自分を信じる
簡単であり、
難しい。
真に自分を信じるために
真に自分を愛するために
魂は旅を続けている。
自分を見失い、見つけ、
失くし、新たに創る。
魂の旅があるところに達すると、
みな一様に、「自分探し」を始める。
このとき探しているのは、ほかでもない「魂」なのだ。
しかし、この時点では、肉体と魂がくっつき過ぎていて、明確な理解につながらない。
さて、
祈るもの、
願うもの、
愛するもの、
信じるもの、
その対象が自分の外側にあった方が、簡単であろう。
家族のため、名誉のため、国のため、会社のため、お金のため、趣味のため、健康のため、あのため、このため・・
なにかに支配されている、管理されているのは嫌だ。自由がいい!と、思いつつ。
一歩、囲いの外、大草原や大海原に出てみれば、なんのためになにをすればいいのか、なにを選ぶのが正解なのか、どの方向に進めばいいか、自信なく、まったく分からない。
囲いのなかが不自由と思っていたが、その囲いに守られてもいたことに気づくだろう。
囲いのなかでは、どこかに属さなければならなかった。
囲いのなかでは、誰かの真似をすれば良かった。
みんながいう正解を信じれば良かった。
失敗すれば、誰かのせいにすれば良かった。
ところが、囲いの外はそうではない。
「自分」を創る
「自分の世界」を創る
創造
クリエイト
進む道 描き出す絵 紡ぐ言葉は自分そのもの。
信じる
愛する
囲いの中では、対象は外側にいた。
囲いの外では、自分自身。
それは、魂的・霊的とも同義であり、いつの時代も「アカデミック」な「囲い」を超えた広がりをもつ。
両者の違いは、人間意識に多様に作用する。
信じる
愛する
祈る
これらもまた、橋=純粋なマインドを創造するためのエネルギー。
ややもすると、囲いの内側の経験が厄介・面倒・不必要に思いがちだが、そうではない。
それらを経験するために霊は人間となり、エネルギーはたくましく大きく・波動を上げている。