前回のコラムで、
「真の自己とは多面性を持った自分」
ではないかと書きました。
自分の中の多面性に気づくと、
他の人を許せることが多くなるような
気がしています。
ヒトが生きづらさを感じるときは、
ほとんどが他者との関係で悩む時です。
なぜ、他者との関係は、
こんなにも難しいのでしょうか。
誰もが、自分の『ものさし』を持っています。
自分の価値観、自分の信念、自分のやり方。
今まで、生きるために
必死になって培ってきた『ものさし』。
ところが、その『ものさし』は、ひとそれぞれ。
違う『ものさし』で測りながら、
あーでもない、こーでもない、と話しあっても、
しっくりこないことが多いのではないでしょうか。
☆
私は、思春期の頃から、
「他人に気を使って、
他人が望むことを考えて、
他人に合わせて生きる。」
という『ものさし』で生きていました。
考えすぎて立ち尽くしてしまこともあり、
「あなたは気が利かない人ですね。」と、よく言われたものです。
そして、
「こんなに気を使っているのに。」
「こんなに頑張っているのに。」
「まだまだ、頑張りが足りないんだ。」
「だから、もっと頑張らないとダメなんだ。」
と、グルグル思考の中をさまよい続けていました。
ところが世の中には、頑張る様子もなく、
自然体で気が利き、慕われている人もいたのです。
「神様は、不公平だ。」
ずっと、そう思っていました。
しかも、自分が頑張って気を使っていたので、
気を使わない人にもイライラしました。
いつしか私は、
自分が大切にしてきた『ものさし』によって、
がんじがらめになっていました。
☆
自然界は、
人間界の『ものさし』とは関係なく生命が躍動し、
生態系が営まれています。
そこは、ただ自分が感じることを、
“そのまま感じる”ことが許される場所です。
自然界と親しんでいるうちに、
私は徐々に自分の内に隠れていた”真の自己”のカケラを
うすぼんやりと感じるようになっていきました。
「やりたい」ことをやりたいと感じ、
「やりたくない」ことをやりたくないと感じ、
「人からよく見られたい」とか、
「私って有能だわ」とか、
「私が世界を回したい」とか、
そんな思いを許す土壌が耕されていったのです。
こんな私が自分の多面性に気づくのは、
まだ少し先のお話・・・。
(文:飯田みゆき)
森と魂のセラピスト 飯田みゆきコラム
NO.1 「真の自己ってなんだろう。」
森と魂のセラピスト、森林インストラクター、ハーバルプラクティショナー、薬剤師。
テーマ『自然と対話し、自分と対話し、今ここにある自分を祝福する』。
⇒森の癒しのヒミツを探る~森と魂のセラピストブログ