【祈り】そこには尊さがあった 生命をつなぐ 祈りをつなぐ 浅間山と共に生きる     鎌原観音堂・群馬

2024.4.8  Chikako Natsui
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鎌原観音堂

大同元年(806)年に建てられています。鎌原村人の祈祷所である延命寺の一角にありました。
戦国時代においては、武田、真田に属していた鎌原城主の出陣戦勝祈願の場でもあったといわれています。
鎌原村は江戸時代には、中山道、北国街道脇往還で信州街道(仁礼街道)の宿場として、人や荷役の往来がありました。
境内には、荷を運ぶ馬を供養した馬頭観音が多くまつられています。かやぶきの観音堂は正徳3(1713)年の建物になります。本尊は11面観世音菩薩です。
村の西向の高台にあったので天明3(1783)年の鎌原全村を埋め尽くした浅間山噴火土石なだれから唯一残った建物です。目の前の石段をかけ登って生き残った93人は、ここ観音堂で命をつなぎ、村を復興しました。
(鎌原観音堂奉仕会  鎌原地区活性化協議会発行資料より)

 

 

郷土資料館の駐車場を鎌原観音堂のお参りに利用できる。ここは高台になっているので、鎌原区を見渡すことができた。

天明の浅間山大噴火の際、この地区は大きな被害に見舞われた。

当時の鎌原村人の多くが亡くなり、観音堂へ辿り着くことができた93人が生き残ることができたという。

「奇跡の観音堂」

 

階段を降り、観音堂へ向かう。

 

 

一瞬戸惑った。

鎌原観音堂と認識するまで時間を要すほど、素朴な佇まいだったからだ。

 

 

県指定史跡 天明三年浅間やけ遺跡

(指定)昭和三十一年六月二十日
(所在)群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原四九二番地

天明三年(一七八三年)浅間山の噴火は、五月九日から始まったとされるが、八月三日からは一段と激しさを増し、ついに五日の午前にはクライマックスの状態に達した。午前十時三十分頃、火口から噴き上げられた岩塊は、浅間山麓に落下し、付近の土石を巻き込んで雪崩のような状態で斜面を高速で流れ下った。
鎌原村(現嬬恋村鎌原区)を中心とした浅間山麓の被害はこの時に発生した。災害の中心となった鎌原村は、戸数百戸前後、人口□ほどの浅間山麓の拠点的な集落であったが、村は一瞬にして埋没し、被災死亡者四七七人、生存者九十三人とされる。観音堂とその石段。および参道入り口に文化十二年(一八一五年)被災者の菩提を弔うために建立された石碑は、この災害の実証的なものである。
観音堂の石段は昭和五十四年発掘調査され、その段数は全部で五十段であり、そのうち三十五段が埋没し、その土石層の暑さは六メートル前後と判明した。なお、その際二人の被災者が発見された。
天明三年の浅間山の噴火は、群馬県内はもちろん全国的にも社会・経済・政治に大きな影響をもたらしたが、本遺跡はその象徴的なものとして重要である。

平成十四年八月
群馬県教育委員会
嬬恋村教育委員会

 

 

嬬恋村指定史跡  延命寺石標

(指定) 昭和五十一年六月八日
(所在地)群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原四九二番地

 

明治四十三年、吾妻川の洪水の際、約二十五km下流、東吾妻まち矢倉の河原で一基の石標が発見された。この石標はその後、地元の人たちの配慮で鳥頭神社の境内に保存されていたが、銘文に「延命寺」と記されていたことや右上の破損部分が鎌原地区内の道標となって残っていたことから、天明三年浅間やけの折に埋没した「鎌原村」の延命寺門石と判明し、昭和十八年鎌原区に戻された。
中央に刻まれた浅間山は「浅間大明神」を指すものであり、延命寺は、浅間大明神の別当寺であることを示していたものと考えられる。
石標はおそらく、蒲原宿の家並みの連なる本通りから、延命寺に入る参道の脇に建てられたものであり、浅間やけの際、押出しによって流出したことが明らかになった。

平成十八年十一月

嬬恋村教育委員会

 

 

 

 

鎌原観音堂

 

浅間山北麓ジオパーク

鎌原村・鎌原観音堂

江戸時代の鎌原村で、いったい何が起こったのでしょうか? 火山災害に対する教訓がこの地にはあります。

 

大地の活動

浅間山は、江戸時代の1783(天明3)年に噴火しました。この噴火で土石なだれが発生し、この付近一帯を流れ下りました。この土石なだれがどのようにおきたのかは、まだわかっていません。浅間火山の不思議の一つです。

人々の暮らし

当時、鎌原村に暮らしていた人々は大半が土石なだれの犠牲となってしまいましたが、少し高台にある鎌原観音堂に逃げた人々は土石なだれに巻き込まれずにすみました。
そこで、残った人々で新たな家族をつくり、村を再興しました。(出土品は嬬恋郷土資料館に展示)
観音堂では、災害と復興の歴史を受け継ぎ、「鎌原観音堂奉仕会」の人々が、鎌原の歴史を語り継いでいます。

 

 

階段のほとんどが土石なだれに埋まっていたのだろう。

また、後の調査では、上りきれずに階段で命つきた人がいたことも判明している。

生命の境目

観音堂へは上がる別道もあったが、あえて階段を上ることにした。

思いを寄せ、一歩、一歩歩く。それが供養のように思えた。

 

 

 

観音堂

 

大小、数々の神社仏閣を見てきたが、この地になにがあったのかを知るほどに、決してきらびやかでも荘厳でもない、観音堂の素朴な佇まいに心を打たれる。

浅間山の脅威に晒されても、山と共に生きるこの地の人びと。

そして、人びとと共にある十一面観世音菩薩。

 

浅間山と共に生きる

浅間山(標高2568m)は、群馬県と長野県の県境に位置し、今でも活動を続けている火山です。かつて大きな噴火をしてきました。そのときの溶岩、火山灰、土石でなだらかな高原になっています。浅間高原は、夏は涼しく過ごしやすいので別荘地が広がっています。また、昼夜の寒暖差があり、甘くておいしい高原野菜がたくさん作られています。なかでもキャベツは、日本有数のキャベツの産地になっています。樹々は緑豊かに、花は咲き誇り、蝶や野鳥の姿がいたるところで見られます。私たちは、浅間山からこのようにたくさんの自然の恵みを受けています。
浅間山は、時には災害をもたらす山でもあります。嬬恋村ではハザードマップを作ります、防災につとめています。私たちが住む日本は、地震、水害、火山活動などの自然災害がいつ、どこで起こっても不思議ではありません。海や山などの自然を正しく知り、この豊かな自然と共に生きていくことが求められています。
(鎌原観音堂奉仕会  鎌原地区活性化協議会発行資料より)

 

 

 

この地には尊さがあった。

生命をつなごう 生き抜こうとする尊さ

 

尊さ

それは、神仏だけによるものではない。

人間世界の地位や身分に係るものでもない。

 

祈りが天と地と人をつなぐ。

祈りがカタチとなり、神仏の姿で現る。

 

天地人が織りなすエネルギーの場のようなもの。

それを言葉で表現すると「尊さ」。

 

その地を歩いてみなければ分からない

その地の空気に触れてみなければ分からない。

天と地と人 カタチあるある声 カタチなき声 耳を傾けてみなければ分からない。

 

 

 

左 観音堂  右 お籠り堂

 

 

 

観音堂を下ったところにあった、観音菩薩象。

 

 

 

 

以下、Wikipediaより

鎌原観音堂

1783年(天明3年)7月8日(旧暦)、火口より北側約12Kmにある鎌原村は、浅間山の大噴火(いわゆる天明大噴火)による土石流(長らく火砕流とされてきたが、発掘による出土品などには焼け焦げた跡が無いことから、大規模な岩屑なだれであったことがわかっている。)に襲われ壊滅。このとき鎌原村の村外にいた者や、土石流に気付いて階段を上り観音堂まで避難できた者、合計93名のみが助かった。この災害では、当時の村の人口570名のうち、477名の命が失われた

現在、地上部分にある石段は15段であるが、村の言い伝えではかつてはもっと長いものだったとされていた。1979年(昭和54年)に観音堂周辺の発掘調査がおこなわれた結果、石段は全体で50段あったことが判明し、土石流は35段分の高さ(約6.5メートル)に達するものであった事がわかった。また、埋没した石段の最下部で女性2名の遺体が発見された。若い女性が年配の女性を背負うような格好で見つかり、顔を復元したところ、良く似た顔立ちであることなどから、娘と母親、あるいは歳の離れた姉妹など、近親者であると考えられている。浅間山の噴火に気付いて、若い女性が年長者を背負って観音堂へ避難する際に、土石流に飲み込まれてしまったものと考えられている。

村がまるごと飲み込まれたことから「日本のポンペイ」とも呼ばれ、発掘による出土品や当時の様子、絵図などが観音堂に隣接した嬬恋郷土資料館に展示してある。多くの火山災害の被災地では、生き残った住民が避難した先(場所)で新しい町を再建したが、鎌原は、生き残った住民が同じ場所に戻って、村を再建した非常に珍しい例である。

現在、火山災害から命を救った観音堂は厄除け信仰の対象となっており、地元鎌原地区の鎌原観音堂奉仕会が交替でお堂に詰めて、先祖の供養を1日も欠かすことなくおこなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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