八百万の神は、神社仏閣だけとは限らない。
ほら、ここにも、あそこにも!
意識を向ければ
耳を傾ければ
2023年9月。
訪れたのは、群馬県にある草津白根山。
山頂には神秘的な湯釜があるが、いまだ火山規制のため立ち寄ることはできない。
それでも、草津白根山の氣に触れたく早朝より向かったのだが、山に分け入るほど霧がどんどん濃くなっていく。
霧の神=天狭霧神(あめのさぎりのかみ)
「狭霧」のキリは霧のことと解されている。神聖な霧の神とする説や、サを坂の意と取って山と野との境界の地と捉え、その合間に立ち渡ることの多い霧によって、山と野との交渉が表されているとして、「天之」「国之」を、霧の発生が天空・地上にわたることに基づいた命名とする説や、「天之」を天空に接する場所である山頂、サを「早」と取って初生の意として、山頂の始めて生じた霧の意と解する説がある。(国学院大学「古典文化学」事業より)
一寸先は・・まっしろけっけ! なにも見えない!
途中から引き返し、麓の草津温泉へ立ち寄ることにした。
草津温泉は、兵庫県・有馬温泉、岐阜県・下呂温泉とともに、日本三名泉。
その効能によってなのか、多くの湯治客を集め、温泉信仰という言葉もあるほど。
地中深く湯脈からあふれ出る温泉に、ディープな地球の声を聴けるかも。
産霊(むすひ)を愛でる。
草津温泉
毎分3万2300ℓ以上の自然湧出量は日本一。「草津温泉(くさつおんせん)」も古来からの名称。
「草津」という地名の語源は、温泉の硫化水素臭の強いがゆえに、「臭水(くさみず、くさうず、くそうず)」にあるとされる。また、臭處(くさと)という説もある。
古くから薬湯と知られており、恋の病以外は全て効くと言い伝えられている。
標高1100~1200mの高地に温泉街が広がっている。草津温泉は、草津白根山から東へ流れる地下水に火山ガスが出会って生じていると考えられている。(Wikipediaより抜粋)
温泉街に到着し、最初に訪れたのは飛鳥・奈良時代の高僧・行基菩薩の由縁がある草津山光泉寺。
草津山光泉寺
本尊 薬師如来
由緒 光泉寺は、白根明神の別当寺として正治二年(1200)に草津領主湯本氏が再建したと言い伝えられている。
光泉寺僧職は鎌倉幕府から地頭職を賜い、寺領として白根庄の領有を許されていた。真言密教の寺院である。(草津山光泉寺HPより)
本堂
真言宗豊山派 草津山光泉寺
開山
養老五年(七二一)行基菩薩が草津温泉を発見し、薬師堂を建立する。
本尊
薬師如来 同じく行基創建有馬・道後と共に日本三大温泉薬師といわれている。(他に山中・下呂など諸説あり)
湯浴み弁財天
養老年間行基菩薩はこの地にたち、眼下に光る泉を見出し、それがただの泉でなく万病にきく温泉であることを喜び、薬師如来をまつり光泉寺を開く。以来泉は人々の病をいやす慈悲の泉となり、今日の草津温泉の源となった。
この池はそれにちなみ「慈悲の泉」となづけられ、名湯草津温泉に浴し、身も心も清浄になった喜びと感謝の姿をあらわす、湯浴み弁財天をおまつりした。(草津山光泉寺HPより)
弘法大師像
釈迦堂
元禄十六年八月、江戸の医師外嶋玄賀宗静の発願によって建立された。
遅咲き如来
元禄時代東大寺公慶上人の作として伝えられていた釈迦如来は、平成十七年の調査により、そのことが事実であると証明されました。以来三〇〇年を経て世に出た仏様であることから、「遅咲き如来」として地域の人々に改めて信仰されております。(草津山光泉寺HPより)
草津山光泉寺 住所
光泉寺の階段を下りるとすぐ、白旗源泉がある。
白旗源泉
草津町指定文化財 白旗湯畑と頼朝宮
建久四年(一一九三年)鎌倉将軍頼朝公が浅間山六里ヶ原の巻狩の折、この草津まで騎馬を進めあれはてた源泉地を改修しみずから入浴されたと伝えられる。以来この湯を御座の湯と呼び、その後いつの頃からか祠を建てて頼朝公を祀った。現在の頼朝宮は天明二年(一七八二年)八月に改築されたもので、草津温泉伝承(光泉寺蔵温泉奇効記)を今に伝え、草津温泉の入浴客の深い信仰をあつめてきた。
明治二十年、白旗の湯と改称されたが、旧源泉は、この湯畑に沈んでいる小さな湯枠の中と考えられる。草津温泉の開湯伝承、温泉信仰につらなる歴史的遺跡である。なお階段を登ったところに湯善堂がある。
草津町教育委員会
草津温泉観光協会
地から湧き上がる様は、力強い産霊(むすひ)!
白旗源泉 住所
源泉からクルリと振り返る。そこにあるのは、湯畑!
一気に、観光気分がアップ⤴️する。
名勝湯畑
草津温泉のシンボル「湯畑」は、石柵内の広さ1,112m、52°Cの温泉が毎分4,040ℓ湧出している草津を代表する源泉地の一つです。
中央にある7本の湯樋は全長40mあり、ここに温泉を流すことで高温の温泉を冷まし、宿泊施設や共同浴場等へ給湯しています。また、土産物の「湯の花」は、この湯樋から採取されています。
「湯畑」という呼び名は、明治20(1887)年に湯樋が初めて設置され、湯の花を採るための畑ということから定着していきました。江戸時代には「大池」「湯の花の池」などと呼ばれていました。享保11(1726)年と寛保3(1743)年、江戸時代の八代将軍徳川吉宗がここから温泉を汲み上げ、江戸城まで運ばせ入浴したと伝わっており「将軍御汲み上げの湯」とも言われていました。
「湯畑」のような大源泉が町の中心にある例は全国的にもまれで、草津の町はここから発展していきました。昭和50(1975)年には、岡本太郎が代表を務める現代芸術研究所によって湯畑を囲む石柵が設計され現在に至っています。
源泉から湯樋等を通って、岩盤を流れ落ちる湯滝の様子は独特の風情があり、草津固有の温泉文化を象徴する風致景観が認められ、平成29(2017)年10月文部科学大臣から国の文化財である「名勝」に指定されました。
平成29(2017)年
草津町
ショート動画
惜しげもなく湧きあがる湯量にびっくり!
パワーに触発されて、こちらも気分がアップ⤴️する。
素敵〜
地球の話を聞くどころではない。うかうかしていると、地のパワーに呑み込まれそうだ〜♫
ショート動画
名勝湯畑 住所
温泉街から次に向かったのは、西の河原公園。
さいのかわらとも言うらしい・・・
西の河原公園
温泉街西側の荒原地帯に湧く源泉の総称で、現在では一帯は「西の河原公園」として遊歩道などが整備され、気軽に温泉が湧出する様子を観察できるようになっている。(Wikipediaより)
河原のあちこちで温泉が湧きあがっていて、足湯がある。
ビジターセンターでは、草津のこと、温泉や火山のことなどが学べる。
不動滝
ショート動画
不動明王がお祀りされる、温かい滝!
ショート動画
ショート動画
ショート動画
西の河原公園 住所
西の河原公園か湯畑などがある温泉街へ引き返す。
その途中にあるのが、白根神社。
白根神社
祭神 日本武尊
白根山の湯釜の近くにある白根神社奥宮があります。山岳信仰が盛んな頃、こちらで参拝しておりました。
しかし、標高2000mの高山の為、冬期積雪期間だけではなく、普段でも山頂への登山は容易ではなかったので、現在の草津小学校の近くにある笹原に祈祷壇を作り参拝する様になりました。白根山は神のやどる信仰の山。白根山に従一位白根明神、古白根山に従一位白根明神があり、明治になって合祀、明治6年、郷社になって、温泉街見下ろす囲山公園内に、現在の場所である社殿を新築して奉還したそうです。(草津スカイランドホテル・栖風亭(せいふうてい)より)
鳥居をくぐり抜け、長い階段を上る。
鳥居
訪れたのは、9月の終わりごろ。
標高の高いこの辺りは、チラホラと紅葉が見え始めた。
参道
本殿
沼神社
明治十年六月一日に旧六合村(現中之条町)大字小雨字沼尾より白根神社境内に奉還された。この神社は白根神社と共に由緒ある社で「流れ造り」の彫刻がされた神様である。
上野国(現群馬県)神名帳に、従五位上「不多明神」と記載され、地籍は白根山芳ケ平の湿地帯に小不多沼があり、その昔祠があったとの事である。
草津温泉にとっては、温泉や飲料水を司さどる大切な神霊である。
(資料・群馬県吾妻郡誌による)
諏訪神社
白根神社 住所
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