に呑み込まれし。
すると、多くの子どもがそうなるように、
親の寂しさをうめるため、子どもは自分自身で成長を止める。
手のかかる子ども、病弱な子ども、とるに足りない無価値な子どもとなり続ける。
親と子をつなぐエネルギーの糸が解けないのだから、しょうがない。
解けないのか、解かないのか、はてさて?
その役は、自分で止めると意志しなければ、
社会に出ても同じように続けるだろう。
例えば、傲慢な上司。部下の前では偉そうに振る舞うも、無意識下では自分は無価値とすり込んでいる。
すると、昔ながらのモーレツ社員のできあがり。
家族におけるポジション・支配関係は、そっくりそのまま社会でも同じになりがち。
または、家の中では支配されても、外では支配者になる逆転現象はよくあること。
親に支配されていた子どもが、自分が親になったとき、今度は支配する側になるのもよくあることだ。
そして、自分がいなければ、子どもは生きていけない。
そこに自分自身の存在理由を見いだす。
しかし、やがては、
「時は満ちる」
魂が動きだす。
親が先か、子どもが先か。
自分のなかに、他者のものが混じっている。
他者のなかに、自分をいれてしまった。貸してしまった。
それが自分自身を不快にさせる。苦しくさせる。
心身が不安定になる。落ち込んだり、激しやすかったり。
それは、魂が囚われ、不自由になっていることへのメッセージ。
縺れたエネルギーの糸。
それは一本の糸。ひとつの流れ。
ここまでが親の分で、ここからが子どもの分と明確な境目が無いのが、のちの困りごと。
子どもの成長段階において、反抗期とは最もたる例。
しかし、親子の情で括られた関係性は世の中の常識であるから、魂のもがきに、人間意識は気づかない。
よく分からないけど、「なにか」が「嫌だ」。
なにかが「イライラする」。
イライラの元をとりたいけど、とれない。
とりたいものが、「なにか」も分からない。
とこにあるのかも分からない。
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ。
どうしようもない苦しさに、乱暴な方法で無理やり「なにか」を消そうとするかもしれない。
それが、親子関係から生じる「愛着」「罪悪感」「無力感」とは思わない。
それもはるか昔から受け継がれてきたものであるとも。
愛と愛情と愛着は、別なもの。
スムーズな子離れ・親離れは美しい!
それは、清き水流るる川のごとし。
川の流れは、血の流れ。
川は上流から下流へと流れる。
すると、上流が汚れれば、下流は澱む。
血流・血脈・血筋も同じこと。
家族の誰かにトラブルが生じると、そこだけをフォーカスしがちだが、
子どもには親がいる、そのまた親がいて、そのまたうえにも親がいる。
兄弟姉妹、親族一同、支流の横のつながりもある。
川の流れと血の流れ。辿ってみれば、神代までかエデンの園か。
特定の家族にあらずして、星の課題は誰もが遭遇する。
隣の芝生は青いだけ。とり繕いすぎれば元に戻すは至難の業。
こんがらがったエネルギーのシンクロニシティは、人間全体に「なにか」を提議する。
いつから
どこから
だれから
なにから
気づいたところから、解くほかあるまい。
そうでなければ、歪みを糺す、穢れを祓う大きな力が働くだろう。
大きな視点でみれば、こんがらかったシンクロニシティは、
実は「あるある状態」。
そうでなければ、浄化にならず、魂の変容がおきないからだ。
気づいたところから、解く!
すると、のちの流れは浄められ、
なんと不思議、さきの流れも浄められている。
月は、水・女性性・感情・感覚を支配する。
それらを通して、魂がどのような流れのなかにいるのかみせる。
BlueRose 奇跡の花
祈りと慈しみの器(BlueRose project)
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